13:底知れぬ悪意
片付けを終え、風呂から上がって薄手の部屋着に着替えた京香と並んでソファでさっき見た動画の続きを見る。
これまでより京香と俺の距離が近い気がして落ち着かないけど、気にしていないふりをしている。
「結構いろんな人が動画出してるな……」
「そのくらい影響があったって事だよ。かっこよかったし」
俺を褒めたたえるような動画を見終わった。画面には次の関連動画が何個か並ぶ。
「ん? これ……」
その中に一つ。【オートマタ解放戦線】とタイトルの頭に書かれた動画を見つける。
「京香さん、あの動画流してほしい」
「うん。そう言うと思ったよ」
素早くリモコンを操作し、動画を再生する。
画面には眼鏡をかけた男が一人座って写っている。
『どうも。赤いオートマタさん? 見てますかね。今回はうちの山口が大変お世話になったようで……。まぁ使い捨てでしたが。あ、私は│檜山です。普段は表に出ないんですがね……』
顔を晒し、声に加工もせず淡々と語る檜山と名乗った男。俺は黙って画面を見つめる。
『あれでも仲間想いの良い奴だったんですよ。性格はゴミでしたが……』
丁寧な言葉遣いをしながらもところどころに棘のある物言いをする檜山。
『私ね、少し気になったことがありまして……あなたの存在が初めて世間に知れ渡ったあのコンビニ。どうやら店員の女と仲良くしていたらしいですね……名前は言わない方が良いですよね。一応プライバシーですものね』
「っ!」
なんで石川さんと俺の事を……。あの時は誰も居なかったはずなのに。
『気になりますよね? なんでお前がそんな事知ってんのかって。誰も居なかったのにって感じですか?』
話し続けるにつれて段々と口角を吊り上げる檜山。
『こいつ、見覚えあるでしょ?』
そう言って画面端に手を伸ばし、一人の男を引きずり出す。
「……これは」
「ひどいわね……」
顔中痣だらけで腫れ上がり、口をテープで塞がれた男。
カメラを見つめる表情は憔悴しきっている。
隣に座る京香は俺と同じく不快そうに顔を歪める。
「この人……どっかで」
どこかで見たような気がする。それもオートマタになってから。だが原型をギリギリ留める程に腫れた顔ではピンと来ない。
『分かりました? まさか分からないってことは無いですよねぇ? あなたが助けた人なんですから』
「あっ!」
思い出した。コンビニに突っ込んだ車の運転手だ。
『これで思い出したでしょう? あれ? まだかもしれませんね?』
眼鏡男は立ち上がり「念の為」と呟きながら、素体丸出しの右腕で運転手の男を殴りつけた。
『ほらっ! あの時! こんなっ! 感じでっ!』
四回程殴りつけてから運転手の後頭部を掴みカメラに近づける。
『ボロボロになっていませんでしたかぁ?』
近づけられた運転手は鼻から血を流しその場に倒れる。
「なってねぇよ……」
『ま、余興はこのくらいにして、さっきの男からコンビニの女とあなたの事を聞きましたよ。なんで、その女を人質にでもしようかなって思ってます。そしたらあなたも私の仲間になってくれるでしょ? 明日また動画を出しますね』
飽きたかのように早口で要件を言い終えた檜山は、唐突に動画を終わらせた。
画面には次に再生する動画のリストが淡々と表示される。
「京香さん、俺っ……!」
動画が終わると同時に立ち上がって京香の方を見る。握った拳に自然と力が籠る。
人口皮膚がずれる感覚があるが、そんな事気にならない。
「何も言わなくていいよ」
立ち上がった京香が俺の拳に手を添えてくれる。その手は肩と腰に回り、俺を抱きしめる。
「まずは石川さんの心配をしなくちゃね……?」
子供に言い聞かせるように耳元で囁く京香、吐息が少し耳にかかって甘い感覚が背筋を伝う。
「そうだね……連絡しないと」
京香の声で錯乱しかけた俺の頭が冷静さを取り戻し、すぐにスマホを取り出して石川さんに電話をかける。大学の時連絡先を交換しておいて良かった。
――プルルルル……
「頼む出てくれ……」
無機質な呼び出し音が俺を焦らせる。
――プルルルル……
「高橋君? どしたの急に」
「石川さん! 今どこにいる? 家っ⁉」
「なになに急に……家に居るけど……」
俺の焦りと対照的に石川さんは呑気な声を上げる。
「今から俺が行くまで家から出ないで! 絶対に!」
「ちょっと、ほんとに何? 急に」
「今行くから! 住所送って!」
戸惑ったままの石川さんとの電話を乱暴に切って京香の方に向く。
「石川さん、家に居た!」
「うん。行こっか」
焦ったままの俺の顔を見て京香は微笑む。
二人並んで速足に玄関に向かう。
「シード持ってない?」
ポケットの中には何も入っていない。
「ちゃんと私が持ってるよ」
履いているズボンのボケットからシードが入った小瓶を俺に見せてくる。
「よし、行こう」
玄関の靴棚の上にあるヘルメットを取り石川さんの家へと向かった。
※ ※ ※
十分程歩くと石川さんが送ってくれた住所の近くに着いた。
「うん。このアパートだ」
眼前のアパートの三階に石川さんは居る。
「健太君。念の為ヘルメット被って」
呟くように言った京香。アパートを見たまま俺にシードを渡してくる。
「うん。京香さんはここで待ってて」
ゆっくりとヘルメットを被りバイザーを下げる。
「行ってらっしゃい。スマホ預かってるよ」
「うん、ありがと。行ってきます」
俺の肩を叩いて送り出してくれる京香。京香にスマホを渡し、いざアパートへ向かう。
石川さんは三〇五号室。一気に階段を駆け上る。
――プルルルル……
「……っ!」
三階の廊下に達した時、ヘルメットの中に着信音が鳴り響く。
「びっくりした……」
体を震わせてバイザーに映る『着信:京香』の文字を読む。
二回目のコール音の途中で音が消え『通話中』に切り替わる。
「健太君、聞こえる?」
「京香さん⁉」
「ふふ。びっくりした? スマホと繋げて電話に出れる様にしてみたの」
「なるほど……なんでもできるね」
京香の底知れない技術力に素直に感心する。
ていうかここまで来たら完全にアメコミヒーローだな……。
「そのまま部屋に入って。電気はついてるからまだ襲われてないと思う」
「うん。了解。今から入るよ」
「じゃ、何かあったら連絡してね」
京香と通話を切って三〇五号室の前に着き、チャイムを鳴らす。
―――ピンポーン
軽やかな音がこだまする。が、部屋の中からの反応は無い。
「石川さん……出てくれ」
―――ピンポーン
二回目のチャイムを鳴らし、音が鳴り響く。音が反響して消えるが反応は無い。
「ダメだ……」
ドアノブを握って捻る。何の抵抗もなく扉が開いた。
「……っ! まずいッ!」
乱暴に扉を開け、部屋の中に突っ込む。
最悪のビジョンが頭をよぎる。
キッチンが付いた廊下を駆け、ワンルームの部屋に転がり込む。
「石川さん!」
「こんばんは赤いオートマタさん」
俺を出迎えたのは石川さんの声では無かった。
視界に映るのは、眼鏡をかけ、細身の体をワイシャツとスキニーパンツで包んだ男。
嫌でも間違えないその顔を俺は鋭く睨む。
「檜山ッ……!」
檜山の隣には両手を縛られ、口を布で塞がれたた石川さんが座っている。
「どうでした? 石川さんの演技。中々の名演技だったでしょう? 監督は私なんですがね?」
石川さんの物だと思われるスマホを手で弄ぶ檜山。
「すぐに石川さんを解放しろ……」
「いやいやいや。嫌だな。順番が違うでしょ。あなたがどうするのかを聞かないと何にも出来ないって」
半笑いでヘラヘラと答える檜山。
「あなたが私の仲間になるかどうかを聞いているんですがね。黙ってんなよ」
ヘラついた顔が次第に真顔に変わってゆく。
「サーモグラフィ起動……」
「あ? なんて?」
俺の小さな独り言を聞き逃したのか檜山は耳をこちらに向ける。
『視界をサーモグラフィに変更』
「お断りって言ったんだよ」
切り替わった視界、赤く映る檜山の左半身に向け突進する。
肩で檜山を突き飛ばすように体当たりをぶちかます。
「うぐっ!」
金属で出来た体を生身の側の体で受けた檜山は堪らず後方に吹き飛ぶ。
後ろにベッドがあり、衝撃は少ないが石川さんとの距離が出来た。
「石川さん!」
すぐさま石川さんに駆け寄り口の布を解く。
「ひぐっ……高橋君っ……」
瞳に涙を浮かべ俺に体を委ねてくる。恐怖に染まった顔に俺の顔を近づけ声を殺して涙を流す。
「俺の後ろに居て。絶対守るから」
と肩をしっかり掴んで伝える。
「うんっ! うんっ!」
恐怖なのか安心からなのか、更に涙を流しながら頷く石川さん。
「カッコいいですねぇ。正義のヒーロー。ちょっと行儀が悪いですが。初めましての人を突き飛ばすなんて。私のお願いは拒否と捉えていいですかね」
視界の先。ゆっくりと立ち上がる檜山。
サーモグラフィで温度を見るとさっき見た通り、左腕には血が滲んでいる。反対の右半身は皮膚が破れたのか素体が露わになっている。
「さて、バラすしかなくなったんですが何個か聞きたい事もありましてね」
「お前に話すことはない」
「いいえ。嫌でも喋ると思いますよ」
またヘラヘラと笑い、人差し指で眼鏡を上げる檜山。俺はそれを睨んだまま警戒を緩めない。
「ハハッ!」
目を見開き嗤った檜山は、俺に向かいって右腕を振りかぶって鞭のように振るう。
フルスイングで振るわれた檜山の腕は、二メートルはあった俺との距離まで伸びてくる。
「ッ!」
伸びてきた腕を、体を捻り咄嗟に避ける。
「お前はヒーローに向いてねぇよ」
俺が避けた瞬間、冷たく言い放った檜山は腕を引き戻すように腕をしならせる。
「きゃあぁ⁉」
背後で石川さんが叫び声をあげる。
「ハハッ! こっち戻ってきてくださいよっと!」
伸ばした右腕の付け根、右肩から駆動音と排気音を上げ、腕が元の長さに戻されてゆく。
「高橋君! 助けて!」
「石川さん!」
檜山の腕に引きずられ、こっちに手を伸ばす石川さん。俺も手を伸ばすがもう届かない。
一瞬で人質の石川さんを奪われてしまった。
「はい、油断した。さて、お話ししましょうかね。高橋君?」
「……!」
挑発するような口調と顔。睨んで歯を食いしばるしか出来ない。
「高橋君……」
檜山に捕まれたままの石川さんは再び恐怖で顔が歪み、涙で顔を汚す。
その石川さんを一目見て俺は溜息を吐く。
「話は?」
「賢いですね。良い選択です。では……」
満足げに嗤った檜山は俺を指差す。
「あなたを造ったのは誰ですか?」
京香の顔が脳裏をよぎる。ダメだ。絶対に話してはいけない。
「それは言えない」
「そうですか。では次。あなたの改造はどのような改造ですか」
驚くほどあっさり質問を変えてくる檜山。
今後の為にはこのまま拒否し続けるのも手だが石川さんが危ない。
「赤く光って体中が熱くなるんだよ」
パワーが上がるだとかの効果は伏せる。
「ほぉ。だから皮膚が溶け、素体で戦ってたって事ですか」
「あぁ」
「なるほど。発動条件は?」
「錠剤を飲むんだ」
「全身オートマタが錠剤……ハハッ。皮肉ですね!」
「ほっといてくれ」
一通り嗤った檜山は生身の腕に巻かれた時計を見る。
「もっと聞きたい事はありますが、あなたの情報はこんなもので良いでしょう。戦闘は専門外ですし、あなたをバラして帰ります」
そう言いながら石川さんを掴んだ腕を伸ばしながら俺に近づいてくる。
「石川さんの事、いつでも殺せますからね? 抵抗しちゃだめですよ? ヒーロー?」
「あ゙ぁぁ……」
腕を握られた石川さんがうめき声をあげる。
「やめろッ!」
「いいですねぇ……。実に正義の味方だ」
にやりと口を歪めた檜山が右足で俺の腹に蹴りを叩き込む。
「うぐっ!」
痛みは無いが衝撃で床に膝を突く。
「ほらっ! おっら!」
嗤ったままの檜山は顎を蹴り上げ、跳ね上がった喉を突きさすように蹴る。
「ぐほっ!」
衝撃に耐えかねた俺の体は壁まで吹き飛ばされる。
「離れても無駄ですよ。手足伸びるんで」
半歩助走をつけ、座り込んだ顔面に伸ばした足を叩き込まれる。
「あぁ……」
おそらく何かの機構で速度を高めているのだろうさっきよりも強い衝撃が俺を襲う。
痛みがない分、衝撃に対応する余裕はあるが、自分の身体がどの程度痛めつけられているかが分からない。
あと何発この蹴りを受けれるか……。
「もうくたばりましたか? さっき撮った運転手のおっさんよりもあっけないですよ?」
「……全然効かねぇよ……っ!」
「あなた全身オートマタですもんね。そりゃ効かないでしょ」
「あぁ?」
口では威嚇をするが実際何もできない。シードを飲んで戦うことも考えたが石川さんがどうなるか、どうされるかを考えるとそれもできない。手詰まりだ。
『健太君? どうなってるの⁉』
このまま隙を見ようとしていたその時、京香の声が響く。
「え?」
『あんまり帰りが遅いからヘルメットと繋げたの。私のスマホで健太君の身体をモニターしてる。何か問題が起こってるのね?』
バイザーの画面には『通話中:京香』と表示されている。
僥倖。この通話は檜山にはバレていない。
「今からお前と石川さんを窓から突き飛ばす! 覚悟しておけよ……」
頼む……。伝われっ……!
「ハハッ! 何を言うかと思えば。面白い」
『うん。わかった』
俺の耳に二つの返事が届く。通話中の表示も消えた。
「よし」
それを確認し、俺はシードを飲み込む。
『熱暴走を確認。人口皮膚、融解確認。嘔吐までの時間を表示します』
飲み込んだ瞬間、全身を赤い管が包み込み、高温を帯びる。人工皮膚はズルリと解け落ち、素体のみの身体をさらけ出す。
バイザーを完全に下し、口元のガードが飛び出す。
「ハハッ! やっと見れましたよ。赤いオートマタ!」
「それはどうも」
熱を上げる俺の身体。檜山が陽炎の向こうで嗤う。今は時間を稼がなければ。
「いい。ますます我々の一員にしたい……」
「余裕なんだな。山口もそんな感じだったけど」
なるべく話を長引かせるような話題を持ち出す。
「山口ぃ? あいつと一緒にしないで欲しいんですが」
「そうか? 俺は同じに見えるけど? 自分の理想を相手に押し付ける。おこちゃまだよ」
「言いたい放題ですね。何も知らないガキが……」
「自分の行動振り返ったら?」
俺は石川さんを見る。檜山に掴まれたまま静かに涙を流している。
「仕方がない犠牲でしょう? 目的に続く道の虫に過ぎないでしょ」
「目的?」
「ええ。オートマタ解放戦線はオートマタの超人的な力を使って人間を支配する! この世の支配構造を変えるんですよ。オートマタが生身の人間を支配する。興味ないですか?」
「クソ野郎共がっ……!」
「何とでも言ってください。あなたこそ我々に排除される虫なのですから」
会話が終わり、長い沈黙が訪れる。
「で? 突き飛ばさないんですか? もうお喋りはいいでしょう」
表示されている時間を見る。残り三分半。まだだ……。
「あぁ……来いよ」
「ハハッ! では、遠慮なくっ!」
鞭のような軌道で振るわれる右足を腕で弾く。
「もっと行きますよ」
元に戻した足を何度も何度も振ってくる。それの全てを受け流す事だけに集中する。
弾くたびに檜山の足は加速していき、金属同士がぶつかる甲高い音が響く。
腕に走る衝撃も加速度的に増していく。
「っく!」
「ハハッ! 防ぐだけでやっとですか?」
飛び道具が無い俺は降りかかる足蹴をはじき返すだけで手いっぱいだ。
「まだまだ……蹴りが入ってねぇぞぉぉぉ‼」
加速しきった足を殴り返し、俺と檜山の視線が交錯した時、視界にメッセージが移る。
『京香から一件のメッセージ:準備できたよ』
「ッシ!」
横目で確認し短く息を吐いた俺は両足に力を籠め、檜山に突進する。
「無駄だっ!」
俺の突進に合わせて檜山が右足を振るうが、かすりもしない。
檜山の蹴りとは比べ物にならない速度へと一瞬で到達した俺は檜山の鳩尾へ掌底を叩き込む。
一撃。まさに赤い光になった俺は先ほどまで檜山が居た場所に立っていた。
「ぐほぁぁ!」
部屋の入口の反対側、ベランダの窓ガラスの方へ吹き飛んだ檜山はそのままガラスを割りながらベランダの外へと落下していく。
「きゃぁぁぁ!」
檜山に握られたままの石川さんもそれに連れられるようにベランダへ引きずり込まれてゆく。
「だぁぁっ!」
しっかりそれを視認し、ベッドにあった布団を片手に抱えベランダへ再加速。
ベランダの手すりからから地面へと垂れ下がっている檜山の腕を掴み、石川さんの落下を防ぎ、加速の衝撃と俺の熱は石川さんを毛布ごと抱きかかえて少なくする。
結果、石川さんは落ちることなく布団ごと俺の腕の中に納まった。
「た、高橋君……」
「よし、間に合った。もう大丈夫」
石川さんにできる限り優しい声で話しかける。
「ごほっ! うおぇ……ごほっごほっ」
俺が掴んでいる腕の先、檜山が宙ぶらりんで嘔吐している。
吐いた吐しゃ物はベランダの下に張られた布に落下する。
「京香さん、ありがとう……」
ベランダの下では京香が呼んだ数十人の警察が布を張って待機している。
こちらを見ている京香をしばらく見つめてから掴んだままの檜山の腕を引きちぎる。
「確保!」
自由落下をし、布に落ちた檜山を警察が受け止め即座に簀巻きにする。
「ごほっ……オロロロロッ……おぉロロロロ」
檜山は苦悶の表情で吐き続ける。
「うぉ、まだ吐いてる……」
それを見た若い警察が怪訝な表情で呟く。
「ッ……見るなぁ……! 私をそんな目で……見るなぁぁ! お前達を蹂躙するのは私達なんだあぁぁぁぁオロロロロロロ……」
人前で醜態を晒すことの羞恥から呼吸を荒くし、何とか叫び声を上げるが警察は見向きもせず連行させていく。
「……お前らはいつもそうだ……私を、我々を蔑視しやがってッ!」
自分の嘔吐に顔面を汚しながらパトカーに乗せられる檜山。
俺はその光景を黙って見つめていた。
「たっ、高橋君……もう、大丈夫」
俺の腕の仲、さっきまで震えていた石川さんが頬を赤らめて小さく話す。
「あ、あぁ。ごめんね。こんなことになって」
石川さんをその場に降ろし、頭を下げる。
「ううん! いいの。高橋君が助けてくれるって分かってたから」
「電話の時から?」
「……うん」
俯いて小さく頷く石川さん。もう少し話しておきたいが、俺に残された時間はあと一分程。
「俺、もう行かなきゃ」
「そっか。もう行くんだね」
ベランダの手すりに足をかけ、石川さんの方を向く。
目を腫らした石川さんは俺に微笑みかけてくれる。弱々しいが、安心している様なその笑顔を目に焼き付ける。
俺がオートマタとして初めて助けた人が、この人で良かったと心からそう思った。
「家具の弁償とか、片付けとか手伝いに来るから! じゃあね!」
足に力を籠め、そう言い残して跳ぶ。眼下では京香が警察と話しているのが見える。
赤い軌跡を夜空に描きながらアパートの近くの公園に着地。
「京香さんにメッセ―ジ。隣の公衆トイレで吐いてます」
『京香宛にメッセージを送信します……。完了しました』
京香の声で出来たシステムメッセージを聞きながら、男子トイレにすぐさま駆け込む。
残り三十秒。今回は余裕をもって到着出来た。
ゆっくりバイザーを上げて便座の蓋を持ち上げる。膝を突くのは……やめておこう。
三十秒のカウントダウンがやけに長く感じる。
何回かシードの嘔吐を経験したけど毎回この時間の昂ぶりは押さえられない。いつもとは違ってあと何秒で吐くのか明確に見えるからだ。
「はぁ……。うぅっ!」
残り十秒。胃袋が裏返る様な感覚と嗚咽が俺を襲う。だがそれすらも人助けを終えた今なら心地良い。
体をビクンと震わせた途端、俺の頭の中に一つの出来心が芽生えた。
以前ヘルメットの機能を京香から聞いた『京香の声の再生機能』。吐く瞬間それを聞いたらどうなるのだろうか……。
「き、京香さんの声を再生」
一つの機能を使うだけ。それだけなのに背徳感で体が強張る。体に力が籠り便器に向かい合う。
残り三秒。
『柚木京香の声を再生します』
ヘルメットの中に京香の声が響く。まるで耳元でささやかれている様だ。
『あぁ、健太君。一人で吐いちゃうんだね……。私がみていない所で』
「あぁぁ……」
最早くすぐったさすら感じるその声に堪らず声が溢れる。
今の俺を見透かしている様な京香の声に合わせてカウントがゼロになり、強烈な嗚咽と共に胃袋が大きく痙攣する。
『ほら、吐いちゃえ』
京香の囁き声に身を震わせ、すぐさまばバイザーを跳ね上げた俺は赤い吐瀉物を便器に叩きつける。
「うぅ……うごぇぇぇぇぇ……」
真っ赤な吐瀉物が便器に溜った水に落ちた瞬間、透明だった水が一気に赤く染まる。
ちょっと綺麗だな……とか思いながらひたすら胃袋を空にする。
「うぉぇぇぇぇ……」
『スッキリ出来た? 次は私に見せてね?』
「はぁ……。はぁ……。やばかった……」
吐き終わると体の赤い光はすぅ……と消える。
今までに感じたことの無い快感だった。いつも耳元で囁かれるより直接頭の中に話しかけられる感じ。また新しい嘔吐を覚えてしまった……。
「ふふふ。悪い子……。私の声、聞いちゃったんだね」
背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「ぅえ?」
自分でも笑ってしまう位間抜けな声を上げて背後を見る。が、見えるのは閉まった扉のみ。
「こっちよ健太君」
声が聞こえたのは少し上。扉の上から。見上げると扉の上から京香が顔を覗かせている。
「京香さん⁉ ッえぇ! ここ男子トイレッ!」
笑顔で見下ろす京香に対して狼狽える。
「気にしないで。そんなことより随分気持ちよさそうだったね?」
「い、いやっ! それは、その……」
「そんなに慌てなくてもいいのに。可愛い」
「……」
そう言われると黙ってしまう。
京香と出会うまで可愛いだなんて言われたことも無かった。最初は何ともなかったけど、今では言われるのを待っている俺が居る。もちろん京香には言えないけど。
「これ、着て早く出てきてね」
俯いて黙る俺に京香は人工皮膚と服を渡してくれる。それを受け取ると覗き込んでいた京香は男子トイレから出ていく。聞こえる足音の足取りは軽い。
「ふぅ……」
一つ息を吐きだし、受け取った皮膚と服を着る。
京香さん、気にしないでって言ってたけど普通に男子トイレに入って来たよな……。
なんか、知れば知るほど恐ろしい人だ。
着終わってトイレから出ると京香が入り口で待っていた。
「おかえり健太君」
「ただいま。警察、大丈夫だった?」
「うん。大丈夫。ただの目撃者ってことで話したから」
「そっか」
「それから石川さん、今日は近くの実家で休むみたいよ。明日片付け手伝ってあげて?」
「うん。分かった」
二人並んで家に向かって歩き始める。数歩歩いたところで前を向いて歩く俺の腕に京香が腕を絡めてきた。
「……っ⁉」
「ふふっ。たまにはいいでしょ? 今日もかっこ良かったよ?」
眩しいほどの笑顔を向けてくれる。
さっきトイレで見た俺の心をざわつかせる妖艶な笑みとは違って、今は甘酸っぱい初恋をする少女の様な笑顔だ。
京香さんは本当に俺を翻弄してくる……。
「あ、ありがとう」
家に着くまで京香とピッタリとくっついて帰った。
家が近くなればなるほどこの時間が終わってしまうと思うと心に募っていく寂しさは京香には言えない。
第13話お疲れさまでした!
面白かったらいいねと評価、ぽちっとお願いします!
感想なんかを頂けるとモチベーション爆上がりでございます。ので何卒。