4:堕落はゆっくりと
更新が遅れました。
予約設定をミスる初歩的ミスです……
「健太君、いってくるね」
「うん。いってらっしゃい柚木さん」
柚木さんの家に来て一週間経った。
あの日トイレですべてを受け入れた俺は、柚木さんと一緒に住んで毎日の様に吐いている。
「もう。まだ名字で呼ぶの?」
腰に手を当て、頬を膨らませる柚木さんは溜息を吐く。
「行ってらっしゃい……きょ、京香さん……」
喉の奥から絞り出す俺の声は掠れて尻すぼみになる。熱くなった頬を誤魔化すように頭を掻く。
「『さん』も取って欲しいんだけど、うん。行ってきます」
満足そうに微笑んだ京香さんはドアを開け「マリーをよろしくね」と言い残し大学に向かった。
「ふぅ……」
玄関からリビングに向かいソファに座る。
この一週間で京香さんから俺の体について教えて貰った。
俺の体には食事が必要なく睡眠でエネルギーが補給される事。それから、
「よいしょっと……」
座ったまま左肩に手を突っ込み、皮膚を摘み手首まで皮をめくる。むき出しになった腕の球体関節が俺の意識で気味悪くスムーズに動く。そのまま指先まで皮膚を全て捲る。手袋の様に取れた皮膚をテーブルに置き、まじまじと手先まで見つめる。指先の関節も腕と同じく球体関節で出来ている。
「うわ……」
何回見ても自分の腕では無いように見えて無意識に顔から遠ざける。
無くなった俺の首と胃袋以外の体は金属製のドールの様になっているとの事。
「ほとんどお前みたいなもんだよなぁ」
テーブルに置かれたマリーを抱き上げ、独り言を呟く。
『速報です。都内で発見された無認可オートマタ施術者の男性が確保されました。調べによりますと男性は一年ほど前から五人に無償でオートマタ手術を行っていたとの事です』
柚木さんが出る前からつけっぱなしのテレビからニュース速報が流れる。
「これ聞いて胸糞悪くなるのがお前との違いなのかな……」
ボーっとテレビを見ながらマリーを掴む手に力が強くなる。
テレビの向こうではコメンテーターが「世間では許されていないものですからね」だとか「こんな人が増えたら生とは何かが問われてしまいますよ」だの自分勝手な意見を好き放題に言っている。
確かに倫理観の問題だとか、死の定義だとかが危ぶまれるのは理解できる。だがこちらにも思う事はある。好きでこんな体になったわけじゃないし、こんな体のせいで出来なくなったことも多々ある。
「自分からなりたい奴なんているのかねぇ?」
マリーに言い聞かせるように顔を合わせ、チャンネルを変える。
「はぁ、平日のテレビつまんねえ……」
電源を切り、テーブルにマリーを置いてソファに横になる。
一週間前の俺なら気を紛らわせる為に飯でも食べるところだが、黙って目を閉じる。
吐くのは京香さんが帰ってから。そう二人で決めた。京香さんが帰ってくるまで我慢しないといけない。
が、一人で静かに居るとどうも落ち着かない。何度も寝返りをして気を紛らわせようとするがそれも効果が無さそうだ。
「はぁ……」
溜息がこぼれ、ふと出来心とも呼ぶべき発想が頭をよぎる。
「やってみるか」
ゆっくりとソファから体を起こし、廊下に出てトイレの扉を開ける。
狭い便所にたたずむ便器の前で膝を折り冷たい便器の淵に右手を突く。余った球体関節がむき出しの左手を大きく開けた口に突っ込む。無機質な感触が喉奥を襲う。
「うっぉ……」
今までの様に自ら手を突っ込んで吐くことが出来るのか。それがふとよぎった俺の疑問。今までは京香さんの料理を食べては吐いていたので、そんな事考える暇も無かったが、生身だった時の俺のルーティンだ。
口蓋垂に触れるだけで唾液が溢れ出てくる。本当に自分がオートマタになったのか不思議なほどに人間らしい反応だが、視界にチラつく自分の腕が現実に引き戻す。
ぴちゃぴちゃと音をたてて便器に垂れる唾液。柚木さんに隠れて吐くという普段とは違う背徳感に体が震える。呼吸が荒くなってきた。
細かく震える体がビクッと大きく揺れた時、舌の付け根に酸味を感じる。
「うぅぅうぅおっ……!」
口から出てくる胃酸を眺め、食べなくても胃酸を吐けるんだな。と冷静に考えてしまった。
吐いた後なのに冷静に物事を考えれた。これは俺にとって由々しき事。
大体の場合、吐き終わった後は全身の脱力感でしばらくはゆっくりしておきたくなる。そんなもんだ。
「ちっ……」
トイレのレバーを捻り、つい舌打ちをしてしまう。物足りない。ただその一言に尽きる。はっきり言って吐いた意味がない。
乱暴に蛇口をひねり、口を濯いでリビングに戻る。ティッシュで口を拭きゴミ箱に投げ入れる。
「京香さん早く帰らないかな……」
だらしなくソファに座ってうわ言の様に呟く。帰ってきたら料理を作ってもらおう。それまでは、
「……寝るか」
瞳を閉じて京香さんのこと以外考えないことにした。意識が途絶える前、左手の皮膚をつけ忘れていることを思い出したが、動く気にもなれなかった俺はそのまま静かに寝息を立て始めた。
※ ※ ※
「はぁ、はぁ。ただいまー」
静まり返った部屋に私の声が響く。息を切らした私は、イヤホンをカバンに納め、速足でリビングに向かう。
「あはぁ……やっぱり寝てる……」
ソファから腕を投げ出して寝ている健太君。大学の講義中ずっと健太君の声を聴いていたから私が大学に行っている間何をしていたか全部わかってる。言いつけを破って一人で吐いていたことも、私に吐かされたがっていることも。
だが、今の私にはそれを叶えてやる気は全くない。
健太君が頭を預けているソファの隣に腰を落とし、顔を見つめる。
「我慢できなかったんだね……?」
健太君の唇を人差し指でなぞる。少し渇いた皮膚の感触が爪先に伝う。少し前までこの口が一人で吐いていた。そう思うと指で触るだけでは物足りない気もしてくる。
「我慢できないのは私も、かな」
そう呟いた私は顔を健太君に近づけ、そっと口づけをした。
「ごちそうさま」
口角を上げ立ち上がる。ほんのりと香る酸っぱい香りが健太君の体から出た物だと意識すればするほど体が熱くなって、心臓が早く、激しく高鳴る。
このまま傍に居たら心臓の音が健太君に聞こえてしまいそうで、恥ずかしい。
「えへへ。健太君、もし知ったらなんて言うんだろ……」
逃げるようにリビングから出て自室に向かった。
私は自室に入りスマホを確認しながら服を脱ぎ始める、画面に映る文字に少し顔をしかめながら薄ピンク色部屋着にさっさと着替えて再びリビングに戻る。
リビングではまだ健太君が寝息を立てていた。
「ただいま。健太君帰ったよ」
健太君の肩を優しく叩き、起こす。四回ほど叩いたところで健太君の目が開く。
「ん……あれ、京香さんもう帰ったの」
目を擦りながら起き上がる健太君。まるで子供のような仕草に思わずときめく。
「かわいい……」
つい溢れ出た言葉に、目を丸くした健太君が反応する。
「え?」
「ううん。何でもないよ」
軽く首を横に振ってスマホの画面を健太君に見せる。
「そんなことより健太君、このニュースもう見た?」
健太君に見せた画面には無認可オートマタ排除を政府が本格的に乗り出した旨が書かれている。
「ん? なにこれ?」
寝起きに見せるニュースでは無いことは分かっていたが早く健太君に見せたかった。どんな顔をするのかが見たい。
「これって……」
健太君の声が低くなる。
「これ、どう思う?」
健太君の心を逆なでする様にねっとりと問う。
「どうって、俺もやばいってことだよね?」
「そうね。見つかったら、どうなるのかしらね」
「そんなこと……」
縋る様にこちらに視線を送る健太君。それを見ると心の底から嗜虐心が湧いて出てくる。
嘔吐後の情けなさそうで、恥ずかしがっているあの顔も大好きだけど、私にしか頼ることが出来ないまるで雛鳥のような顔も悪くない。
ゾクゾクと震える体で健太君の肩に手を置く。
「俺は何もしていないーって?」
わざと茶化すように言う。健太君の表情には不安が募っていく。
「うん……」
「確かに健太君は事故で私に手術されなかったらこんな事にはなってない」
健太君の左手を取り、テーブルの上に置かれていた人工皮膚を付けてあげる。
「うん」
肩まで皮膚を付け終え、そのまま健太君の左の手を握る。指を絡ませ、柔らかく健太君の反応を楽しむように握る。
「でもこの体になったおかげで手に入れた幸せもあると思わない?」
「それは……」
目を合わせていた健太君が視線を逸らす。
「正直だね」
「俺は何にも……」
「全部言ってるよ。体が」
健太君の言葉を遮り、左手を強引に引き寄せる。
「っぅえ⁉」
そしてそのまま抱きしめる。体の凹凸を健太君にこすりつける様に抱きしめる腕に力を籠める。
「きょ! 京香さん⁉」
「これ、幸せじゃない……?」
耳もとで囁くとさっきまでたじろいでいた健太君が静かになる。
「幸せ……だけど……」
「だけど?」
「この体のおかげで手に入れた幸せが、この体のせいで壊れるのは嫌だ」
その言葉に込められた健太君の本心は伺い知れない。
もしかしたら自分が私の前で吐けなくなる心配をしているだけかもしれないし、健太が捕まれば私まで危ないことを心配してくれているのかもしれない。
「そっか」
だから私は自分にとって都合のいい方でその言葉を受け止めることにした。
第4話お疲れさまでした!
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