八言目 前 ユーしゃるめる
ローラと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、あの美しい銀髪だろう。加えて日本人離れした端正な顔立ちに青空を閉じ込めたような澄んだ瞳。たとえ人の密集するガレッジパークでも、その存在感からローラを見つけることは容易だ。
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「やっぱりそうよね」
ポキポキと鳴らしていた指を止め、山条が俺を見つめる。どうやら鈍感な彼女でも気づいていたようだ。
「私が知ってる範囲で二、三語くらいかしら。違和感はあったけど、ナツキの方は何も知らないみたいだったし」
「ああ。俺が聞いたのは、『サーレ』と『いぇら』。『もらう』という意味の『サーレ』。『いぇら』については会話繋ぎに使うというニュアンス程度しか分かってないが、少なくともリリィの使い方はあっていた。ローラとリリィがなんらかの接点があって、そこでムッペリ語を教わったというのが一番可能性は高い。だが、大家さんの話だと、『言語の入れ替え』が起こってからは、部屋に引きこもっていたと聞いてはいたんだが…」
「まあとにかく、私たちもガレッジパークに向かいましょう。あの二人とローラが会っているのであれば、すぐに分かるはずよ」
ムッペリ語。
小学生の時に俺が作ったオリジナルの言語。果たしてその認識は本当に合っているのだろうか。
正直に言えばムッペリ語を作った記憶は、ない。しかし、誰にも見せたことがない小学生の頃のノートに、俺ははっきりとムッペリ語を記しているのだ。
一体ムッペリ語とは何なのか。どうしてローラとリリィはムッペリ語を知っているのか。
俺はリリィと出会ったことが、偶然とは思えなかった。
「すまん山条。俺は少し章さんと話をしてくる。今どこにいるか分かるか?」
「知ってるわよ。あのおやじなら迷子センターで正座してるわ」
「ぶっ、迷子センター⁈」
「罰よ、罰。今頃屈辱の涙を流していればいいのだけれど」
「罰って…… 章さんが何かしたのか」
「私の王子様を魔女の元へ追いやってしまったの。当然の報いだわ」
「お、おうじ?」
急にファンタジーな言葉が山条の口から出てきて、思わず面食らってしまう。王子? UEJのテーマパークで何か章さんはミスをしてしまったのだろうか。
「じゃ、じゃあ俺は迷子センターに行ってくる。ローラと、あとリリィのことは頼んだ。あと、できればさりげなく、ムッペリ語についても聞いてもらいたい」
「りょーかい。まったく、フミって、私の使い方がホントに荒いわね」
「恩に着る。もし俺が探偵業を始めるなら、間違いなく山条を助手に任命するだろうな」
「いやよ。どうせ薄月給で長時間労働でしょ?」
「お前からすれば俺が払う給料なんて雀の涙だろ」
「お嫁さんにしてくれたら、タダで一生助手をやってあげるわよ」
「……アホか」
「誰がアホよ」
そう言うと山条は俺に紺のショルダーバッグを投げた。
「持ってて。探すときに邪魔になると思うから」
「…… 了解した」
カバンを渡されるあたり、俺は山条から多少は信頼されているのだろう。とはいえ、冗談でも思春期男子に思わせぶりな言葉は言って欲しくないものだ。
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ローラと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、あの美しい銀髪だろう。加えて日本人離れした端正な顔立ちに青空を閉じ込めたような澄んだ瞳。たとえ人の密集するガレッジパークでも、その存在感からローラを見つけることは容易だ。
しかしローラという人間は、たとえ面で顔を隠してもその存在感、いやその非凡さを抑えることはできない。そう。彼女の抜きんでているものは容姿だけではないのだ。
「やっていることは奇人なのよね。これは確かにフミが止めるのも納得だわ」
ローラは地面を凝視しながら、一歩一歩。亀のような速度で広場を歩いていた。背筋を伸ばし、白いワンピースの裾を握りしめて、目だけを動かしている。少女であるゆえに奇妙な目を向けられるだけで済んではいるが、これがフミや章ならばたちまち通報されているだろう。
「やはり彼女がローラさまでしたか。すみません、万が一間違っていたらどうしようかと、声をかけるのを躊躇ってしまいました」
妹、リリィの手を引く葉山ナツキが、少し不安の色を浮かべながら山条の横に立った。先に到着していた彼女たちは、奇行に走るローラと思わしき人物に話しかけるのを危険と判断したのだろう。無理もない。山条も知り合いとはいえ、血眼でチケットを探すローラに若干引いている。それほどメリィ人形が欲しいのだろうか。
一方で最初の収穫もあった。どうやらこの姉妹はローラと知り合いではないらしい。フミの言っていた「ローラからリリィはムッペリ語を教わった」という説はこれで否定される。
「ローラ。フミから聞いたよ。私たちも探すの手伝うわ」
「…… あれ むつみ?」
突然話しかけられたローラは、驚いたようにこちらを見つめた。
「ちけっと きえた……」
「落としたものはしょうがないわ。とりあえず、お化け屋敷から歩いてきたルートを確認するわよ」
カバンからUEJの全体図が載った地図を山条は取り出そうとした。しかし、肝心のバックが、ない。
「あ、そうだ。フミに預けたんだった……」
山条はアホである。行動力はあるが、時折それが裏目にでることがある。今回も、動きやすいように取った行動が、逆に足を引っ張ることになってしまった。
「ええっと、お化け屋敷はどっちの方向にあるんだっけ?」
「わたし わからない」
申し訳なさそうにローラが首を横に振る。日本語を一か月足らずでマスターしつつあるローラは言語能力が高い反面、道順を覚えるのが苦手な、いわゆる方向音痴であった。
アホと方向音痴。探偵を名乗るには、かなりのハンデを背負うことになるだろう。
しかし、意外にも、光蘭女子高名探偵の名は、伊達ではなかった。
「あの、六実さま。お化け屋敷ならあちらの方ですよ」
葉山ナツキが、百メートルほど離れた場所でわずかに見えている瓦屋根を指さした。
「?」
見覚えのない人からの助言に、思わずローラが首を傾げる。
「あ、失礼しました。私、光蘭女子高の葉山ナツキと申します」
「いもうとの、葉山リリィで、す」
「ろ、ローラ、アルメス です」
ローラが二人に頭を下げる。山条は何気にローラのラストネームを初めて聞いた。アルメス…… どこか、懐かしい響きがする。
沈黙する山条をよそに、ナツキは指をタクトのように振りながらもの探しを始めた。
「しかし、まずはあの綿あめを売っている車の方へ向かいましょう。ローラさま、本日は、カバン等は持っていらっしゃいませんよね?」
「え え? なんで」
「もしかしたらポケットティッシュを取り出すときに、落とされたのかもしれません」
動揺するローラをよそに、ナツキは人混みをうまく避けながら綿あめを売っている移動販売車の方へと歩き出した。
「え、ローラ。あなた、綿あめ食べたの?」
「う うん ……きらりら?」
どうやら本当らしい。
言うまでもないが、ローラとナツキはまだ自己紹介しかしていない。綿あめという情報はローラの口から全く出なかった。
つまり、葉山ナツキは何らかの手がかりから、ローラが綿あめを食べたことを推理したのである。
「さすが探偵部部長ってことかしら」
どうやら肩書は本物らしい。
しかし、綿あめ屋に行ったことは推理できたが、肝心のチケットは見つからなかった。
「やはり物事は、そう上手くは進まないみたいですね」
唸りながらナツキは腕を組んだ。
ローラが綿あめ屋に行ったことは、フミのカバンから見えていた二本の青いクラフトテープで推測することができた。あの青いテープはガレッジパーク近くの綿あめ屋でしか使われていないものだ。探し物をしているローラをよそに、フミ一人が綿あめ屋に寄る可能性は低い。加えて広場で見せたあのローラの性格上、チケットを失くした状態で呑気に綿あめを食べることはないだろう。必然的にチケット紛失に気付く前に二人で買った可能性は高い。
加えて、綿あめは持ち手がベタつくことが多い。駅前で配られていたティッシュを受けとった場合、それを使用するのは自然な流れだろう。カンで言ってはみたが、反応を見る限り正解だったようだ。
場所を移動しようと、ナツキは二人に声をかけようとした。しかし、辺りは見知らぬ顔ばかりで、ただ一人、妹のリリィだけがナツキの制服のスカートを握りしめていた。
「あれ? リリィ、六実さまとローラさまは?」
「ん? ユーしゃるめる」
リリィが指をさした方を見ると、山条とローラは向かいのベンチあたりをぐるぐると回っていた。どうやらあそこで食べたらしい。だが、傍から見れば、落ちている小銭を探す守銭奴のような姿である。これは二人の名誉のためにも早急にチケットを……。
「あ、あれ……」
リリィが何やら慌てたような声で、カバンの中を探り始めた。紅葉のように赤く小さな手が内ポケットや外ポケットを何度も往復している。
「ちょっと、どうしたのリリィ。何か落としたの?」
「え、えっと……」
少し青ざめたような顔でリリィがナツキを見つめる。恐れていた一言、というより予期すらしなかった一言が姉のナツキに告げられた。
「も、もらったチケット…… 失くしちゃった、かも」