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3話


 世界には、こんなにも音があふれていたのか――。


「いいな、いい、すごくいい」


 カイセの街の賑やかな大通り、少しスキマをあけて並び立つレンガ作りの屋根を蹴って「よっ」「ほっ」「せいっ」っと猛スピードで渡りながら、ゼンジは目を閉じて耳を澄ます。


(駆け回る子供たちの声、その足音、活気のいい八百屋のおっさんに、貴婦人のアクセサリーがジャラジャラ鳴る音。これは、風船に空気が入る音だろうか。 露店の道化師が配るやつだな)


 ゼンジは屋根を蹴って木の枝を両手でつかむと、勢いそのままに通りを横切って次の屋根へと移ってはまた通りを飛ぶ。

 昨日も通ったこの道が、昨日までにも何度も聞いたはずの街の喧騒が、初めて耳に届いた。


 困っている人を探して、聴覚を澄まして、街の声全てを聞いてきたゼンジの鼓膜が、ようやくノイズに耳をかたむけた。


 意識ひとつで世界はこんなにも賑やかになるのか――


 風を切る音に、温度を感じる。生ぬるくまとわりつくようだった音が、冷たくも耳障りよくゼンジの体をすりぬける。


「⋯⋯⋯最高」


 ゼンジ、思わずニヤけが止まらず「最高だあ――ッ!」カイセの街の中心に設置された噴水の上空、思いっきり声を大にして叫んだ。


 お目当てのコーヒーショップ、その道向かいの店の前に、人だかりが出来ているのが見えたのはそのときだ。


「何事だ?」


 人だかりを避け、コーヒーショップの店前にとんっと着地して、ちょうど目の前に人が立っていたので聞いてみたゼンジ。


 びくっ――! 肩が跳ね上がる女性。


「びっくりしたーーーーっ!」


 ふりむくと、ゼンジより少し下、二十五歳くらいだろうか。茶色ぽいショートヘアーで、カチューシャとエプロンがよく似合っているが、その大きな目はコレでもかと開かれている。


「す、すいません⋯⋯じゃないや、すまんね、それであの騒ぎは何事?」


「メイクスから有名な魔導ギアショップがカイセに進出して来たのよっ!」


「ほう。 それは騒ぎ立つのも無理はないな」


 【メイクス】――通称魔導ギアの街。魔法陣・魔法加工技術に長けた職人や高名な魔法研究者たちが集合して出来た、最先端の街だ。【キョウド】を含め、この世界に現在流通する魔導ギアのおよそ七割がそこで誕生しているという。


 何度か人助けのため足を運んだことはあるが、ゼンジの力をこえる魔導ギアには出会ったことがないため、興味は薄かった。


 ピリカから、ミュージックボックスを買い取っていなければ――。


「あるかな、あるかな、あるかなっ」


 ぴょこぴょこ首をのばすゼンジの目は、まるでおもちゃ屋をはじめて訪れる子供。


(録音できる魔導ギアとか)


 まだ1行の歌詞も出来てないとはいえ、いずれは自分の歌を録りたい。なんなら、ピリカの曲を歌って、自分の歌声をいますぐにでも聞いてみたい。


(大型のミュージックボックスも欲しいな、音質は落ちるけど、音を放出する魔法陣が組み込まれているというヤツ⋯⋯!)


 全身で体験してみたい。昨夜鼓膜を通って内側から全身を震わせた音楽を、この身で受け止めてみたい。ゼンジの好奇心が止まらない。


「絶対、気持ちいいだろうなあ」


「あははおにーさん、危ない薬でもやってるのかな?」


「ハッ――!」ゼンジはヨダレを腕でぬぐってパーカーのすそでゴシゴシ拭いた。


「わたしはここの店主のカリンねっ、おにーさん面白いし、コーヒー一杯無料サービスしちゃうから飲んでかない?」


「ゼンジだ、それは魅力的な提案だが⋯⋯」


 そもそもの目的が散歩とコーヒー豆の入手だ。それにコーヒーが豆から出来るということは知っていたゼンジだが、とりあえず握りつぶして水に混ぜればいいと思っていた矢先なのだから、魅力にあふれすぎた提案だ。


 けれども、魔導ギアショップを向いた足が、きびすを返してくれそうにない――。


 ⋯⋯のに、腕を掴むカリンの手が、離してくれそうにない。


「いいからいいから! どうせあんなに混んでるんだし! そのおかげでうちの店、誰も来てくんないんだし! ねっお願い! 美味しいよ、わたしのコーヒー?」


「う、うむ⋯⋯」


(シャキシャキした子だとは思っていたが、グイグイ来るなこの子。 確かにあの混雑具合だと入店する前に日が暮れそうだが⋯⋯)


 いいのかな、とゼンジは悩む。


 人の希望を叶え続け、その道を捨てると誓った身が、願いを受け入れてしまってはルール違反ではないか、と。


 つまりゼンジ、“いい人”するのに抵抗が生まれてしまったのだ。


 そして懸念はもうひとつある。


(この押しの強さ⋯⋯何らかの罠にかけられるのではないか)


 心を押し殺し、すべてを肯定して受け入れてきたゼンジは今、わずかに生まれる疑念や良心すべての感情に、自制が効かないほど敏感になっている。


 それはまるで戸惑いを覚えた子供のように――。


「⋯⋯もしかして、コーヒー嫌い?」


「いや、嫌うほど飲んだことはない」


「なにそれっ! コーヒーなんて一口目でわかるでしょ!」


 面白いねおにーさん、とカリンに笑われてはたと気づく。


(⋯⋯思っていた以上に、俺は何も知らないらしい)


 ゼンジは覚悟を決めた。


「よし、飛び込んでみるぞ⋯⋯カリンさん、コーヒー一杯お願いしますッ!」


「はいきたあーーーー! カリンでいいよっ!」


 そして入店したところで、ゼンジは背中の聖剣に手を伸ばした。



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