子供を育てる喜びは動物的喜び
母親は男の進路を県庁職員か教員の二つに決め、男に強制した。県庁職員になるか教員になるか沖縄では男の選択は二つしかなかった。しかし、好き好んで県庁や教員を選択する若者はほとんどいない。倒産の不安がなく収入が安定しているという打算で県庁や教員を選択するのがほとんどの若者だ。年功序列でがっちり固められて単純な流れ作業をこなしていくだけの県庁の仕事に男は情熱を持つことができなかった。そして、ガキどもを教えるのに生き甲斐を感じることもできなかった。学問とも言えない低級な内容の教科をガキどもに教えるより自分自身の実力を高める仕事の方が男にとって生き甲斐があった。男は母親の怨念が重たく漂う沖縄から脱出する決心をした。
子供は母親の夢を背負う義務はないし、女性は子供のために自分の夢を捨てる義務はない。まだ結婚の経験のない子供を育てた経験のない沖縄脱出を目指している三十一歳の男は母親の怨念から開放された東京でそのように考えて生きてきた。
「私の父は農業をやるしか能のない男でね。朝から晩まで畑仕事。千坪の畑にさとうきびを植えて。だから家は貧しかった。母は豆腐の行商をしたりゴルフ場のキャディーをしたりホテルの掃除婦をしたりして家計を支えた。明るくてタフネスな女だった。でも母子喧嘩した時には『私が一生懸命働いているのはあなた達のためよ。』と言うのが母親の口癖だった。『親の言うことを聞かないで我ままするのなら私だって我ままに生きるから。明日から私は家を出て自由に生きるからあなたは学校を辞めて働きなさい。自分で使うお金は自分で稼ぎなさい。』というのが母親の子供への脅し文句だった。」
「可愛いわあなたのお母さん。私なら、はい分かりましたと言って家を飛び出しているわ。」
「母に反論というか反抗をやりたい気持ちはあった。でも、その時の母は涙を流して狂乱状態になっていたから言い返すことができなかった。私は黙って小さくなるしかなかった。」
二つ年上の女の兄は成績優秀だったが女は普通だった。厳格で厳しい女の父は女に勉強を強い、成績が悪い人間は社会の敗北者になってしまうとねちっこく説教し女を厳格な規律の中に押し込めた。物が溢れいたる所に遊びの誘惑が充満している東京の子供には厳格な規律が必要だというのが、銀行員である女の父の自論であった。
「英次さんとお母さんの喧嘩には大らかさを感じるわ。私の母は父の言いなりだったし父は厳格で陰険。私の少女時代は息苦しかった。」
男は男と女の両親を比較する積もりで話したのではない。
「私が生きているということは母の自由な夢を奪ったのだという罪悪感が私のトラウマになった。」
女はそんなことがトラウマになる男が純情な人間に思えて親しみを込めて笑った。
「洋子さんもいつか私の母と同じことを子供に言うんだろうな。」
「私は言わないわよ。絶対に。」
女は不機嫌になった。
貴女は雄太君の喘息を治すために服飾デザイナーの夢を捨てて東京から沖縄に移ったと雄太君にいつか必ず言う。男は自分の確信を露ほどにも疑わなかった。
「私は英次さんのお母さんとは違う。私は母親として当然の選択をしただけ、雄太の将来は雄太が決めること。私は雄太の自由を束縛するようなことはしないわ。」
でもあなたは喘息の子供を気遣う。あれは喘息に悪いからやらないでこれは喘息にいいからやりましょう。水泳は喘息を治すからやりなさい。街は空気が悪いから行かないようにしましょう。山に行きましょう。海に行きましょう。夜更かしは絶対駄目。家に閉じこもってテレビゲームなんかやったら駄目。
「英次さんは東京のストレスに負けてお母さんの居る沖縄に帰って来たじゃない。」
・・・半年間だけだ・・・。
「英次さんはお母さんの元に帰ってきてストレスは治ったのでしょぅ。母は偉大なのよ。母の偉大な慈愛に満ちた胸の中で英次さんの心は癒されストレスは解消された。英次さんはお母さんから脱出はできなかったし脱出する必要もなかった。母と子の絆は永遠に繋がっているのよ。」
ほらほら貴女は子供を自由にすると言いながら無意識に母と子の絆で子供を縛っている。
「それはそうかも知れない。ストレスが治ったことは事実だ。」
「あと半年も沖縄に居れば英次さんの円形脱毛症も完治するわ。」
それはそうかも知れない。でも別のストレスが増大してくる。そして夢を生きる気力が萎えていく。
「英次さんが生きていくのにふさわしい場所は沖縄だわ。私と一緒に沖縄で暮らしましょう。」
肉体や神経が健康になることが幸せなこととは言えない。人間としての幸せとはそんな単純なものではない。肉体や神経がボロボロになり苦痛の日々でも人間としては幸せであることもあるのだ。
「ね、英次さん。」
女は男が口ごもったのは男が女の気持ちに揺れ動かされていると誤解して男と沖縄で暮らせる希望が湧いてきた。
肉体と神経がボロボロになり苦痛の日々でも人間として幸せな世界があるということをうまく説明できない男のもどかしさ。平穏な日々が人間の最高の幸せというのは余りにも動物的であると言えば貴女は反発するに違いない。話題を転換しないと。
「赤とんぼの歌があるだろう。負われて見たのはいつの日か。という歌詞があるけど赤とんぼの作詞者は誰に負われていたと思う。」
「知らないわ。」
「十五でねえやは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた。十五歳で結婚したねえやに負われて赤とんぼを見ていたということ。ねえやというのは貧しい農村の女の子が金持ちの作詞者の家に買われてきて赤ん坊だった作詞者のお守りをしていたということなのさ。」
女は男の話は理解できたが赤とんぼの話をする男の真意は理解できなかった。
「英次さん。なぜ赤とんぼの話をするの。」
「五木の子守唄、赤城の子守唄、竹田の子守唄。日本の子守唄は全て赤ん坊を寝かせるための歌ではなく貧しい農家の娘たちが金持ちの家に売られて子守りをしながら故郷を恋しがる心境を歌っている歌なんだ。大正時代に作られた『叱られて』も子守りの悲しく切ない気持ちを歌っているんだ。叱られて叱られて口には出さねぞ目に涙。貧しい農家から買われて来た少女たちはひたすら耐えて声を出さずに泣いていたのさ。」
女は男の話の真意がますます分からなくなってきた。
「あなたのお母さんは少女の頃にどこかの金持ちに買われていって子守りをしていたというの。」
「いや、そうじゃない。」
「英次さんがなにを言いたいのか私にはさっぱり分からないわ。」
「つまり、昔の金持ちや身分の高い人々は、生まれた時から乳母や子守りに子育てを任せていたということだ。」
男がなにを言おうとしているのか女にも分かり掛けてきた。
「身分の高い人や金持ちの妻は乳母を雇って子供に母乳を上げない母親がほとんどだったらしい。赤ちゃんのオシメを代えたりだっこしたり寝かしつけたり浴びせたり散歩したり遊んだりするのは母親がやらなければならないことと言われているが、金持ちや身分の高い人の妻は全然やっていない。そうであるなら子供を育てるというのは必ずしも母親がやらなくてもいいということになる。仕事が忙しい時はベビーシッターにあずければいい。二、三日ベビーシッターに預けたからといって母子の愛は薄れない。いや、一ヶ月預けても母子の愛は薄れない。母親が子育てのために仕事の少しを犠牲にするのは仕方がないが仕事の全てを犠牲にするのはおかしい。」
なんて幼稚な合理思考なんだろう。新しい生命が子宮に宿り、ゼロから次第に成長していく胎児、私のお腹の中で新しい生命が育っている喜び、無事に誕生してくれるか、不安、新しい生命の誕生の激しい痛み、喜び、疲れ、不安、希望、子供の誕生を体験していない貴方は産み育てる女の複雑な情感を知らない。危うい命を育てる怖さ、小さな命が成長していく喜び、一日一日の喜びと不安を貴方は知らない。だから子供のことを冷淡に合理的に思考していく。金持ちや身分の高い人の妻達が子育てをしなかったなんていうことは私には関係のないこと。産んだ子を愛し産んだ子を育てるのは女性の本能。私は女だから女。私は母親だから母親。子供が健康に生きることが私の喜び私の幸せ。
「英次さんの話は私には難しくて分からない。私は私の子供雄太を愛している。雄太が喘息で苦しむのは私の苦しみ。雄太の喘息を治すために私は沖縄に来た。雄太は元気になった。私と雄太は沖縄に住み続けることにした。それは自然の流れ。私にとってはね。それが悪いと言うの。」
「悪い。」
「悪いことなの。」
「悪いことだ。」
「なにが悪いの。」
「洋子さんが洋子さんの夢を捨てたこと。」
「私の夢なんて他愛のないもの。雄太の命に比べたら。」
「洋子さんの夢と雄太ちゃんの命は比べることはできない。」
「比べることができないの。」
「できない。」
「英次さんは私の服飾デザイナーとしての才能を過大評価しているのよ。私には才能なんてなかったわ。」
「才能の問題じゃない。仕事をしている時の喜びのこと。洋子さんがデザインの話をしている時には目が輝いていたし夢見る目をしていた。」
「そう。」
「そう。」
「でも雄太の成長を見ている方がもっと楽しい。生き甲斐がある。雄太と遊んでいる時がもっと喜びに満ち溢れている。」
「嘘だ。」
「嘘じゃないわ。」
「嘘じゃないかも知れない。でも仕事の喜びと雄太ちゃんへの喜びは異質なもの。」
「異質なの。」
「そう異質だ。」
「私は私。私はひとり。私の喜びはひとつ。」
「そうかも知れない。でもその喜びはひとつでも異質な喜びのひとつひとつ。」
「英次さんの話は分からない。」
男は溜息をついた。