八言目 後 ユーしゃるめる
「どうして、妹が落とした物だと分かったのですか?」
自販機前。開口一番、ナツキは少し眉をひそめながら俺に尋ねた。
「私たちはローラさまのチケットを探しに広場へ来ていました。もしあの場で落ちているチケットを見つけたなら、それは妹のものではなく、ローラさまのものだと思うはずです」
「……落とすところを偶然見た、というのは?」
「ありえません。既に妹が私にチケットを失くしたことを報告してから、フミさまがいらっしゃるまで五分は過ぎていました。つまり、フミさまは初めから、妹がチケットを失くしていることを知っていらしたのではないでしょうか?」
真実を探るように、彼女がこちらを見つめる。もしこれがミステリー小説ならば、俺は今から長々と動機とトリックを語ることになるのだろう。
だが、ここは現実世界。今俺に求められていることは、手短に話すことだ。
「では全てお話しましょう。今、ローラが持っているチケットはリリィくんの物で、リリィくんが持っているチケットは私の知人のものです」
どういうことだ? そうナツキは思ったことだろう。だが、俺は言語学者を目指す者として、間違った言葉を使うことはない。
今言った内容は、一言一句違わず、真実である。
「実は、ローラが初めに持っていたチケットは既に拾われていました。迷子センターに行くついでに人形の引き換えコーナーに寄ってみたのですが、赤い線の入ったチケットが交換済みボックスに入っていました」
「赤い、線?」
「はい。正確に言えば赤い絵の具ですね。ローラは今日、持ち前のうっかりが発動して絵具をつけてここに来たのですが、それが何らかの拍子でチケットについたみたいです」
落ちていないものは名探偵でも拾えない。この時点でローラ達が救いのない探し物をしている状態に陥っていることが発覚した。
そこで俺は迷子センターで泣いていた章さんに事情を話し、チケットを譲ってもらったのだ。このままではローラが永遠に広場をさまようことになる。もしそうなれば幼い女の子が心を痛め、晴れ晴れとした気持ちで人形を受け取ることができない、と。
もちろん章さんは快諾した。幼女、という言葉に過剰反応していたのはここでは割愛させていただく。
ちなみに彼は今日、三回ジェットコースターに乗っている。俺が早々に一回目でギブアップしたのに気づかず、ローラ達を追って三回、あの恐怖のマシンに乗ったのだった。
「そして広場に帰って来た時に偶然見かけたんです。リリィくんが、自分のチケットをベンチに挟んでいるのを」
「そう言えば…… ほんの少しだけ、リリィを見失ってしまったときがありました。まさかそんな……」
同感である。あの年で自分が欲しい物を他人に譲るなど、中々できないことだ。
そこで当初の予定を変更し、リリィにチケットを「拾った」という形で渡すことにしたのだった。
「自分は失くしたことにして、依頼人の願いを叶える。中々侮れない探偵精神ですよ」
「……気を使わせてしまいました。姉失格です」
「使うも何も、元もとチケットを落としたローラが悪いのですし、山条はリリィくんにチケットはあげたんです。どう使うか、誰のために使うか。それを決めたのはリリィくんなのですから、あなたが罪悪感を背負うことはありませんよ」
両手では限界が来たので一本、缶ジュースをナツキに渡す。
「奢りです。飲んでください」
「しかし、」
「気にしないでください。代わりと言っては何ですが、私もあなたに聞きたいことがあるのです」
そう切り出すと、ナツキの瞳が少しだけ、ほんの少しだけ曇ったような気がした。
「リリィくんのことなのですが、彼女たまに、変な言葉を話していませんか?」
「言葉、ですか?」
「ええ。例えばサーレ、とか、いぇら、とか。不思議だなぁ、と思いまして」
「不思議、と言いますと?」
「ああいや、どこかの国の言葉なのかと思いまして」
「そうですね。やはりムッペリ語は特徴的ですから、存在を知っていれば、すぐに気づいてしまいますよね」
流れるようにナツキの口から、「ムッペリ語」という単語が流れる。
「……やはり、知っていましたか」
「六実さまは忘れていらしたようなので、ほっとしました。ですがやはり、フミさまは記録されていたのですね。あれは私にとって最大の過ちでした」
ナツキの口ぶりはまるで、自分が昔、俺と山条に会ったと言っているようなものだ。だが、俺はどうしても目の前の少女と出会った記憶を思い出すことができない。
「過ち? すみませんが俺、あなたと会った記憶がないのですが」
「それならそちらの方が都合が良いです。とはいえ、私がお教えしたムッペリ語にはサーレもいぇらも、なかったような気がしますが」
「教えた? じゃあ、あのノートに書かれているのはやはり——」
そう言いかけた時だった。
「フミ じかん かかりすぎ」
体の重心が後ろに引っ張られる。
振り返ると、銀色の暴君ことローラが、痺れを切らした様子で俺の服を掴んでいた。
「ジュース かうの むずかしいの?」
「ローラ。お前は遂に煽りスキルまで磨き始めたか」
「あおり? これ そぼくなぎもん」
「それを煽りと言うのだ」
「フミ―、人形もらってきたわよ」
「ねーね、これ! メリィちゃん!」
遅れて山条と、人形を抱えたリリィが到着。後ろでは章さんがローラの分のメリィ人形を持ってこちらを寂しそうに見ていた。本当に今日は章さんの扱いが酷い。
「にぎやかになっちゃいましたね」
申し訳なさそうに、だがどこか安堵した表情をナツキが浮かべた。
問いただしたい。
ナツキがムッペリ語について何かを知っている。いや、俺にとっては彼女がムッペリ語自体を知っていたことが驚きなのだ。
だが、
「ねーね。なにか、疲れてる。どしたの?」
「ううん、何でもないよ?」
俺は文字でなくとも空気は読める。ここで会話に割って入るのは、言葉は通じようとも、心が通じることはないだろう。
「そろそろ帰るぞ。カラスが鳴き出した」
「え、カラスって。甥が浜にもいるの?」
「ゴミがある場所にカラスあり、と言うからな」
「ふみ イコール ごみ?」
「ローラ、やはりお前には一グラムから言葉の重みを教える必要があるな」
「ねーね、帰りに綿あめ、買って?」
「リリィ。あなた今日ちょっと食べすぎ」
雑談をしながら俺たちはゲートをくぐる。
ナツキのあの表情。もしかしたらムッペリ語は彼女たちにとって、触れてはならないものなのだろうか。
そんな考えも、くだらない平和な会話で川の流れのようにサラサラと流れてゆく。
サラサラと、サラサラと。
電車に乗った頃には、ナツキと自販機の前でした会話もサラサラと忘れてしまった。
ムッペリ語。
ノートに書かれていた謎の言語。
後に思えば、この時ムッペリ語の存在も、サラサラと完全に忘れていれば、彼女たちにとって何の不安もない未来になったのかもしれない。
だが、もうずっと前に分岐点は過ぎていた。
俺はローラと出会い、ナツキ達に出会った。
過去を振り返ろうとも、過去の自分は歩みを止めず、こちらに向かってくる。
しかし、時折思うのだ。
もしムッペリ語がそういう存在だと知っていたなら、俺はあの時、歩みを止めていたのだろうか。




