第1話 メシア
「おい七海雫、お前はもう俺のもんだ」
そう言うといきなり男が銃を出し、ある一人の女子高生に向ける。
急な出来事に場が一瞬硬直、しかし次の瞬間には『キャー!』という乗客の悲鳴があがった。
事態に気づいた乗客は皆命の危機を感じてバタバタと駆け出す。
「雫っ! 雫っ……!」
狙われた女子高生の友達がこの危機の中、彼女に手を伸ばし名前を呼ぶ。
だが一目散に他の号車へ逃げていく乗客に押されていき、その友達は他の号車へと流されていってしまった。
すっかり人のいなくなったこの号車の中──
空席の広々とした椅子、天井に吊るされた広告板がゆらゆらと揺れ、窓の外には雨雲が広がる。
今ここには銃を持った大柄の犯人──太い眉毛に髭を少し生やし、清潔感の欠片もない。
最初に犯人に名前を呼ばれた『七海雫』という名前の女子生徒──金髪のツインテールに華奢な見た目、非情に整った容貌である。
制服を着崩し高校生ながらに髪をいじった今時の男子生徒。
そして最後に僕の計四人がいた。
犯人は灰色のライトダウンを着て、ポケットに片手を突っ込み銃を持っている。
七海雫と男子生徒は銃口を向けられ地面に崩れ落ち怯え、震えていた。
不思議と先程の雑踏は消え去り、電車の走る音と窓に当たる雨音のみが耳に届いていた。
しかし犯人は気持ちの悪い笑みを浮かべながら、低くドスの効いた声で興奮して叫び、この静寂をかき消す。
「おい七海雫……! やっとだ……、やっとお前を手に入れれる……! 高校生にして国民的女優! 読者モデル! そしてその美貌! 最高だろ……!」
「だ、誰なんですかっ……」
七海雫はドアの方に後退りをしながらそう言い、犯人に追い詰められる。
「そんなビビんなくても変なことしなけりゃ殺さねぇよ……! おれぁ七海雫のファンでずっと画面越しにあんたのこと見てたんだぜ?」
獲物にありつけ興奮した犯人はそう言って腰をかがめ、女子高生の頭に銃口を突きつけると、ニタニタと笑いながら彼女の艶やかな金色の髪を触る。
そしてその髪に顔を埋め込むと、『すぅ──はぁ──』という深い呼吸で思い切り髪の匂いを嗅いだ。
「ひぃっ──」
「最っ高だなぁ! 生の七海雫はぁ!」
犯人は興奮して叫び立ち上がると『ダンッ──!』と天井に向かって一発銃を撃ち、七海雫の肩はビクリと動く。
そして瞬時に火薬の匂いが鼻をつき、犯人のイカれた横顔を天井の光が照らした。
その銃声は他の号車にまで轟き、気づけば彼女の瞳からの涙はツーっと頬を伝っていた。
そしてそんな目の前の修羅場を僕は──ただ黙って、座席に座って独り見ていた。
僕の名前はメシア、『光』の力をもつ『究極生命体』だ。
究極生命体とは簡単に言えば、自然法則を超えた超常能力をもつ生物のこと。
自分で言うのもなんだが、僕は以前までこの力を使って世界を救う超有名な世界的ヒーローだった。
しかし訳あって僕は今、"その正体を隠して"日本の男子生徒としてある高校に通うことになった。
すぐさま目の前の犯人を撃退しないのもその『正体を隠して』というのが理由。
そして今日はそんな高校生活の初めての朝。
ついさっきまでは順調に穏やかな朝の雰囲気を満喫していたと言うのに、気づけばこんな事件に巻き込まれてしまった──
「──メシアだッ!」
その時、心臓が射抜かれたかのようにビクッと全身に衝撃が走った。
え──?
待て待て、バレた──?
ただ座っているだけで──?
「──メシアだ……、ここにはもうすぐきっとメシアが来るっ……!」
銃口を向けられた男子生徒が地面に腰をつき、おどおどしながらも犯人に言い放った。
「あ? 何言ってんだお前、どこにメシアがいるってんだよ」
犯人のその冷たい言葉に『ひっ』と彼は情けない声をあげるが、拳をギュッと握りしめ、目に涙を溜めながらも勇気を振り絞って続けた。
「き、今日から俺の高校には……メシアが来る……。お前もテレビか何かでそのことは見たはずだっ……!」
「あーメシアが通う高校と同じとこ……てことはお前ら大賢高校か。いいなぁ! 日本一の高校だろぉ? 将来が有望なこった──!」
ダンッ──!
犯人は銃を振り上げ再び天井に向かって発砲、火花がカッと散る。
その音に七海雫と男子生徒の肩が再びビクッと動き、あまりの恐怖に耳を塞いで足を丸め込み下を向いた。
そして再びこの場に気持ちの悪いあの静けさがやってくる──それは皆が恐怖に抑え込まれたことを示していた。
ブルブルと震える二人、犯人はそれを冷たくボーッと見つめる。
次第に雨風は強まってきて窓をガタガタと揺らし、春の明るさなどとうに消えた暗い家並みがそこからは望めた。
「チッ──」
犯人の舌打ち。
突如奴の中の何かが切れたのか、男子生徒を一蹴りしてからその怪力で片手で胸ぐらを勢いよく掴みあげる。
男子生徒はじたばたと足を動かしながら、自分の首に伸びる犯人の腕を掴む。
犯人はそんな彼に面と向かって怒鳴り散らした。
「いいか!? メシアがここに来るわけがねぇんだよ! もしお前の言う通りなら、アイツはとっくにここに来てお前らのこと助けてんだろうが! アイツのとんでもねぇスピードはお前もよく分かってんだろ!」
「……違うっ、メシアはっ……ヒーローだっ……」
「ほんとにしつこいなお前はぁ! 俺が七海雫を楽しんでるとこをさぁっ! 興ざめなんだよっ──!」
男子生徒と犯人の圧倒的な体格差。
犯人の低く、恐ろしい一声一声に怯え、体を縮こめる七海雫の姿が度々犯人の奥の方から見えた。
ドア上の画面は非情にも次の駅をただ繰り返し知らせる。
犯人の図太い声が何度も何度も車内に響き渡る。
しかし奴は知らない──自分のすぐ後ろに座っている人物が、そのメシアだということに。
犯人は胸ぐらを掴んだまま、男子生徒の額に銃口を突きつけた。
「お前この状況でも言えっか!? ほら、さっきみたいに言ってみろよッ! 『メシアが来る』ってよ!」
「……っ」
「ほら言えねぇじゃねぇか! とんだ臆病者だなお前はぁ! さっき乗客が逃げてく時、その人混みに紛れて俺の銃奪おうとしたのも! 全部偽善だなぁ!」
「…………っ」
「ヒーロー気取りが! 子供みてぇにいつまでもメシアに憧れてんじゃねぇよ──!」
ドサッ──!
犯人はそう言うと男子生徒を思い切り地面に放り投げた。
彼は全身を地面に打ち、その痛さにうずくまるが犯人は容赦なく地べたの彼に銃を向け、そしてその指は既に引き金にかけられていた。
犯人の興奮、七海雫と男子生徒の恐怖──様々な要因から皆の息が段々と荒ぶってくる。
電車の跳ねる音に乗せて『はぁ……はぁ……』という呼吸音、いつ撃ってもおかしくない緊迫した状況だった。
まずい……こんなに展開が早いとは思ってなかった──
先程犯人が言っていたように、七海雫と男子生徒の二人は僕と同じ大賢高校生──
幸い今は僕が能力で自分の姿を変え、変装しているからいいものの、ここで力を使って二人を助ければ──
──確実に正体がバレる──
僕が考えを巡らせ血迷う中、犯人の口は動く。
「七海雫ちゃーん、こいつは殺していいって思うよなぁ? 俺らの大切な時間を邪魔してきたんだもんなぁ?」
「っ……、うぅっ……!」
犯人の問いかけに、七海雫はドアに背中をかけ耳をぎゅっと強く塞いだまま涙を流す。
袖で頬を伝う滴を拭うこともせずに、ただ目の前の現実に怯えて泣いていた。
イカれた犯人はそんな彼女にニンマリと笑顔を向け、うんうんと優しく頷く。
──しかし再び男子生徒の方を見るとその顔は鬼の形相となっていた。
「俺の七海雫も泣いてんじゃねぇかよ! お前に邪魔されるのがどんだけ嫌だったのか分かったか!?」
「泣いてるのはっ……! ……っ、お前が怖いからだろっ……!」
男子生徒はぐいっと涙を拭うと、犯人を睨みつけ最後の勇気を振り絞って声をあげた。
「は? いや俺許せねぇわ! 女の子泣かした上に責任擦り付けるのとかまじでさぁ──!」
ダンッ──!
ピカっと火花が散る、犯人は天井に向けて三度目の発砲をした。
その音でこの空間が完全に恐怖に支配され男子生徒の口は閉ざされた。
『はぁはぁはぁはぁ──』という七海雫の過呼吸の音。
三発の銃弾により電車の電気も故障し、パチッパチッと不規則に点滅する。
「──おいそこでさっきから座ってるお前! お前これ撮れ!」
とうとう犯人からこの僕に声がかかった。
ずっとこの様子を座って見ていたことだから、僕の存在自体気づかれていないのかと期待したが、やはり違ったようだ。
今からを人を殺める興奮だろうか、犯人の息も荒ぶり目はカッと開き謎の冷や汗をかいている。
犯人は引き金に指をかけながらも、チラッチラッとこちらを見て、僕がスマホを取り出すのを待っていた。
「はあ……はあ……」
「……」
「はあ……はあ……はあ……」
「……」
「はあ……はあ……はあ……はあ……」
「……」
この場には七海雫の怯えた呼吸が聞こえるだけ。
僕は微動だにせず、スマホを取り出すこともなくその場に座り続けていた。
自分の言うことを聞く気のない僕を見て、犯人の眉間に段々とシワが寄っていく。
「……おい! お前何してんだよ! 早く撮れって! 興ざめだろって!」
「……」
「お前聞こえてねぇのか!? それか何だ? 恐怖でもう体動かなくなっちまったのか!?」
「……」
「チッ──」
犯人は舌打ちをすると男子生徒の胸ぐらから手を離し、僕の方にのっそのっそと覆い被さるようにして寄って来る。
僕の視界は奴の大きな体に埋め尽くされた。
電車の天井の光もその巨体に遮られ、影が出来る。
「お前さっきからずっと座ってたよな。俺の言うことも聞かねぇし、どうした? 俺のこと舐めてんのか?」
耳元で犯人の低い声が響き、その生暖かい息がかかって気持ち悪い。
「……いや、ちょっと足が動かなくて」
「ふっ、やっぱそう言うことかっ!」
『ゴッ──』という鈍い音。
突如犯人の拳が僕の頬を殴り、僕の顔はその勢いで反対側へ飛ばされる。
続けて奴は僕の顔面を掴んで窓に後頭部を叩きつけ、無抵抗の僕を制したと思いニタリと笑みを。
しかしこの程度僕には何も感じない──
「──君は七海雫が目的でこんなことを?」
僕は犯人に顔を掴まれ押さえつけられたままそう言った。
すると奴は戸惑ったのか苛立ったのか沈黙。
僕は再び同じ質問をしながら奴の太い腕を掴んだ。
「君は七海雫が目的でこんなことをしたのかって聞いてるんだよ」
床に倒れていた男子生徒はゆっくりと体を起こし、七海雫も縮こまるのをやめて少し顔をあげた。
犯人を含めたこの場の全員が僕に対して何らかの『違和感』を感じていた。
しかし犯人は僕の顔を掴むのをやめ、次にすぐさま前髪を鷲掴んだ。
そうして僕の顔を持ち上げ顔面に一発。
ゴンッ──
激しい一撃をくらった僕の頭は窓に直撃し、その勢いに乗せて跳ね返る。
その様子に男子生徒と七海雫は慌ててギュッと目を瞑った。
「自分の好きな人を追い求めて何か悪いか? ビビって動けない奴なんかよりよっぽどマシ──」
「──追い求めるって言わないよこんなもの」
「あぁ?」
「何? 聞こえなかった?」
僕の犯人と張り合う声に二人は再び少し顔をあげてこちらを見る──そこには怖気付くことのない僕の余裕の顔。
血を流すこともない、かすり傷ひとつもない。
それを見た二人の顔にはボロボロと零れる涙はなく、微かに乾き始めた涙の跡があった。
「──何調子乗ってんだよお前」
今までの大声とは打って変わって犯人の声は沈んだ低いものに──奴は本気でキレ始める。
カチャ──
その時、僕の額に銃口が突きつけられる。
しかし僕は変わらずに無抵抗、犯人もその様子にニタニタと笑みを浮かべる。
パチッパチッと点滅する電車の光、窓の外の景色は今もずっと動き続けていた。
「最後に一言、何かあるか?」
静まった空気、時間の流れが非情にゆっくりに感じた。
そんな中、にぃーっと僕の口が横に動く。
そして僕のその横顔を、二人は犯人の体の隙間から見つめていた。
僕の口は続けてゆっくりと動く──
──に──
──げ──
──ろ──
その口の動きで男子生徒と七海雫は悟り、驚いて二人は顔を見合わせまた僕の方を見た。
僕は犯人に見えないように手を伸ばし低いところで二人にグッドサインを出す。
そして僕は思い切り息を吸い込み大声で言ってやった──
「いい歳して高校生を狙ってんの気持ち悪いんだよっ──!」
「──ッ!」
ダンッッ──!
銃声、火花、火薬と何かが焦げるような匂い、どこからか風が吹いてつり感や広告板が少し揺れた。
──その直後、犯人の背後にいた二人は慌てて立ち上がり、別の号車へ繋がる貫通扉に向かって駆け出す。
それに気づいた犯人はすぐさま二人の方を向くと同時に、その逃げる背中に向かって銃口を突き出した。
「お前ら逃げてんじゃねぇぞ! 撃つぞ──!」
その犯人の叫びに二人の足はダッと止まり、彼らはうつむく。
髪が揺れ前髪が下りてその顔は見えず影がかかる。
男子生徒はグッと歯を食いしばり、七海雫の瞳からの雫がまた頬を伝う。
「少しでも動いてみろ……俺は迷わず撃つからな」
二人は両手を上げ、ゆっくりと振り返る。
自分たちを救おうと見ず知らずの人が隙を作ってくれたのに──
結局犯人からは逃げられずに殺される──
そんな暗い気持ち、絶望感に苛まれながら彼らは振り返った。
点滅する電車の光、天井から吊るされた数々のつり革、中央にドンと構える犯人の巨体。
そして誰一人として腰掛けていない空の椅子、号車が向こうの方まで続いていた。
──誰一人として腰掛けていない空の椅子──
「七海雫、アンタのことは殺すつもりはない。ひとまず俺の方に来い」
犯人はそう言って手招きするが──彼女は動かなかった。
いやそれどころか二人の上げた両手は次第に下がり始め、目を丸くして何かを凝視する。
「な、何で……」
つい二人の口から言葉が漏れる。
二人のその様子に『何かがおかしい』と勘づいた犯人も戸惑いながら──
「はぁ? 何でってどういうことだよ……」
二人の目線は犯人ではなくその背後に向く。
「お前らどこ見てんだよ。俺の後ろに何か──」
犯人はその目線をなぞるようにしてゆっくりと振り向いていく。
固唾を飲む、時間がゆっくりと進んでいた。
「──ッ!?」
全身を駆け巡る流光、拳を握ればビリビリっと光を放つ。
白色の髪、明るく優しい雰囲気だが圧倒的な強者の風格──犯人の目には先程撃ったはずの僕の姿が映っていた。
いや、正しくは『恐らく先程撃った奴なんだろう』という感覚だろうか。
「何で……お前っ……!」
犯人の先程までの威勢などどこかへ行き、驚きゆっくりと後退りしながら言う。
しかし奴はぶんぶんと首を振り、両手で銃を構え固唾をまた飲んだ。
「さっきのお前って──」
犯人の冷や汗がその短い髭の生えた荒い肌を伝う。
一方その背後の七海雫は僕の姿を見て涙を流し、袖で拭いながら笑う。
男子生徒は僕の参上をグッと噛み締め、無言でガッツポーズ。
ビリリリッ──
号車の壁、床、天井に白い光が流れる。
僕は笑って言う──
「───僕はメシアだ───」
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