8:醤油を買いに行っただけなのに
リビングに着くなり京香は冷蔵庫を開け料理の準備をし始める。
相変わらず京香に言われるがままに席に座って待っている俺はふと京香に問う。
「あのシード……? の赤い液体ってなんで俺の体に巻き付いてたの?」
一旦料理の手を止めることなく答える。
「皮膚を溶かす為だよ」
「それってさ、溶かさないと俺の体に危険があるの?」
「無いよ?」
「無いの⁉」
京香の即答に対し間髪入れずに問いただす。
「ってことは、俺の体があんなのになるのって意味無い?」
「うん。意味無いよ」
「じゃあどうして……」
「男の子ってそういうのが好きなんでしょ?」
「確かに好きな人は好きだけど……」
男の好みを完全に理解している様な物言いに思わず苦笑いが込み上げてくる。きょとんとしている京香も可愛い。がすぐさまその表情が変わる。
「まぁ、男の子が好むと思ったってのは建前。本当の理由聞きたい?」
料理の手を止め、俺の方を見る京香。全く敵意を感じず、むしろ愛おしい物を見るようなその瞳は深く吸い込まれそうな程に美しく、同時に背筋に緊張が走る。
頷けば俺の疑問は何となく解消するだろう。だがそれ以上に聞いたら後戻りが出来なくなってしまいそうでもある。
「いや、大丈夫……かな」
「そっか。それは残念」
思ったよりあっさり引いた京香は料理を再開している。
少しの間沈黙が続く。シードの詳しい話とか、これから俺をどうするつもりなのかとか、適当な話題を喋ろうかとも考えたが、どれも余計に混乱しそうなので迂闊に口に出せない。
「あ」
どうしたものかと思考を巡らせていた時に京香が間抜けな声を出す。
「どしたの?」
すぐに京香の方を向くと京香は両手で頬を押さえている。押さえた頬が心なしか赤く染まっている。
「お醤油切らせてるの忘れてた……」
頬から手を離さないまま「健太君の事で頭がいっぱいになっちゃってた」と消え入りそうな声でぼそぼそと独り言を言う京香。
「今から買いに行けば良いんじゃない?」
ほんの軽い気持ちで俺はそう口にした。
「今から? 健太君本当にそんなこと言ってる?」
「え?」
返ってきたのは思ったよりも冷たい返事と俺を見る怪訝な目線。
「え? 俺なんかマズいこと言ったかな……?」
京香は赤くしていた頬をすっかり元の血色に戻して俺を見る。
「健太君、今の私が素体むき出しの健太君と同じ状況にあるのわかるかな?」
「ん? なんだって?」
何を言っているのか分からず聞き返す。
「鈍いんだから。今日はもう家から出るつもりがないからお化粧落としたの」
「あー。なるほど」
やっと納得が出来た。
「だったら俺が行くよ。醤油でしょ? コンビニにも売ってあると思うし」
立ち上がって買い出しを名乗り出る。
「うん、嬉しいんだけど……、健太君を外に出したくないし……」
余計なことを考えているのだろう。京香は眉を寄せて俺の方を見る。
「大丈夫だって。俺がオートマタって事がばれなきゃいいんでしょ? コンビニもすぐそこだし」
「うん……。わかった。お願いしようかな」
京香は渋々返事をする。こうして俺は外に出ることになった。
「念のためこれ持って行って」
玄関で財布が入ったエコバックと共に渡されたのはシードだった。薄暗い玄関でもはっきり分かるほど赤い。
「どうしてこれを……」
「念のためだよ。もし使うことになったら、ちゃんとこれ被って」
「う、うん……わかった」
更に渡されたのはフルフェイスのヘルメット。さっき被ったのと同じバイクのヘルメットの様だが、伸びていたコードは無くなっている。それを小脇に抱えて俺は夜の街に繰り出した。
※ ※ ※
京香の家からコンビニまでは歩いて五分ほど。
走ればもっと早く買い出しは終わるだろう。だが俺は久しぶりの夜の街を噛みしめる様に歩く。
すぐそばに立ち並ぶ家々からは電気の明かりが漏れ出してそこに人が暮らしていることをハッキリと認識できる。対照的に俺が歩く歩道には人影は無く、静かな町に俺の足音だけがやけに大きく聞こえる。
どこかにあるかもしれない人の目から逃れるようにフードを深く被る。
夜の歩道にヘルメットを抱えた男が歩いている。自分でもかなりの不審者だと思う。
「さすがにこれは入れとくか……」
ヘルメットを入れようと肩から提げたエコバックを開くと、京香の白い折り畳み財布が見える。
財布をどけようと手を伸ばした時、隣に入っていたドールのマリーと目があった。
「うぉ!」
この薄暗さで見るドールは見慣れているとはいえ、かなり不気味だ。
「はぁ……もう……、びっくりさせんなって……」
肩で呼吸をしながら俺は財布とマリーを取り出してヘルメットを中に入れる。
ヘルメットの中に財布は入ったが、マリーをそこに入れるのは少し悪い気がしたのでバックの淵に顔を出すように体だけ入れる。
もう半分くらい歩くとコンビニに着く。
「まぁ、誰にも会わないか……」
自分の体でマリーを少し隠しつつ歩く。
そろそろコンビニが見えてきた。ガラス張りの店から漏れ出す光に誘われる様に駐車場を抜け、店内に入る。
「らっしゃいませー」
気の抜けた女性店員の声を聞き流し調味料コーナーに向かう。
バレる事はないだろうが、万が一気付かれたら。と考えてしまうと無意識に速足になってしまう。
右手で醤油を掴み、レジに向かう。
「220円です」
手早く会計を済ませ、醤油を受け取った時、店員と目が合った。
「あれ? 高橋君?」
「ん? え⁉ 石川さん⁉」
俺の名前を呼んだ店員。声の主は石川さんだった。まさか近所のコンビニがバイト先だなんて思いもしなかった。
「どうしてここに⁉」
「どうしてって、醬油を切らしたから、かな」
手に持った醬油を軽く掲げる。
「あ、そっか。でも家から遠くない?」
「親戚の家が近くってさ、そこにお世話になってて」
「あぁ……そういう事。もう体平気なの?」
目を見開いて俺の体をまじまじ見る石川さん。そんな視線から体を隠すようにバッグを体の前に持ってくる。
「あはは、まぁ元気かな」
オートマタだから平気でした。だなんて口が裂けても言えない。
「すごっ……あれからずっと田中君が「あいつは鋼の肉体だー‼」って言ってたけど本当に鍛えてるんだね」
あのバカのせいで今度は筋トレキャラまで演じないといけなさそうだ……。先が思いやられる。
軽く頭を押えながらレジから離れ始める。
「たまたま当たり所がよかっただけだよ。あはは……。じゃあまた―――」
手を振る石川さんに軽く手を上げながら出口の方を見た瞬間、俺の視界が真っ白な光に照らされる。
咄嗟に目を細めた視界に乗用車が猛スピードでこちらに向かっているのが見えた。
「危なっ……!」
咄嗟に体をレジカウンターの方へ捩じり、石川さんを庇う様に覆いかぶさる。
―――ッドンッ‼ ガシャンっっ‼
ガラスが激しい音を立てて壊れ、商品棚が破壊されていく中、石川さんの上に被さる様な態勢になる。
「んぅ……。あ……高橋君。あ、あの、ありがとう」
ようやく店内に静寂が訪れた頃、石川さんが顔を赤らめながら小さく呟く。
「お、おう」
気恥ずかしい時間が流れる。まさか一日に二回も同じシチュエーションになるとは思ってもなかった。見つめ合った時間はほんの数秒だったが、結構長く感じた。
俺は息をするのも躊躇い、石川さんを押し倒したまま黙っていた。
石川さんの虹彩がハッキリと見える距離で永遠にも感じた時間が、スマホの着信音で途切れる。
自分のポケットから震えるスマホを取り出すと、画面には京香の名前が表示されている。
反射的に石川さんの上から飛び退き、店内を確認しながら電話に出る。
「もしもし?」
「もしもし。健太君、おつかい順調? 寂しくなってきたから電話しちゃった」
「あぁ、えっと……。ちょっと帰るの遅くなりそう、かも」
跡形もなくなった出入口を見る。気を失った運転手がハンドルを握ったままピクリとも動いていない。
「え? どうして?」
「今コンビニに車が突っ込んだ。運転手が動いていない。助けなきゃ」
「健太君は大丈夫なの?」
「俺は大丈夫。助けて、通報したら帰るよ」
「ふふ。シード、持って行って良かったね?」
「え?」
「何でもない。頑張ってね」
着信が切れる。
スマホをしまって車の方に向かう。
「大丈夫ですか」
運転席の窓をノックして声を掛けるが返事はない。
今度はドアノブを引いてみるが、鍵がかかっているのか開かない。
「はぁ、使うしかないか……」
腰に手を当て、さっきまで居たカウンターに視線をやると、バッグが転がっている。手に持っていたはずの醤油は無残にも破裂して辺りに散っている。
「高橋君、その人、大丈夫なの?」
石川さんが声を震わせ俺に問う。目にはほんのり涙が浮かんでいる。
「分からない。けど助けないと」
レジカウンターに向かいながら、バッグを指差す。
「石川さん、それ取ってくれる?」
「う、うん」
床に座り込んだ状態から立ち上がったの石川さんから受け取り、中身のヘルメットを出す。マリーも幸い無事みたいだ。
「石川さん」
上着を脱いでヘルメットをしっかり被り顎ひもを止める。
「なに?」
「これから見るもの、誰にも言わないで欲しい」
シードを取り出し一錠飲み込む。
すぐさまシードの効果が体に現れ、全身に赤い管が覆い被さる。
体から発せられる熱で瞬く間に人工皮膚は溶け落ち、その場に垂れ落ちる。
露になったオートマタの素体。
「えっ……。なにこれ……」
石川さんの戸惑った声が聞こえるが、俺は迷わず車に向かう。
五分以内。それまでに運転手を引きずり出す。まずは開かないドアを何とかこじ開けるところから。残念ながらレスキューの経験なんてある筈がない。素人の俺に間に合うだろうか……。
不安を抱えながらドアノブに手をかけ、普段通りの力加減で引く。
―――バキッ
「お、まじか」
ドアごと外れた。
「何がどうなってるの……」
いつの間にか出入口まで出ていた石川さんが呟く。
「石川さん、この人を車から出して通報して」
「う、うん」
驚きながら素直に俺の言う事を聞く石川さんが運転手の男を引っ張り出す。目立った外傷は無さそうだ。
「良かった。まだ息はある」
「通報、するね」
店の裏に向かった石川さんを横目に俺はその場に腰かける。
コンビニの店内を赤く照らす俺の体。
「すごいな。この体」
あっけなく目的を果たして残り時間は四分以上あるだろう。あれだけどうしようか考えていたのがバカみたいだ。
そういえば京香から途中で止める手段を聞いていなかった。
「まぁ、待つか……」
駐車場の車止めに座り、少し待っていたら石川さんが駆け寄ってくる。
「十分くらいしたら来るって!」
「ラッキー、かち合いそうにはないか」
腰かけた俺を見下ろす石川さんは顔中に困惑を浮かべている。
「えっと、あの、その体って……」
「あー、うん、そりゃ気になるよね……映画と違ってバレずにって難しいな……」
聞くなとも言えず俺は簡単に自分の体について石川さんに話した。
「そんなことになってたんだね……」
話を聞き終えた石川さんは神妙な顔つきで俯く。
「悪くは無いよ。まだ生きていけるしさ」
乾いた笑いを返し、両手を見る。人の物とは思えない指が俺の意思で動く。
「でも、さっきの高橋君かっこよかったかも」
石川さんは続ける。
「なんか正義のヒーローみたいでさ。私は賢くないからそのオートマタとか、シード? は教科書に載ってるくらいしか分かんないし、めちゃくちゃびっくりしたけどね」
石川さんはアハハと陽気に笑う。
「そのヒーローがこの後吐いても?」
「ん?」
石川さんが俺の顔を見る。
「俺、この状態になる為に飲んだ薬を今から吐くんだ」
「それは……うん。ちょっと不気味かも」
「あぁ、結構ストレートに言うなぁ」
わざと大きくため息を吐いて見せる。それを見た石川さんは笑う。
段々体の発光が薄れてきた。もうすぐ強烈な吐き気に襲われる。
「さすがに人が吐くのはね……」
「吐くこと自体、俺は好きだから俺は悪くはないと思ってるんだけどな」
「私にそんな趣味は無いし、それってあんまり人に言うものでもないかな……」
俺と京香の性癖が狂っているだけで、石川さんは至極真っ当な事を言っているのは分かる。だが少し寂しく感じる。
「じゃ、ちょっとトイレ借りるわ」
「うん」
立ち上がって店内のトイレに入る。ある程度余裕を持って入れた。
内鍵を閉め、ヘルメットをとった途端、胃がひっくり返る様な吐き気に襲われる。
「うっえぉぉぉぉおぉ……」
跪き便器に手を当てシードの残りかすを水面に叩きつける。
血を吐いた様に一気に赤く染まる水を見つめ、最後に口に残った唾液を吐き出す。
「はぁ、はぁ。ははっ。ヒーローか……」
水面に映った自分の顔が少し笑っていた。
第8話お疲れさまでした!
面白かったらいいねと評価、ぽちっとお願いします!
感想なんかを頂けるとモチベーション爆上がりでございます。ので何卒。