010 推しの生演技
「はっ! 私はいったい……」
「文ちゃん! よかった〜、突然倒れたからびっくりしたよ〜」
た、倒れた!? あ、でも未来ちゃんの部屋に入った瞬間にフレグランスな香りで脳がバグり、意識が飛んだ記憶はある……。
ていうか今もかなり甘い香りがするけどね。ベッドから香っているのかな? …………って!
「え? もしかしてこのベッド……」
「あ、私のだから大丈夫だよ」
「ポゥ!!!」
「ぽ、ポゥ?」
状況を理解した瞬間に飛び上がった。
推しのベッドで寝ていた……ってこと? ヤバい、脳がぶっ飛ぶ。
っていうかこのベッドまで私を運ぶには未来ちゃんと少なからず接触する必要があるわけで、うわ〜〜、なんで意識飛んでいたんだ〜、もったいない!
「ごめんね未来ちゃん、迷惑かけて」
「迷惑だなんて。むしろこれから迷惑をかけるのは私だからねっ」
そう言って未来ちゃんは台本を取り出した。
おぉ、あれが新作アニメの台本か。放送前に私に流出させるわけにもいかないからか、未来ちゃんは中身が見えないように隠している。あくまで今回は未来ちゃんの担当する声だけの練習だ。
「原作にもあるセリフそのままなんだけどね。難しいんだ」
「未来ちゃんはマリアを担当するんだよね。ツンデレの」
「うん。音響監督さんによると私のマリアちゃんはまだ足りていないんだって」
「足りてない……か。少し聞かせてもらってもいいかな?」
「うん、もちろん!」
冷静に未来ちゃんの悩みに向き合っているように見えるかもしれないけど、内心は『ひゃっほーーーい! 未来ちゃんの生声じゃ〜!』と、まるでサッカーW杯で日本が勝った後の渋谷みたいになっている。
未来ちゃんは穏やかな表情からプロフェッショナルな表情に変わった。これが声優、星ヶ丘未来の顔か。
アフレコ現場でしか見られないであろうその顔はいつもと違ってそそられるものがあった。
未来ちゃんは静かに深呼吸をして、覚悟を決めたような目になった。
『バカ主人! アンタと一緒にいるとバカが伝染りそうだわ! ……で、でも仕方なく同行してあげる!』
おぉ、原作そのままのセリフだ。
これはマリアが主人公に同行することを決める名シーン。ファンとしてはここが1番の楽しみなんだ、って人もいるだろう。
「どうかな。ここは見せ場だから妥協したくないってスタッフみんなが言ってるの」
「うん。もちろんその通りだと思うよ」
未来ちゃんが悩んでいる以上、その悩みを解決するのがファンの役割というもの。とはいえ私は演技に関してはど素人もいいところ。どうしたものか……。
未来ちゃんの演技は悪いとは言えない。ただ何か、あと一つ何かが足りない気がすると言われればそんな気もする。ちょっと言い表しにくい微妙なラインなのだ。
「ちなみに何回くらいトライしたの?」
「15回。その中で一番反応が良かった感じでやってみたんだけどまだまだで……」
「うーーん」
ちょっと今までの未来ちゃんの役どころを整理してみよう。全出演作を見てきた脳は伊達じゃないよ。
デビューのモブも、初めてのネームドキャラもどれも普通にこなしていた。何が違うんだろ。考えろ、私は声優としての星ヶ丘未来だけじゃなく、人としての星ヶ丘未来にも関わったんだ!
……………………あっ!
もしかしたらこれが原因かもしれないというのを見つけてしまった。
もし私の考えが当たったら少し厄介かもしれないぞ……。




