16:リバースマン
――ガシャン!
パラパラとガラスが落ちる音を響かせながら辺りを見回す。
「誰も居ないな……」
なんの装飾も無い鉄筋コンクリートの室内。出入口のドアが一つだけあるひんやりとした雰囲気の部屋に俺の息遣いだけが響く。
「サーモグラフィ起動……」
『サーモグラフィを起動します』
視界が青色に染まる。部屋を見回しなんの反応もないことを確認してサーモグラフィを解除させる。
「さて……」
一つ息を吐いた時、ドアノブが捻られる。
「その部屋は山口が居た部屋だったんだ。部下をたくさんその部屋に入れて楽しそうに騒いでいたよ。白江さん白江さんって僕になついていたな」
ゆっくりと部屋に入って来たのは動画で見た男。白江だ。
「っ!」
白江の声と顔を確認した俺は白江に向かって突進し、無心で拳を突き出していた。
「話そうって言ったじゃないか。乱暴な人だな君は」
首を軽く傾けるだけで俺の拳を躱した白江は片手で俺の腕を払う。
「……京香さんは無事なんだろうな?」
「おぉ……。実に正義の味方みたいなセリフ。だんだん板についてきたんじゃない?」
分かりやすく挑発する白江を睨みつける。
「無事だよ。僕は何にもしてないよ。信用してよ」
ヘラヘラと嘘を吐く白江。やはりこいつはマリーからの着信を知らないらしい。
「そうか。多少は見直したよ。で? どこで話をするんだ? まさかここじゃないよな?」
「当然。君はお客さんだからね。ついて来て」
そうして白江に案内されるままに廊下に出る。山口の部屋と違って間接照明や観葉植物等、凝った内装をしている。
「君も素直なんだね。動画見てきたんでしょ」
先を歩く白江が振り返ることも無く話しかける。
「そりゃどうも」
「はぁ。もっと仲良く話せないかな……」
「人攫った奴のセリフじゃないでしょ」
「アハハ。手厳しいね」
そんな会話をしていると突き当りの部屋に着く。
「さ、ここだよ。入って入って」
白江が開いた扉の向こう、黒革のでかいソファが二対、机を挟んで置いてあるだけの質素な部屋だった。
「まぁ、掛けてよ」
白江に指された椅子におとなしく座る。
「ここは普段入団面接に使う部屋なんだ。意味は分かるかな?」
ニヤニヤと笑って俺を舐めるように見る白江。モデルでも出来そうな位に美形だが、それが無性に腹が立つ。
「俺を入団させたい。そういう事でしょ」
「そうそう。物分かりが早くて助かるよ」
「どうも」
白江の体勢が前のめりになる。
思えば俺はこいつら何をしたいのかすら知らない。ただ自分たちの地位の為に力を振りかざして、俺や世間に牙を剥いている。漠然とそんな印象だ。
「君にとっても悪くない話なはずなんだ。その体じゃ生きにくいでしょ? だから僕と一緒に変えよう。山口と檜山の件は謝るよ。もちろん今回の事も。でも君はそうでもしないと来てくれないでしょ?」
「オートマタ解放戦線は何がしたいんだ」
「よく聞いてくれたね。僕たちは人間と共存がしたいんだよ。ただそれだけ」
「共存じゃなくて支配でしょ」
「そうとも言うね。現に人間を支配したから君はここに居る」
「どういうことだ」
「檜山の時の石川さん、だっけ? 彼女にちょっとお願いしたら簡単に君を彼女から引き離せた」
悪びれる様子もなく淡々と語る白江。俺は黙って睨む。
「君だって知ってるはずだよ。オートマタに対する理解が世間は足りていない。人間は法の力で僕たちを排除しようとしている!」
徐々に強くなっていく語気に対し俺は自分でも驚くほどに冷めていた。
「それで?」
「はぁ? ここまで来たら分かるでしょ。力には力で答えなきゃ。君の力は人間との共存になくてはならないものだ」
俺に手を差し伸べる白江。対して俺は椅子から立ち上がる。
「あぁ。確かに俺もこの体になってから人と共存がしたい。そう思う様になった。こんな体になるまでは考えもしなかったよ。確かに力が無ければ自分の主張すら聞いてくれないもんな。世間は」
俺は白江の手を取る。
「そう来なくっちゃ。やっぱり君は最高だよ。さぁ、集まった馬鹿な野次馬共を適当に殺して見せつけよう。オートマタはこの世を支配するものだと知らしめてやろう!」
俺の手を強く握り返す白江。
「あぁ……。やっぱダメだわ」
握手をしながら俺は大きくため息を吐いた。
「ん? 何がだい?」
ダメだ。俺の事を褒めていいのは京香さんだけだ。
「いや、なんでもない。ただ俺の力を存分に使って世間に見せつけようと思ってね」
「そっか――っ⁉」
白江が微笑んだ瞬間、手を全力で引く。机につんのめる様になった白江の後頭部に腕を振り下ろし、机ごと叩き割る。
メキっと木の折れる乾いた音が響く。
「ぅぐ⁉」
「お前をぶっ斃してなァっ⁉」
うつ伏せになった白江を全体重を込めて踏みつける。
「ぐほぁ!」
間抜けな呻き声を上げる白江と共に踏みつけた床にヒビが入る。
最初は小さかったヒビは次第に拡大し、重みに耐えられなくなった床は下の階に崩れ落ちる。
俺と白江はそのまま二階に向かって落ちる。落下中、俺は一人の人影を見つけた。
「京香さん!」
着地と同時、俺は白江には見向きもせず京香の方へ走る。
「健太君!」
手を後ろで縛られた京香が俺の名を叫ぶ。隣にはマリーが置いてある。一日監禁されたせいで少しやつれたような表情だが、目立った外傷は無さそうだ。
「大丈夫だった⁉」
「うん。少し乱暴されたけど大丈夫。ありがとう、来てくれて」
腕を縛っていた縄を解くと京香は俺の頭を撫でてくれる。
あぁ、やっぱり京香じゃないとダメだ。
「やってくれたね……」
背後から白江の声が聞こえる。俺はそちらに向き直る。
「京香さん、すぐに逃げて。あいつは止めておくから」
「うん」
京香は返事をし、近くにある非常階段から出ていく。それを確認して立ち上がった俺は白江を睨む。
未だ土煙が舞う何もない部屋で白江のシルエットがゆっくりと見える。
「君も分かってくれないのか……バカな人間と同じ様に……山口や檜山、その部下の様に……」
「山口と桧山……? どういうことだ」
「簡単な話だよ。君みたいに綺麗ごと並べて逆らってきたら半殺しにして、無くなった部位はオートマタに改造して、部屋に閉じ込めたらすぐに僕の手下さ」
「クズがっ……!」
ポケットからシードを取り出し飲み込む。短期決戦だ。
『熱暴走を確認。人口皮膚、融解確認。嘔吐までの時間を表示します』
すぐさま俺の体は熱暴走を初め、赤く輝く。
「君も今からそうなるんだ……」
「言ってろっ!」
一気に白江との距離を縮めた俺は拳を振るう。
「ッハハ! 当ててごらんよ!」
俺の拳は全て躱されカウンターのストレートを顔面に食らう。
「っぐ!」
少しよろめいたが大丈夫。威力は低い。
「まだだ!」
今度は足に向かってローキックを振るがこれもバックステップで躱される。
「ッち!」
舌打ちをしながら更に肉薄。両拳でのラッシュを繰り出す。
「無駄だよ」
それを俺の隣に回り込む様に避けた白江は俺の腹を蹴り上げる。
「うぅ⁉」
一発も当たらない。今までの奴らを成す術もなく打ち砕いた俺のスピードが叶わない。
「君、全身オートマタのなんだろ? 僕もそうだから分かり合えると思ったのに」
蹲る俺を見下ろす白江。
「残念だよ……」
さっきの俺の様に踏みつけようとする白江の足を転がった回避。白江の方を見る。
「諦めようよ。君の攻撃は当たらない」
「うるせぇよ……」
「かかっておいで」
手招きする白江。
「おるぁ!」
突っ込む俺を、体を傾け躱す白江。やはり当たらない。
「君が力尽きるまでいくらでも付き合ってあげるよ」
最初は当てられたのに。今は当たる気配も無い。
「だったらっ!」
俺は室内中を駆け回る。壁を蹴り、天井に跳ね返り、部屋がぶっ壊れる音を置き去りにしながら白江を囲む。
「早いね……」
白江を捉えながらスピードを上げ続けるが白江は正確に俺を目で追っている。
だがそれは距離があるから。この包囲網を小さくしていけば捉えられないはず。
じわじわと距離を詰めていく。
「そろそろビルが壊れちゃうよ?」
移動を続ける俺と白江がぶつかりそうな程近くなり、拳を突き出して白江に突っ込む。
「はいそこ」
突っ込む俺の方を白江が振り向き、目が合う。
「クソッ!」
ひらりと避けられた俺は壁に向かって突っ込んでしまう。コンクリート一枚では勢いを消せなかった俺の体はビルの外に飛び出てしまう。
――ドォォン‼
コンクリートが砕け散る爆発音を響かせ道路に落下する俺を野次馬が迎える。
「きゃぁぁ!」
「なんか飛び出したぞ!」
「赤いオートマタだ!」
そんな声が聞こえる。落下地点に居た人間がその場から退き、地面に叩きつけられる。
「ぐぅぁ……」
すぐに跳ね起き、開けた穴に向かって跳ぶ。
「おかえり」
着地した俺を白江が笑顔で出迎える。
「結構人間が集まってるみたいだね」
「……」
衝撃で体が軋む。白江の言葉を返す余裕はない。
「そうだ。最高のショーにしよう。君、人間の味方でありたいんだろう? そんな君を斃してバラバラに解体して晒上げれば人間は嫌でもオートマタ解放戦線の力が分かるはずだ」
そう言った白江は俺に近づき首を掴む。
「まずは舞台からだね」
首を掴んだままの白江はその場で跳躍。天井を突き破って三階へ。
「今からこのビルを壊すから。瓦礫に埋められたくなかったら屋上で待ってて」
そうして白江は足早に一室へ姿を消す。
「クソ……」
あの口ぶり、白江は必ずビルを潰すだろう。こんなところで埋もれ死ぬわけにはいかない。
非常階段の扉を開け、跳躍。途中踊り場に二回ほど着地してまた跳躍。
一気に屋上にたどり着く。
「はぁ……はぁ……かなり居るな……」
大通り側まで歩くと、ビルの前にかなりの人だかりが出来ている。
表示はあと二分。一発さえぶち込めばあいつは倒せる。時間はまだある。
「お待たせ」
俺と同じように階段から跳躍してきた白江は小さなボタンを持っている。
「これ爆弾のスイッチ。ビルは壊せるけど小型だから町の人間には危害は行かないよ。近くにいる奴らは知らないけど」
「離れて‼」
俺が眼下の人だかりに叫んだと同時、
白江は躊躇いなくそのボタンを押した。
――ドドドドォォォォ!
地響きのような音と共に足場が崩れ始める。
そのまま俺と白江は落下。爆発によってぺしゃんこになったビルの上に着地する。
土煙の中、集まった人の悲鳴が幾つも聞こえてくる。
「さぁ! 立派な舞台が出来た! 続きを始めよう!」
満面の笑みで両手を広げる白江。
「ふざけやがって……」
再び殴りかかるがまた躱される。
瓦礫に激突し派手に土埃を巻き上げる。
「ッハハ! 見ているか人間! お前達が信じた赤いオートマタがこの様だ! 僕に逆らったらどうなるか、こいつで教えてやるっ‼」
この戦いを見ている市民、警察、テレビカメラに向け高らかに声を上げる白江。先ほどまでの悲鳴は消え、街が静まり返る。
「立てよ。赤いオートマタ……どちらが正義か決めよう。勝った方が正義だ!」
「上……等だ……」
瓦礫をどけ立ち上がる。オートマタの素体は歪み、度重なる衝撃で視界がブレる。残り一分。
それでも煌々と赤く光る体を動かし白江に向かって行く。
「立て! あんな奴の言いなりになんてなるな!」
「私たちを助けて!」
人々はボロボロの俺に声援を送る。忌み嫌ってたオートマタを応援している。
「おらっ! おらぁ!」
大振りになる俺の拳は俺と目を合わせ続ける白江に当然躱され、空振りした勢いで体がふらつく。
「無駄だ!」
そして顎先に全力のカウンターが入る。俺の体は衝撃に耐えられず吹き飛ばされる。
「全部見えてんだよっ!」
見えている……。こいつはどんな攻撃をしてもこいつは俺を見ていた……。
俺は吹き飛ばされながらそう思った。
瓦礫を転がり、立ち上がろうとするが体が震える。やっと分かったのに。体が動かない。
残り十秒。
間に合わない。また立ちあがっても、あいつに向かう途中で時間切れだ。
五、四、三、ニ、一。
俺は蹲ったまま時間切れを迎えた。
「ぅぅぅぉぉおおぇぇぇ……」
人生最悪の嘔吐だ。こんなに気分の悪い嘔吐をしたことは無かった。群衆に見られ、ただでさえ見て欲しくないのに、グチャグチャになった体で無様に蹲って醜く吐いている。
――びちゃびちゃびちゃ……
口から吐き出される赤い吐瀉物が虚しく地面に叩きつけられる。赤く光っていた俺の体は光を失う。
それを見た周りの人々はどよめき、困惑に陥る。「俺を見るな」と叫ぼうにも喉に残った吐瀉物がつっかえる。
「ッハハハハハ。アハハハアハハハアハハハハアハハハハハハ‼」
それを見た白江は頭を抱え俺をあざ笑う。
「見たか人間! お前たちを守ろうとした男の惨めで恥ずかしい姿を! ッハハ! 醜く嘔吐して、声援を送る人間に見せつけて。俺ならまっぴらごめんだねこんなヒーロー‼ まだやるのか! 吐きながら人間の為に戦うつもりか⁉ そこまでして守る義理があるのか⁉ 醜態を晒してまで⁉」
白江の声に困惑すら掻き消え、再び町は鎮まり返る。
ダメだ。勝てない。もう立ち上がろうとするだけで体がガタガタ震える。俺の負けだ……。
それに嘔吐という最大の醜態を大勢に見られた。もう終わりだ。
「そんな事無いっ‼」
静寂の中喉が張り裂けそうな程の声が響く。
周りの警察の制止を振り切って瓦礫に現れたのは、
「石川、さん?」
石川さんは白江と俺の間にずんずん入っていき、仁王立ちをする。
「私達の為に戦う彼が恥ずかしい訳が無い! 私たちに恐怖だけで見せつけるあんたの方が嘔吐するよりよっぽど恥ずかしい!」
肩を揺らし、震えながら石川さんは叫ぶ。
そして石川さんは自分の喉に指を押し込んだ。
「石川……さん……」
「うぅぅ⁉ ごほっ! ぉえぇぇぇぇぇぇ……」
そして石川さんは俺と白江、周りの人間に見せつけるように嘔吐した。
誰もが黙ってその嘔吐を見た。顔を歪め、大口を開けて、涙を浮かべながら嘔吐を続ける。
それをその場に居た人はもちろん、中継を見ている日本全国の人間が見た。たった一人の嘔吐をかつてこんな人数が見た事があっただろうか。誰もが生唾を飲み込んで見入っている。
そして。
「うぉぉぉ! その通りだ! 赤いオートマタ! お前は恥ずかしい奴なんかじゃねぇ!」
「吐くなんてあいつよりもよっぽど人間らしいじゃねぇか!」
「弱点があるヒーロー程応援したくなんだよ!」
誰が叫び始めたか、人々は思い想いの言葉を叫び、皆喉に指を突き刺した。
そして皆躊躇うことなく道に嘔吐する。
それはこの場の人間だけではない。テレビ中継を見ていた人も、それを抑えるはずの警察さえも。
この瞬間、日本中が嘔吐した。
「バカな⁉ なぜそんなことが出来る⁉ 嘔吐だぞ⁉ そんな行為を何故肯定できる⁉」
白江は顔を歪ませ辺りを見回す。視界に入る誰もが恥ずかしげもなく吐瀉物を地面に叩きつけている。
「あんたの方が恥ずかしいからこれ位の事! 恥ずかしくもなんともないのよ!」
石川さんは白江を指差し叫ぶ。
「健太君!」
俺の元に京香が駆け寄ってくる。
「京香さん……」
俺の隣に来てくれた京香は俺だけに聞こえる囁き声で話す。いつもトイレでしているように。
「まだ戦えるよね?」
「うん。これ見て動けなかったら俺が一番恥ずかしいっ……!」
「うん。いい子。早く終わらせて、お家で吐こうね」
「うん!」
「これ使って」
手渡されたのは一粒のシード。
「え? もう飲めないんじゃ……」
「短時間で二つ以上飲んだら安全装置が作動してすぐに吐くようになってるの」
「そういう事か……」
京香の思惑を一瞬で理解した俺は深く頷く。
やっぱり俺は吐かなきゃ何も出来ない筋金入りの嘔吐フェチのようだ。
受け取ったシードを握り締め立ち上がる。
いつの間にか石川さんは退いて俺と白江の間には何もない。
「……っくそがっ! ゴミ共が! コイツをスクラップにしてすぐに黙らせてやる!」
「一発で終わらせてやるよ」
俺はシードを飲み込む。一瞬で体は再加熱。赤い輝きを取り戻す。
『規定時間内に複数量のシードを検出。安全装置作動します』
「白江ぇぇぇぇぇぇぇ‼」
俺は走り出し一気に加速。一瞬でトップスピードに入る。
「だから全部見えてんだよッ‼」
俺は白江と視線を合わせたまま突き進む。白江は目を見開き俺から視線を離そうとしない。
拳を突き出し、白江に接近した時、安全装置が作動。胃袋の底から湧き出る赤い吐瀉物を白江の顔面に吹きかける。
「何ぃ⁉」
視界を赤く染められた白江は俺を見失う。
「オラァァァ!」
体の光を失った俺が勢いそのまま白江の体に拳を叩き込む。
全身全霊を込めた俺の拳は白江の胴体を貫いていた。
「うぐっ……。僕が……こんな、ゲロ野郎に……こんな……ゴホッ……」
そうして白江は膝を突いて動かなくなった。
「お前には吐く権利もねぇよ」
拳を引き抜きその場に四つん這いになる。
――ワァァァァァァ!
そんな俺を大歓声が包み込む。
「健太君‼」
走って来た京香が俺の肩を抱く。
「ごほっ! ごほっ! まだ残ってる……みたい」
「うふふ。まだ吐き足りないの? 欲張りさん」
微笑んだ京香は俺の喉に指を突き刺す。細い指が俺の口蓋垂に当たり、甘い感覚が体を襲う。
「うぇ……おおぉぉぉぉおぉぉぉぉ……」
瓦礫の山の上、もう一度吐いた俺にその場に居た誰もが歓声を上げた。
※ ※ ※
「やっと健太君にご飯が作れるね」
白江との戦いの後、嘔吐の匂いが充満する瓦礫の上から警察が手配したパトカーに乗って家に帰った京香と俺は夕食の準備をしていた。
「一日しか経ってないのに凄い久々に感じるよ」
キッチンでフライパンを振る京香をカウンター越しに眺めながら俺は心からの安堵に浸っていた。
帰ってすぐ新しい皮膚に着替え、お互いにいち早くこれまでの喧騒を忘れるように努めて日常に戻った。
『続いては本日発生しましたオートマタ解放戦線と名乗るテロ集団と赤いオートマタとの抗争のニュースです。主犯とされるオートマタ解放戦線の白江容疑者は警察が身柄を確保し、損傷した体の修繕を待って事情聴取をする予定です。また赤いオートマタに関しては明日、警察での事情聴取が行われる予定です』
ぼーっと眺めるニュースで今日の事の顛末が淡々と報道されている。
『彼はこれからの世論を大きく覆す存在になり得ることでしょう。敬意を籠めて我々は彼を人から生まれ変わり、嘔吐で常識を覆す存在、“リバースマン”と呼ぶことにします』
「ふっ、なんだそれ、蔑称だろそれ……」
呆れてテレビの電源を切る。言葉とは裏腹に俺の口角は上がっていた。
白江を倒した俺は明日には警察に出向かないといけないし、京香も無認可のオートマタを保護していることでこの後の生活は大きく変化してしまうだろう。
だが今見た報道では俺を含めたオートマタの生活は以前のものよりより良くなるだろう。
俺の名前は別として。
「そろそろできるよ」
「うん。準備するね」
京香の合図でテーブルの上を軽く綺麗にする。歪んだ素体は未だに軋み、普段なら出来る簡単な動作も一苦労だ。
「いいのよ。私がやっておくから」
「いやでも悪いよ」
「ふふ。優しいのね。じゃあお願いしようかな」
それを分かっている京香は家に帰って応急処置してから健太を一切動かそうとしない。
が、健太の申し出に満足そうに微笑むと料理をテーブルに並べる。
「さ、召し上がれ」
「ありがとう。いただきます」
京香が作ってくれたのは俺の好物のオムライス。京香にはオムライスが好きだと伝えていなかったはずだが……。
「京香さんこれって」
「あれ? オムライス好きでしょ? 違った?」
「いや違わないけど……」
「ふふっ。健太君嬉しそう」
京香に言われ自分の頬に手をやると確かに俺の口角が上がっている。
「い、いや! これ、えっと……」
「ずっと健太君の事見てたんだから。今の健太君が一番可愛いけど」
いたずらっぽく笑う京香。その顔で見られるとより恥ずかしくなってくる。
「そ、そんなこと言って、笑ってる京香さんだって、可愛い……よ」
今まで可愛いと言われっぱなしだった俺の口は勝手に京香に可愛いと言っていた。口にした途端恥ずかしすぎて詰まったけど初めて京香に可愛いと言った。
さすがに調子に乗ってしまったかと、うつむいてしまった。ゆっくり顔を上げると京香もまた俺と同じようにうつむいていた。
「京香さん……?」
「何よ……」
「へ……?」
「何で急にそんな事言うのよ……」
京香の声がいつになく低い。やっぱり怒らせた……。調子に乗ってしまった……。
「急にそんな事言わないでよぉ……」
俯いたまま京香の肩が震えている。声もちょっと震えて、鼻を啜ってる音も聞こえるような……って泣いてる?
「ご、ごめん京香さん! 変な事言っちゃったよね⁉」
「もう一回言って……」
「え?」
「今の言葉もう一回言って」
「えぇっと……。京香さん。可愛いよ。好きだよ」
改めて言わされるとより恥ずかしい。俺の声が掻き消えて京香の息遣いが聞こえる程に部屋が静まり返る。
俺に心臓があったなら爆音で聞こえてきそうな位だ。
そして、まだ心の準備すら出来ていない俺に、黙ったままの京香が顔を上げる。
「……っ!」
俺の方を見た京香の顔は今まで見たどんな顔よりも美しかった。涙ぐんだ目も、俺の言葉で弛緩した口元も、初めて見た赤くなった頬も。
俺はその時、もう一度京香さんに恋をした気がした。
「な、なにずっと見てるの! 今日の健太君は悪い子よ……」
「ご、ごめんっ!」
初めて焦った京香を見て慌ててオムライスに集中する。今まで母さんのオムライスが一番美味いと思っていたけど、京香の作るオムライスはそれに負けない程美味しい。
その間も京香は俺の方をずっと見ていたけど、次京香を見ると何て言われるか分からない。
あっと言う間に平らげ、空になった皿を見せつけるように京香に差し出す。
「ふふふ。そんなに急がなくてもちゃんと吐けるよ?」
「でも、早く吐きたかったから……」
「せっかちさん。ご褒美はどうされたいの?」
京香が手を差しのべる。何度も見た微笑み。だが今日は一段と妖艶に見える。
「京香さんに、指、入れられたい……です」
そう言いながら京香の手を取る。
「ふふっ。変態さん」
俺の手を握り返し満足そうに微笑む京香に腕を引かれ、俺たちは今日もまた嘔吐をしにトイレへと向かう。
今回で一旦完結です。
ここまでを第一部にして、続きも考えていますので、またいつかの更新をお待ちいただけますと幸いです。