2. 『ねむこ』と『にゃもちー』と『はぐれ』
「冒険したいよー!」
「私は嫌」
「そんなこと言わないでよー」
「ゆーらーさーなーいーでー」
往来のど真ん中で女子高生がイチャついている。
いいぞもっとやれと思っているかもしれない周囲の人達は、彼女達が桜が峰高校の生徒であることに気付いている。
何故ならば、彼女達の制服の胸元には美少女ゲームの世界と勘違いしたのではと思えるようなフリル付きの巨大なリボンがついているからだ。
流石に乳袋があったりカラフルな色合いのものでは無いが。
「せっかくモンスターが出て来たんだよ。スキルも手に入るんだよ。冒険者にならなきゃ勿体ないよ!」
「私は嫌」
「そんなぁ、にゃもちーもやろうよぉ」
「絶対に嫌。ねむこが一人でやれば?」
「仲間と冒険したいの!」
剣を構える仕草をするのは『ねむこ』と呼ばれた元気がありあまっている風の女生徒だ。
センスの欠片も無いので、剣士になるのは止めた方が良いだろう。
シャツの裾を結び、スカートを少し詰め、腕まくりをして忙しなく動いている。
一方、冒険のお誘いを頑なに断る『にゃもちー』と呼ばれた女生徒は、制服をきちんと着こなす真面目そうなタイプ。
キリリと引き締まった表情と、太陽の光をきらりと反射させる眼鏡の組み合わせから、委員長的な雰囲気を醸し出している。
「そもそも冒険者なんて必要ないでしょ。自衛隊がいるんだから」
「必要あーるーのー!はぐれが出てくるかもしれないじゃん!」
「それなら警官が強くなれば良いだけでしょ」
「むー!つまんなーい!」
ねむこはむくれて小石を蹴飛ばしそれが近くに停まっている高級車に当たりそうでひぇっとなっているが、にゃもちーの言う事が正しい。
世界中の大都市に謎の渦が突如発生し、そこからモンスターが出現したのが1年前の事。
だが今ではその渦の新規出現は止まっている。
日本では自衛隊がモンスターの対処に当たっているため、今のところ物語のように民間人が冒険者として戦う必要は無いというのが世論の流れである。
唯一の問題が『はぐれ』と呼ばれる渦とはかけ離れたところに突如出現するモンスターだ。
現在は自衛隊が飛んで来て対処しているが、自衛隊は基本的に渦の付近や基地で待機しているため到着にやや時間がかかる。
それまでの間に一般人が遭遇したら逃げるように国から指示が出ているが、もし警察官もモンスターと戦えるようになれば討伐までの時間は格段に短くなり被害も減るだろう。
もちろん民間人も強くなった方がより安全ではあるが、稀な現象のためだけに民間人を鍛えるなど国が許可するわけが無い。
許可したら大炎上だ。
「にゃもちー冷めすぎだよ。チートモノ教えてくれたのにゃもちーじゃん」
「私はフィクションとして楽しんでるの。異世界に行ったりダンジョン探索するなんて、チート貰っても嫌」
「そんなこと言って、私がはぐれに襲われたらチート能力に覚醒して助けてくれるんでしょ?」
「見捨てて全力で逃げるわ」
「うわーん、にゃもちーが酷いよー!あ、クレープたべよ」
彼女達にとって、これは世間話の一つ。
ここ、静岡市は渦のある大都市圏から遠く、現実感が乏しいのだ。
話題はすでに別のものへと移り変わり、クレープを頬張りながら帰宅の途についていた。
「……え?」
それは彼女達のどちらかが漏らしたのか。
それとも近くに居た他の人物が漏らしたのか。
一つ言えるのは、その場に居た誰もがある一点を凝視していたという事。
まるで空間に亀裂でもあるかのように、はみ出した一本の足のような物。
緑色の皮膚に、まばらな密度で長さもバラバラな体毛が汚らわしさを感じさせる。
一部だけであるにも関わらず見る者に不快感を与えるソレに続き、残りの部位もまた亀裂から出現する。
「「「「きゃああああああああ!」」」」
「「「「うわああああああああ!」」」」
そこは住宅街のど真ん中で帰宅中の学生が多く、周囲はパニックと化した。
緑色の人型モンスター
ゴブリン。
異世界モノで時折見られるコミカルさは殆ど無く、むしろ人間を不快にさせる醜悪さを突き詰めたかのような姿形。
それがはぐれとしてこの場所に出現した。
ウウウウウウウウ!
『モンスターの出現を感知致しました。周囲を確認し、安全を確保してください。外出中の方は、安全を確認した後、お近くの建物へと避難してください。決してモンスターに近寄らないでください。繰り返します……』
サイレンの後に続く、避難放送。
不幸にもはぐれモンスターに出会った場合に、どうすべきか。
それはテレビで繰り返し放送され、ネットでも至る所で議論されている。
ゆえに、今の世の中でそれを知らない人はまず居ないだろう。
「にゃもちー、逃げるよ!」
「うん!」
逃げる一択だ。
冒険を夢見るねむこもそれは分かっているし、迷うことは無い。
いや、もしかしたら違う相手だったら違う対応をしたかもしれない。
「ゴブリン強って嘘でしょ!」
「文句言ってないで走る!」
ゴブリンには種類があることが分かっている。
メイジ型やアーチャー型などの攻撃方法による違いもあるが、武器を持たないノーマルゴブリンにも違いがある。
ゴブリンの強さは大きさに左右され、子供サイズの場合は人間の子供と同程度の力しか持たない。
しかし大人サイズの場合は人間の成人男性よりも少し強い程度の力を持つため、殺傷力が非常に高いのだ。
ゆえに、大人サイズのゴブリンはゴブリン(強)と呼ばれ、出会ったら何が何でも逃げることが推奨されている。
通常の弱いゴブリンだったらねむこは逃げずに絡みに行き、にゃもちーに全力で怒られたに違いない。
「うぇっ、何でこっちくるの!?」
「マジ?」
「マジマジ」
走りながらねむこが後ろを見ると、ゴブリンが向かって来ていた。
逃げた中の誰かを追うのは当然だろうが、ねむこ達が偶然ターゲットになってしまったのは運が悪かったのか、冒険を願うねむこの心が引き寄せてしまったのか。
「ヤバイヤバイ、めっちゃ速い、追いつかれちゃう。ペース上げよう!」
「ねむこ、ダメ、前見て!」
「え?」
目の前には集団下校中の小学生の集団があった。
「ウソ……」
このまま走り抜けたら、ゴブリンに狙われるのは目の前の子供達だ。
ねむこは少しの逡巡の後、決断する。
「にゃもちーはこの子達を避難させて警察に連絡して!」
「ねむこ!?」
ねむこはその場で止まり、もっていた通学鞄をゴブリンに向かって放り投げる。
鞄は普通に地面に落ちた。
ゴブリンの顔面に当てる攻撃のつもりだったのだが、まだ距離がある上に非力なねむこの力では届くはずが無かったのだ。
ゴブリンは鞄を踏み潰してねむこに向かってくる。
「ああー!私のお菓子がー!チクショー!」
鞄の中には大量のお菓子が入っていた。
女子高生の半分はお菓子で出来ているのである。
「こっちこーい!」
ねむこは角を曲がり、ゴブリンを子供達が居ない方へと誘導する。
「うし来た、こっちだこっちだーって速っ!」
成人男性以上の能力を持つのだ。
運動部ですらない女子高生が全力で走っても逃げ切れるはずが無い。
ゴブリンが狩りを楽しんでいるかのように全力を出さずに追っているため、ギリギリで追いつかれないでいる。
「T字路は右!はダメ!左!」
右に曲がろうとしたら、進行方向にまた小学生の集団が居たので、慌てて左へと進路を変える。
この逡巡もまた、ゴブリンに近づかれる要因となる。
「も……ダメっ……」
全力で走り続けられるわけが無く、ついにねむこの足は止まり、壁際に追い詰められた。
背中はコンクリート塀。
左右に逃げても、ねむこの足では簡単に捕まるだろう。
「ひっ……」
ゴブリンは敢えてすぐにはねむこに手を出さず、ゆっくりと近づいて恐怖を煽って来る。
体中に鳥肌が立つ程の嫌悪感と死が迫る恐怖感で、ねむこはその場にへたり込んでしまう。
「ま……負けないもん!」
だがねむこはまだ諦めていなかった。
この時のために、VRキットを使ってゴブリンに襲われた時の事を想定した訓練を独自に行っていたのだ。
あれは超怖かった。
VR考えたやつ、頭おかしいだろ、とも思った。
夜眠れなくなってにゃもちーにメッセージ送りまくって怒られた。
だが、あの練習があったから、恐怖に打ちのめされることは無かった。
ねむこはやっぱりVRさいこーと思った。
手のひらぐるんぐるんである。
「VRパワー!」
ねむこは勇気を出して立ち上がる。
ゴブリンは少しだけ驚いたような反応をしたが、すぐに元通りになりねむこに手を伸ばす。
「絶対に負けないもん!何をされようと最後まで諦めないもん!」
ねむこは分かっていた。
状況は絶望的であることを。
相手が成人男性であればワンチャンあったかもしれない。
急所を狙ったり、掴まれても歯で思いっきり噛んだり、頭突きをしたり、隙を作って逃げ出せば駆け付けた大人が助けてくれる可能性も無くはない。
だが相手が悪すぎる。
渦から生まれたモンスターには、普通の攻撃は一切効かないのだ。
殴ろうが蹴ろうが噛もうが、全く効果が無い。
モンスターを倒すには、専用のスキルが必要だった。
当然そんなものはねむこには無い。
「かかってこいよコンチクショー!」
あるのは根拠の無い威勢だけだ。
いや、違う。
ねむこは、もう一つ大事なものを持っていた。
「ねむこおおおおおおおお!」
親友を。




