5:本当に怖いのは……
「健太くん……」
京香さんから見せてもらったのは、無認可オートマタ排除のニュース。正直これからどうなるのかわからないし、明日にでも見つかってしまうかもしれないと思うと正直怖い。
「どうして……?」
怖い。が、今猛烈に感じている恐怖の原因はそれではない。そんなことよりももっと身近。目の前で起こっている。
「ねぇ、どうして一人で吐いちゃったの? ねぇ」
京香さんが俺にまたがって服の首元を握って持ち上げている。下腹部にかかった京香さんの体重とお尻の感覚が少しありがたいサプライスだったりするが、近づけられた京香さんの目は笑っていない。
「ほ、ほら、京香さんが大学に行っている間さ……」
「京香って呼んで!」
俺の弁明を退け、さらに京香の語気が強くなる。
「は、はいぃっ!」
なぜこんなことに……。
「京香の事が忘れらんなかったんだよっ……」
気になってとりあえず吐いたなんて口が裂けても言えない。
「ほんとに……?」
「ほ、ほんとだって!」
数分前、トイレに行った京香がものすごい勢いでリビングに戻ってきて俺に跨った。
「匂いでわかるよ?」と微笑みながら。
「見たかったのに……」
「ごめん……」
「見たかったのにっ……!」
「え?」
「見たかったのにっ!!」
突然立ち上がって鬼の形相を浮かべる京香。手を離されたせいで床に頭が落ちる。
「った!」
鈍い痛みに頭を押える。
「どうして一人で吐いたの? 私との約束はどうしたの!?」
俺を跨いだまま見下ろす京香。
「えっと……」
「答えてっ!!」
部屋中に響く怒号に身震いする。
「ごっ、ごめんって!」
京香に懇願するように謝る。それを無視して京香が屈んで俺に顔を近づける。
「私は理由を聞いているんだよ?」
先ほどまでの声とは違う落ち着いた声でそう言った京香。穏やかな口調とは裏腹に顔は笑っていない。
「その、京香の事考えたら魔が差しちゃって……」
話が巡っているなぁ。とかそんな事を思いながらさっきと同じ嘘を吐く。
「そっか……」
やっと俺の上から離れた京香。普通のカップルなら「怒った顔も可愛いな」とか言うのかもしれないがそんな事言う気にもなれず。黙って京香を目で追う。そもそもカップルじゃないし……。
「それじゃあ」
俺に背を向けたまま京香が呟き始める。
「それじゃあ?」
「今日は無しだね」
突き放すように言い放った京香は部屋から出ていった。
「えっ! ちょっと待って!」
起き上がって床に座り溜息を吐く。
「それじゃあ俺がおままごとのお人形みたいじゃないか……」
ここ数日の間で俺が何者かという疑問が強くなってきているように思う。世間は俺の存在を許してくれない、京香は俺を最終的にどうしたいのかさっぱり分からない。
「健太君は私のお人形さんだよ? それで健太君は幸せでしょ?」
突然ドアが開き、イヤホンを付けた京香が顔を見ている。
「うわぁ!」
「ふふ? びっくりした? 私地獄耳だから」
京香は耳を人差し指でトントンと叩き、悪戯っぽい笑みを浮かべながら再び扉を閉めた。
「なにそれ……。いやでも、最後のは可愛かったな……」
確かに京香との生活には満足していると思う。毎日吐けるし、それを咎めることも嫌うことも無く、京香は満足そうに見てくる。正直それが無い生活は今では考えられないくらいかもしれない。
「だからってさ……」
だからって京香のお人形になるつもりはない。オートマタになって生活をさせて貰っているとは言え俺は俺だ。
「認めては欲しいなぁ……」
うなだれて全身を脱力させる。結局その日京香は自室から出てくることは無かった。
※ ※ ※
「おはよう健太君」
次の日。京香の声で目が覚めた。
「ん……おはよう……」
目を擦りながら開くと、床で寝転がる俺を見下ろす京香と目が合う。右手にはスマホを持っている。
「きっちり反省できた?」
微笑む京香。昨日の事を思い出し、このままなら……と思ってしまう程に綺麗な笑顔だ。
「う、うん。したよ反省」
起き上がり壁に掛けられた時計を見ると午前九時を少し過ぎた頃。
「朝ごはん食べよっか」
俺の腕をつかみ立ち上がらせてくれる。「うん」と短く返事をして二人でキッチンに向かう。
「ちょっと待っててね」
パタパタとスリッパを鳴らしながらキッチンに立つ京香。俺はそれを見ながら席に座る。
カウンター越しで朝食を作る京香を見つめていると京香と目が合う。
「ふふっ。朝ごはんが待ち遠しい?」
「あぁ、いやそういう訳じゃ……」
「もう少し待っててね?」
「そういえば、普段から料理作ってるの?」
相変わらず手際がいい。無駄がなく細い指が動き続ける。
「そうだよー? 好きな人が出来た時の為に練習してたから」
一瞬料理に向けた視線を俺に向ける京香。
「そ、そっか」
京香の返事に俺は次の言葉が出なかった。心なしか体温が上がった気がする。
そう、気がした。実際には体温なんて上がっていない。オートマタだから。
「ちょっと、話があるんだけど」
膝の上に置いた手を握り締めて思い切って声を絞り出す。意識しても少し声が震えている。
「ご飯できたらね」
明るい声で返す京香。張りつめていたように感じる空気が穏やかになった気がする。
「うん」
京香の返事を聞いてからすぐに朝食が用意される。
「はい。お箸」
京香から箸を受け取り、京香の目を見る。
「なぁに? そんなに怖い目して」
飼い猫に話しかけるような口調で目を細め、頬杖を突く京香。
「あの……さ」
「ん?」
言葉を慎重に選びながら口を動かす。京香は焼いたウインナーを食べながら俺の言葉を待っている。
「俺って何者、かな?」
「どういう事?」
ウインナーを飲み込んだ京香は首を傾げる。
「ほら、無認可のオートマタとか言われて、今感じてる緊張とか、吐いてる時の恥かしさだったり、それが本物なのかなとか、そんな事考えちゃってさ……」
「健太君は健太君だよ。私は側にいてくれて嬉しいけどな」
「うん……」
顔をあげると京香が笑っている。この笑顔が見られるならそれで満足だけど、求めていた答えではない。
「それだけで満足じゃない?」
満足……。とは言い切れなかった。
「……満足じゃないって言ったら?」
「それ、確認する必要あるかな?」
さっきまで優しかった声から豹変した冷たい声を浴びせられ思考が止まる。また京香を怒らせてしまった。と後悔する。
「ごめん。こんなに助けてもらってるのに……」
「ふふっ。やっぱり健太君は優しいね……」
尻すぼみになる俺の声を上書きして京香が笑う。
「え?」
「健太君が満足じゃないなら満足させなきゃ。それが私の役目でしょ?」
俺に微笑む京香を呆けた顔で見つめる。俺が一目惚れした顔がそこにはあった。柔らかく吊り上がった口角と、細められた瞼。今この世界で俺一人に微笑んでくれているという優越感が今の体にあるのかすら分からない心臓の鼓動を早くさせる。気がする。
ただ、彼女が何を考えているかは分からない。
「そのためには、私の事、満足させてね?」
京香が俺の前に置かれた箸を指差す。
「ほら、食べて。吐いて?」
「う、うん」
京香の考えている事は分からないが、俺が恋した京香に出来ることが吐くことだけだという事は分かる。
「健太君がして欲しい事を叶えるために、私のして欲しい事を健太君がする……。これって夫婦みたいだね」
「ぶふっ!」
突然の一言に飲みかけていた味噌汁を吹き出してしまった。
「きゅっ、急に変な事言わないでよ!」
「健太君は思った事無い? 私を見送る時とか」
「それは……思う時はあるけど……」
ティッシュで机を拭きながら目を合わせず答える。よくも恥ずかしくもなくそんなことが言えるもんだ。
「やっぱりあるんだ~。私達両思いだね」
「っ! それ、食事中に言うの無しがいいかな」
「どうして?」
微笑んだままの京香は俺の心を全部分かっている様な笑みを浮かべて首を傾げる。
「こうして机を毎回拭くはめになるからだよ!」
「うふふ。そうね。毎回お掃除するのは大変だもんね」
ようやく掃除を終え、朝食に手を付けだした俺にそんなことを言いながら京香はただ微笑んで俺を見つめている。
「ゆっくり食べようね」
楽しそうに俺を見る京香に、京香のせいでゆっくり食べられない。とは言い出せなかった。
※ ※ ※
「っう……ぅぅ」
両手を突き慣れた便器。底にたまった水も見慣れてしまった。そして隣にしゃがみこんでいる京香。
一日隣に居てくれなかっただけだというのに随分と久しぶりに感じる。それほど自分がこの瞬間を楽しみにしていたと思うとなんだか情けなくて、恥ずかしくて体が震える。
「もう出そう? ……いいよ出して」
京香の手が背中を擦り、京香の声が耳元で響く。全身で京香を感じながら俺は込み上げてくる唾液を便器に吐き出す。ゴポッと喉の奥が鳴り、酸味と共にピリピリと痛む。込み上げてくる酸っぱい液体をそのまま便器に吐き出す。
「おおぉぉぉおぉぉ……おぅっ……」
「あぁ♡出たぁ♡」
恍惚とした声を上げる京香。震える体を擦る手が早くなる。
相も変わらず俺の顔を覗き込んでいる顔は赤らんでいて、俺の吐瀉物を一つも逃すまいと凝視している。
「ゴホッゴホッ!」
「気持ち良かった? スッキリ、できた?」
無言で頷く俺の耳に唇を近づける京香。息遣いすらはっきり聞こえる距離で甘い声を上げる。
「さっき健太君が言ってた自分が何者かっての、私に良い考えがあるの」
京香が差し出したコップとティッシュで後始末を終えた俺は京香と向かい合う。
「考え?」
「うん。私と一緒に学校に行くの」
「……はぃ?」
陽気な声を上げる京香。対照的に俺は素っ頓狂な声を上げる。
「いやでもオートマタなのバレたらヤバいんじゃ……」
「大丈夫よ。下手なことしなければ絶対にバレないと思うし」
「そういうものなのかな……」
「周りの人が今まで通り人として接してくれればちょっとは気持ちが晴れるかなって……ダメかな?」
上目遣いに俺を見る京香。確かに今までの様な生活が一日でも出来ればちょっとは今思っているモヤモヤも晴れるかもしれない。
それに、こんな顔で見られたら断れない……。
「うん。分かったよ。行こう」
「やった! すぐ準備しなきゃ」
俺の返事を聞いた京香は嬉しそうにトイレから飛び出す。
どうか変な事は起こりませんようにと願いつつ俺は重い足取りで京香に付いて行った。
そうと決まってから京香の準備は早かった。あっと言う間に外に出る準備を終えた京香は俺に「これ着てね。サイズはピッタリなはずだから」と外出用の服を渡した。なんでもこんな時の為に買っていたらしい。
「よしっ! ちゃんと着たね。いこっか」
「うん」
こうして俺がオートマタになってから初めての外出をすることになった。
「今日の授業って午後からじゃなかった?」
二人並んで駅に続く道を歩きながら話す。時刻は十時半。大学に行くにはまだ早い。
「健太君の荷物取りに行かないといけないでしょ?」
「あ、そっか」
教材が入ったカバンを背負っている京香に対し俺は手ぶら。何も持って行かないのは確かに怪しまれそうだ。
「まぁ、今は学祭準備期間だから教材そんなに多くは要らないけどね」
京香の家に長く引きこもっていたせいで大学の事を忘れていた。確かに今は学祭の準備の期間だ。おかげで夜まである講義も夕方には終わる。
「じゃあ。私は先に大学行くね」
「う、うん」
大学と俺の家はここから逆方向。念には念を入れて時間差で行くことになった。
「じゃ、また後でね」
駅で京香と別れて家に向かう。人間の時には何とも思わなかった人の目線が今では全部疑いの目に感じる。
だが俺のそんな心配は杞憂に終わり、すんなり自宅の最寄り駅に着いた。見た目だけでは普通の人間と変わらないようだ。
京香の技術力に驚きつつ、家までの道を歩く。
俺が事故った時の持ち物は大体警察に引き取られたようだが、スマホと家の鍵は京香が回収してくれていたらしい。京香の家を出る時に手渡された。これを使えば家に帰れるはずだ。
「ただいま……」
今まで俺が暮らしていたワンルームの扉を開け、中に入る。
一週間ぶりに帰った俺の部屋は少し狭く感じる。
「ふぅ……」
一つ息を吐いてシングルベッドに座る。座った瞬間、ドッと疲れが俺を襲う。街を歩いただけでこんなに疲れるとは思わなかった。
再び外に出るのを憂鬱に感じながらも俺はこれから大学に向かうのを楽しみにもしていた。久々に会う友達はどんな顔をして俺と接するだろうか。事故った事は知っているだろうか。もし石川さんが今の俺の状況を知ったらどんな反応をするだろうか。少し楽しみでもあり、少し怖くもある。
だが俺の気持ちが意外にも前向きだった。
「っよし」
自分の膝を叩き立ち上がる。これからどうなるにせよ俺が動かなければ何も始まらない。
通学用のリュックサックを回収したらすぐに出よう。
ベッドの側に置いてあるリュックサックを掴んで俺はまた外の世界に飛び出した。
第5話お疲れさまでした!
面白かったらいいねと評価、ぽちっとお願いします!
感想なんかを頂けるとモチベーション爆上がりでございます。ので何卒。