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十を超える次元の住人  作者: 蒼月貴志
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理解

「しかしまあ……何ともおかしなことになったなあ」

 窓の外の景色を楽しんでいる高橋をしり目に、テーブルでお茶を飲む山田がしみじみとこぼした。

 広間にはいつもの三人組が椅子に腰をかけ、休憩時間を満喫している。輿石と折山は、コクピットに戻り、帰還のための軌道調整をしているようだ。

 船はブラックホールの周回軌道を離れ、急遽地球へ帰還することとなった。そもそもの目的であるデータを採取する必要がなくなったためだ。

「まさかブラックホールを地球に連れて帰ることになるとは……」

「正確には、ブラックホールの意思が宿った三次元の絵、だがな」

 斎藤が訂正する。

「わたし、さっきの高次元空間の話についていけなかったんだけど、彼女はこんなに本体から離れて良いものなの? やっぱり、高次元の生き物は何か違うのかしら」

「彼女にとって、三次元内の距離は意味をなさない。常に高次元空間を通して、本体と隣あっているんだろう。恒常的に空間跳躍をしている状態だな」

「なるほど。便利なものね」

「というか、もう生き物ってことで納得したんだな。みんな」

 山田が机に突っ伏しながらつぶやいた。

「まあ、ねえ……少なくとも我々の既存の知識だけでは理解できない生命現象っていうことでいいんじゃないかしら」

 斎藤がうなずく。

「まったくもって理解の範囲外だ。原理的には、彼女は宇宙を作ることすらできるかもしれない。その可能性を感じさせてくれる」

「それでも要するに、今あそこにいるのは人造人間ですもの。宇宙は作れても子どもは作れないんじゃないかしら」

 吉田の言葉に珍しく渋い顔をする山田。

「急に話が下世話になったなあ。いい加減、高嶺の花にやっかむのはやめたら?」

「うるっさい」

「できますよ? 子作りも」

 いつの間にか後ろに立っていた高橋からの一声に肩を跳ね上げる吉田。

 高橋は笑顔で話を続ける。

「外見は私固有のものですが、現在、体内器官は完璧に人類のものを再現しています。特に女性の、吉田さんのものを参考にしました。効率的になるよう少し改良を加えていますが、基本的な機能は同じです。あと、細胞は少し若返っています」

「年老いた非効率的な体で悪かったわね」

 苦虫をすりつぶしたような顔で茶を一気飲みする吉田。

「体内器官までダメ出しされるとは……」

「山田さんって、ほんっとデリカシーないわね!」

 湯呑を机にたたきつけた吉田が居室のほうに戻って行った。

 高橋がおどおどしながらやり取りを見ている。

「あの……私何か吉田さんの気分を害するようなことを言ってしまいましたか?」

「今のは煽った山田が悪い。あなたは気にしなくていい」

 斎藤が即答する。

「はいはい」

 山田もかぶりを振って、退席してしまった。

「でもまあ、もう少し言い方は和らげたほうがいいかもしれないですね。人間というのは、自分の体に少なからずみんなコンプレックスを持っているんです。あなたを改善した存在が私です、とはっきり言ってしまうと、言われたほうはやるせないです」

「なるほど。心というものは、情報の積み重ねだけではなかなか理解できないものですね。難しいです」

「まあ、変化が非線形ですからね……とにかく、あなたの寝床を確保しないといけない。基本構造が同じなら、睡眠と食事は必要ですよね」

「ありがとうございます。どちらも必要なくすこともできたのですが、こうしたのは、人類の生活を経験したいという私の我儘のためです。ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」

 斎藤が手を前にかざし、首を横に振る。

「いやいや。そこまで人類に興味を持ってもらえるだけでも我々はうれしいです。まあ、一昔前と違って、宇宙空間では常に食糧難という時代ではありませんので、寝床の心配だけしましょう。とりあえず、今日は私の部屋を使ってください」

「斎藤さんは、どうするのですか?」

「私は、今日は無重力区画で寝袋に入って寝ます。明日以降のことは、明日考えましょう」

「いけません。私が寝袋で……」

「お気になさらず。若いころは研究室でよくそうして寝ておりましたので、慣れています。それに、女性を寝袋に放り込んで自分はベッドで寝るなど、男の矜持に関わります」

 そういうものかと首をかしげる高橋に対して、斎藤が微笑んで見せる。

「分かりました。それではありがたく、使わせていただきます」

「いえいえ。ではおやすみなさい」

 そういうと、斎藤は寝袋を取りに倉庫のほうへと消えて行った。

 一方、高橋はまっすぐに斎藤の居室へは向かわず、反対方向の若いアカデミック二人組の居室がある一角を目指す。

 彼女が立ち止まったのは、吉田の部屋の前であった。

 扉をノックし、住人の在室を確認する。

 中から吉田の声。

「はい。どなた?」

「高橋です。吉田さん。今ちょっとよろしいですか?」

 短い沈黙の後、横開きの扉が軽い電子音とともに開き、中からはいささか複雑な面持ちの吉田が現れた。

 努めて平静を装っているが、明らかに内心穏やかではなさそうな、とげのある声を発する。

「なんでしょう?」

 一旦吉田の目を見たかと思うと、突然、黙って頭を下げる高橋。

 危うくその額が激突しそうになり、回避のために後ろへのけぞる吉田。よけた体勢のまま、目を丸くする。

「と、突然なに?」

 顔を上げた高橋が口を開く。

「先ほどは大変失礼なことを言ってしまい、申し訳ありません。皆さんの国ではこのように謝罪するものだと、データにはありましたので……あの、何かおかしいですか?」

 高橋の言葉の途中で、それまでポカンとしていた吉田が丸めた手を口に当て、くっくと笑いをこらえ始めた。

 こういった場合に笑ってはいけないと頭ではわかっており、自身でも不思議ではあったが、どうにも止まらないのだ。

 一度深呼吸をするとともに落ち着きを取り戻した吉田が答える。

「いえ。むしろ丁寧に謝りに来てもらって、逆に申し訳ないわね。中へどうぞ。コーヒーでもいかがかしら」

 先ほどまで怒り心頭であった彼女も、この素っ頓狂な来客を前に、こまごました怒りがどうでもよくなってしまった。

 招かれるまま中に足を踏み入れる高橋。

「ごめんなさい。コーヒーといってもインスタントしかないのだけれど」

 室内のレイアウトをきょろきょろと見まわしていた高橋が、声をかけられて吉田に目を向ける。

「いえ、ありがとうございます」

 居室は重力区画にあるため、カップに注がれたコーヒーの香りを楽しみながらくつろぐことができる。これが居室の最大の利点だと、昔輿石が言っていたのを吉田は思い出した。

 ポットの湯をカップに注ぎ、机に運ぶ。

 二人は、コーヒーカップの置かれた丸テーブルの周りに配置された椅子に、向かい合う格好で腰を下ろした。

 カップに口を付けた吉田に対して、高橋が改まって声をかける。

「吉田さん、改めて、先ほどは申し訳ありませんでした」

 カップをテーブルに置く吉田。

「もう本当にそれは気にしなくていいのよ。確かに、正直に言えば、最初はカチンときたけれど……あなたがまだそういう心の機微が分からないのも理解できるし、わざわざ謝りにも来てくれた。これでまだ怒りが静まらないようでは、私のほうが大人げないわ。さ、せっかくのコーヒーよ。冷める前に飲んでちょうだい」

 高橋が表情を和らげた。カップを持ち上げ、口に運ぶ。

 すると、眉間にしわを寄せ、何とも言いようのない、難しい表情になってしまった。

「こ、これは……」

「あら? お口に合わなかったかしら? ――あ」

 ここで、吉田はある可能性に思い至った。

 体つきや口調で、てっきり成人だと思い込んでいたが、物理的に彼女が誕生したのは、数時間前のことなのだ。

 当然、五感、とりわけ味覚が未発達な可能性が考えられる。

 つまり、よちよち歩きの子どもにブラックコーヒーを飲ませたような状態になっている可能性があるのだ。

「ごめんなさい! 私気づかなくて……」

 高橋が慌てて立ち上がる。冷蔵庫に牛乳やジュースがあったはずだ。それをとりに行こうと、後ろを振り返る吉田を高橋が制止する。

「だ、大丈夫です。苦くて、少し驚いただけです。せっかく入れて頂いたのに、飲まないなんてありえません」

 そういいながら二口目を口に流し込む高橋。

「ちょ、無理しないで!」

 結局、吉田にとめられながらも、カップに注がれたブラックをすべて飲み干してしまった。

 椅子に座ったまま惚けた高橋を、吉田がひやひや横から見守っている。

「なんだか、元気になってきました」

「カフェインで興奮しているだけよ。ちょっと待ってて」

 空になったカップを持ち上げ、冷蔵庫へ向かう吉田。牛乳を注ぎ、高橋に手渡す。高橋も初めはぼんやりカップを眺めていたが、ふと気づいたように、それも一息に飲み干した。

「落ち着いた気がします」

「よかったわ」

 心底安心する吉田。高橋の身に何かあるのは当然困るのだが、それに加えて、彼女がおかしくなった時に本体がどうなるのかを心配していたのも事実である。

「人間の体とは面白いですね。物質のこれっぽっちの摂取でここまで状態が変わるとは……今後は気を付けます」

「ええ。そうしてちょうだい」

 ため息をつきながら答える吉田。体と聞いて、先程まで漫然と抱いていた疑問を思い出した。

「ところで、高橋さん。あまりほじくり返すのもよくないとは思うんだけど、私の体をコピーして、効率化したといっていたわよね」

 ぴょんと背筋を伸ばした高橋が吉田を見つめる。やはり怒られるのだろうかと心配しているように見える。

「あ、いや、別にまた不機嫌になるわけじゃないのよ。ただ、私の体のどのあたりが非効率的だったのか、純粋な好奇心として知りたいの」

 胸をなでおろす高橋。しかし、やはり初めの失敗がこたえていたのか、今度は言葉を選ぶようにじっくりと考えながら答える。

「えっと、事実を申しますと、吉田さんの体は特別非効率というわけではないのです。ただ、消化器系統と、血管の一部に流れの悪いところがありまして……」

「ちょっと、怖いじゃないの。はっきり言ってちょうだい」

 まるで病気の宣告をされるような気持になってきた吉田の表情が徐々に曇ってゆく。

 それを見た高橋がいくらか慌てたようではあったが、言われた通り忌憚ない意見を伝えられるよう努める。

「大腸と呼ばれる部位の一部に、消化に不要な突起があります。医学情報には、虫垂とありましたが、不要なうえに、場合によっては病の原因にもなるため、削除しました。また、肩から首にかけての血行が著しく停滞しておりまして、血管の太さや分布はそのままに、流れを最善の状態に設定しました」

 普段は考えないが、確かに生まれてこの方盲腸になったことはなく、将来かかる可能性は否定できない。また、たしかに最近はデータ解析のためにパソコンに向かい続ける生活を続けており、肩こりが悪化している感じはする。

「私の虫垂や、その血管に異常があったりしたのかしら?」

 恐る恐る尋ねる吉田。ようやくポジティブな返答ができることに顔を明るくする高橋。

「まったく異常はありません。虫垂に炎症等の兆しはありませんし、血行の悪化も、医療データによると正常域内です。ただ、血行の悪化は、疲労や体調悪化を助長する可能性はあります」

 大きな病気の心配がないことに安どするとともに、分かっているつもりではあった疲れを指摘され、改めて、気疲れを起こしてしまう。

 その様子を見た高橋が、関係改善の好機とみて、提案する。

「もしよろしければ、血行を改善できます」

「え? 肩でも揉んでくれるのかしら?」

「はい。お望みでしたら、全身のマッサージも致します。血管の位置、血流、各臓器への影響等、あらゆる吉田さんの生体データを駆使し、最高のマッサージをお約束します」

「それは楽しみね――あ、ちなみに、気になっていたのだけれど、どうしてそんなに他人行儀なの?」

 手の準備運動を始めた高橋が答える。

「これが礼儀だとデータには……」

「データ通りにする必要はないわ。もっと気楽に話したいわね。船内唯一の女仲間だもの」

 視線を宙に漂わせ、どうしたものかと思案する高橋。

「いいわ。いきなりは難しいでしょうから。でも名前の呼び方くらいは今変えましょう。お互いファーストネームで呼び合うの。いいわね、良子」

 いったん逡巡した後、高橋もこれに答える。

「分かりました。鈴子。……それでは、マッサージを始めます。横になってください」

 その夜、吉田の悲鳴のような、または喘ぎ声のような様々な感情が入り混じった声が居住区に響いた。

 男性的感情と騒音により寝不足になった山田は、翌日、体を新調したかのような最高のコンディションの吉田とは対照的に、頻発する居眠りによって斎藤に叱られることとなるのだった。


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