第98話 神獣
「もう泣き止んだか?」
優しい口調でそう聞く彼女。
私は鼻水をずーずーすすりながら、うんうんとうなづく。
彼女はそれに対して『そうか』とだけ言うと、今まで私を包んでいた両腕を離した。
少し前かがみになり、当時の小さな背丈の私と目線を合わせる彼女。
私の目を見て言う。
「お主、名前は?」
そう言われ、自分の記憶を巡ってみる。
だが何故か名前が出てこない。
私は、『あれ?』と不思議そうな表情をして彼女に言った。
「なんでかわかんないけど……覚えてない」
「……ふむ、そうか」
相槌をうつ彼女。
「──おそらくじゃが、ボイドに精神体が移動する時に記憶が飛んでしまったのじゃな」
続けて呟きながら考察する。
その後、しばらく考える素振りを見せ、ポンと手を叩く。
なにか思いついたようだ。
彼女は言った。
「よし、それじゃあお主の名は──"オリジン"じゃ!」
「オリジン……?」
「そうじゃ、今妾が考えた。ありがたく受け取れ!」
「……」
こんなにあっさり名前を決められていいのか──
そう思いもしたが、今度は私が彼女に聞きかえす。
「──じゃあ逆に、お前の名前は?」
私の声を聞き、はっと我に返った様な表情を彼女は見せた。
「ああそうじゃった、まだ妾の名を言っていなかったな」
彼女は答えた。
「妾は──"エンマ"という。よろしくな」
そう名乗ったあと、エンマは自身の手を突き出して握手を望む。
やはり僕の勘違いだったんだ。
彼女は、王が見た”破壊主インフィニティ”じゃない──
落ち着いた頭で改めてそう実感し、私は突き出されたエンマの腕、
それを辿って彼女の全体像を目に映す。
霊的な美しさと、透明感の帯びた白い肌。
整った顔立ちに、紅色の煉獄のような眼。
体つきは背丈と同様に、13歳の少女と同じくらいだろう。
腰の数十センチ下までの黒色の服に、その細い足にはタイツを履いている。
魔王が付けるような漆黒のマントに、腰ほどまで伸びたサラサラの赤髪。
先程から、黒い悪魔の尻尾のようなものが見え隠れしている。
そして、頭の上には紫と黒に輝く王冠が。
その容姿から、全体的にエンマはただ者ではない雰囲気を纏っていた。
改めてそんな彼女に少しばかり戸惑う僕。
しかし、気を取り直して彼女の手をとる。
「よろしく、エンマ──」
そう言って彼女の顔を見た。
にこやかなエンマの笑顔。
謎の気迫も、彼女に打ち解けたためかすっかり無くなり、可愛らしさだけが残る。
私はそんな彼女に、頬を赤くして見とれる。
すると、彼女の後ろの"何か"が唸った──
「グルルル………」
暗闇に響く、低く恐ろしい声。
思わず体がビクッと動いた。
『なんだ?』と、声のしたエンマの背後の暗闇を警戒しながら凝視する。
すると、その中空にはあった。
深淵に浮かぶ、六つの燃えたぎる炎球が──
「うわぁ!」
当時まだ七歳と幼かった私は、腰を抜かして驚く。
いきなりのその様子を、『ん?』と不思議そうに見つめるエンマ。
なんでだ、なんでエンマは気づかないんだ──!?
後ろに……いるぞ──!
私は心の中で必死にそう叫びつつも、ズルズルと後ずさりをする。
しかし、その六つの炎は私のその動きに合わせて、じりじりと距離を詰めてきていた。
同時に轟音に等しい足音もする。
そしてちょうどエンマの頭上10mあたり──そこにその炎が来た時だ。
奴の姿があらわになった──
ロットワイラーという犬種の犬に似た、凶暴な顔が三つ。
その全員が『グルルル──』と唸りながら、ゴォゴォと巨大な重低音で息を荒くしている。
首には重そうなドクロの鎖が付いており、全身からは火の粉がチリチリと上がっていた。
まさにその姿は──"地獄の番犬 ケルベロス"
その恐ろしく巨大な怪物に、私はひたすらに驚いた。
奴の顔のうちの一つが、私の目と鼻の先に近づく。
すぐそばに炎があるかのような熱さ。
よく見るとその怪物の口の中は、燃えていた。
まるでそれは、火を吹く寸前のドラゴンのよう。
私が恐怖のあまり、ぎゅっと目を強くつむったそんな時──
「ケルベロス! オリジンを怖がらせるのはやめろ!」
エンマが叫んだ。
ケルベロスは一瞬にして彼女の方に体を向ける。
続けて『くぅー』と可愛らしい声をあげた。
とてつもない切り替えの早さだ。
あの怪物はエンマになついているのか──?
エンマはケルベロスに怖がる様子も見せず、なんなら愚痴をこぼす。
「──ったくお主は。温厚な"麒麟"を見習わんか……」
そう言われ、先程より頭を低くするケルベロス。
エンマに対しては従順なようだ。
しかし、当時の私はそんなケルベロスより、エンマの口から放たれた麒麟のほうが気になっていた。
麒麟……? 中国の神話の動物だろ……
聞いたことのあるその伝説上の動物を頭に浮かべる。
その姿を見たことがなかった私は、可愛らしい犬のような姿を麒麟から連想した。
しかし──
「ブフォー!」
突如爆風が私を襲った。
一瞬にして、今まで思い描いていた麒麟の姿が吹き飛ぶ。
私は唖然と後ろを振り向いた。
──そこにはやはり居た。
ケルベロスと同程度の大きさの、神話に登場する麒麟そのものが。
全体的に節々が金色に光り輝き、体の中腹ほどには回転する神秘的な金鉄の巨大リングがあった。
目は蒼色に光り、神々しい全体像。
先程のイメージとまったく違うその姿に、私は言葉をつまらせる。
「えっ……、はっ……?」
襲われるかと思ったが、この麒麟とやらは敵対的な様子はない。
しかし、興味津々にじっとこちらを見ている。
唖然とする私の背後に、今度はエンマの声がかかった。
「すまんオリジン。こいつら神獣がお主に迷惑をかけてしもうて」
「し、神獣……?」
「ああそうじゃ、こ奴らは妾に仕えておる。要するに味方じゃ」
「そ、そう……なんだ……?」
訳がわからず、呂律もまわらない。
頭の中では情報の糸くずのようなものが、ぐちゃぐちゃに絡まりあっていた。
一度胸を抑え、大きく深呼吸をして頭を整理しようと試みる。
「すぅー……はぁー……、すぅー……はぁー……」
戸惑いつつ、溢れだしそうな疑問たちをゴクリと飲み込む。
そんな中、彼女は二体の神獣を自身の後ろへ誘導し、私と向き合った。
エンマの後ろにいる彼らはまるで、エンマを守る守護神のよう。
私はひたすら自分に、『落ち着け、落ち着け』と言い聞かせていた──
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