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あまなつ。  作者: 山室 蒼
第1部 第1章・眷属獣の舞う空
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プロローグ

 久しぶりに昔の夢を見た。

 やさしい姉に甘えた記憶。友と笑いあってすごした日々。そんな懐かしい昔の頃の夢を見て、その余韻に浸りながら昔を思い返し、少女はまどろみの中にいた。


「ねえアルノシュト。町の外ってどんなとこなの?」

 私はあの頃、何も知らなかった。だからこそとても無邪気で、自分の知らない世界、リディツェの町の外を見てみたくてたまらなかった。

 いつも友人に目を輝かせて聞いては、自分自身で行ってみたいと強く願っていた。

 友人はそんな私をちょっと呆れたような眼でみながらも、色んなことを教えてくれた。彼自身も外へ行ったことはほとんどないという。でも外どころか、自分の家からすら出たことのなかった私にとって、彼の話してくれることはとても面白くて、ワクワクするものだった。

 だからなのか…私はあの事件の後、自分の父親を求めて外の世界に行った。大切な友人といることより、外に出て、自分ひとりで生きながら肉親を捜すことを選んだ。

 今でも、別れるときの友人の糾弾する声が耳を離れない。私だって、もっと一緒にいたかった。でも、外の世界や血のつながった者への憧憬や愛慕、執着の方が強かった。それに、もうリディツェには居られない、居れば友に迷惑がかかるとも分かっていた。

だから私はリディツェを出て、そして…


 スパァァン!

「いだぁあぁあっ!?」

 唐突に頭部を鋭い痛みが襲い、少女は思わず飛び起きた。状況が把握できずに、頭を抱えてあたりを見渡す。

 6畳程度の和室には余計な調度品はなく、中央に彼女の寝る布団が敷かれているだけである。隣にあるはずの2つの布団は既に畳まれ、仕舞われているようだ。なんてことはない、彼女がいつも寝ている部屋である。

「アマナツ起きたー!」

 そう言って、まだ幼い男の子がアマナツに抱きついてくる。

 その後ろに立っている初老の男性は呆れた表情で涙目の少女を見ている。手には丸められた新聞。どうやら寝ていた少女を襲った凶器はこれらしい。

「ルー…じーちゃん…」

「このねぼすけが。いつもは早起きのくせに、なんで今日に限って寝坊するんだ」

 初老の男性―アマナツの祖父であるライムント・クローゼは、腕組みしてため息をつきながら言った。

 抱きついている金髪の男の子は、アマナツの弟であるルーカス、通称ルー。15歳であるアマナツとは7つ離れている彼は、初等学校3年生だ。しかし今日は日曜なので、学校はない。

「あ、あれ、目覚まし時計鳴った?」

「ちゃんと鳴ったぞ。珍しくお前は「あと5分~」とか言ってそのままスヤスヤ寝てしまったがな」

「でも今日は日曜だし、偶には…ん?」

「まだ寝ぼけとるのか?今日はローゼンクローネ帝国軍士官養成学校の入学式、そしてお前はそこの第5学年に編入するんだろうが」

「…あーっ!!」

 数日前に寮に荷物を送ったばかりで、忘れていたわけではない。だが先ほど見ていた夢が気になって、そんなことはすっかり頭から消えていた。途端に焦って、アマナツは祖父に問いかけた。

「いっ、いま何時!?」

「7時」

 入学式は14時からで、彼女の住む地域から学校のあるヘルリッヒまでは汽車やら飛行船やらで6時間かかる。残された時間は1時間しかない。

「え…ち、遅刻するー!?」

「はよせんか!」

「ていうかもっと早く起こしてよ!」

「甘ったれるな!!」

 鋭く一喝されて、アマナツはさらに涙目であわあわと布団を畳みだした。

 ここはローゼンクローネ帝国の領土の1つ、ヤマト自治区。

 帝国はユーロイシア大陸の北中部に広がる、人口2億ほどもある大国だ。各種資源が豊富で、重工業が発達している。領土は広大でほぼ円形をしており、またその他にヤマトのようにいくつかの自治区を持っている。ヤマト自治区は、数十年前まではヤマト国というそれなりの国力を持った島国だった。戦争で負けてからは帝国の傘下に入り、しかし国民の何割かの兵役義務などと引き換えに自治特権を得た。ローゼンクローネ帝国はこの様にして軍事的にも強大な一大国家として君臨しているのである。

 領土は自治区の他は中央部・北部・東部・南部・西部の5つに分かれており、それぞれが4つの区から成り立っている。中央部の第1区は帝都ヘルリッヒとして栄え、様々な軍事関連施設や王宮がある。彼女が今日編入する軍士官養成学校もそうだ。

 帝国では、6歳から10歳までの初等学校を卒業すると、普通の8年制の学校か5年制の専門学校のどちらかに行くことになっている。

 軍士官養成学校は専門学校に分類される。将来の軍の高官を育成するのが目的であり、それゆえ入学試験から卒業試験まで非常に厳しくレベルの高いものとして知られている。

 入学した後は、順調に最終学年の5年生まで進級できれば卒業試験を突破して卒業、士官として軍に入れる。ただしそれはほんの一握りの非常に優秀な生徒だけで、ほとんどの生徒は卒業試験に合格できず、最終学年をやり直す。しかし3回連続で試験に落ちた後は強制除籍となり、一兵卒として軍の最下層から這い上がっていくしかない。非常にシビアな世界なのだ。

 そんな中、特別入学枠として編入試験が設けられている。これは2年生以上からの途中入学のための試験で、どの学年も年齢制限は15歳までとなっており、非常に難易度の高いものとして知られている。アマナツは3カ月前に見事にそれを突破し、入学許可を得たのだった。

 軍士官養成学校は完全寮制のため、これからは寮から学校に通うことになる。9月に始まり、来年の6月に卒業試験を経て卒業だ。次に家へ帰ってこられるのは、卒業後の夏休み、約10カ月後である。

本来ならもっと感傷にひたるところだが…そんな暇はなさそうだった。

「アマナツー、だっこしてー」

 甘えたな弟がアマナツにじゃれついてくる。これから当分会えなくなるのは彼もちゃんと分かっていて、最近暇さえあれば甘えてくるのだ。

 アマナツもそんな弟が可愛くてしかたがない。が、幾分いまは入学式から遅刻の瀬戸際だ。もっと早く起きてれば、と後悔しきりの心情である。

「ごめんルー、それどころじゃないんだ!ああいやでも、これからほぼ1年会えないと思うと、今の内に思いっきりギュッと抱きしめ…」

「はよせんか!!」

「ひゃー!」

 権力構造がはっきりしているクローゼ家だった。

 アマナツは急いで布団を畳んで仕舞い、着替えて顔を洗って台所に立った。祖父と弟との3人で住んでいるこの家では、食事や洗濯など一通りの家事は彼女が受け持っている。最も、彼女やルーカスが来る前は、ライムントがすべて自分でやっていたのだが。彼女がライムントの家に最初に来た日に、「この家の家事は私がやる」と宣言したのを忘れていないのか、こんな時でも朝ご飯を作ってくれない祖父であった。

 きっと今日は慌ただしくなるだろうと思って、昨日の内に作り置きをしていたのが正解だった。すぐに朝食は出来上がった。

 昨日の内に買ってきたブロート(パン)に、サラート(サラダ)、昨日の残りのアイスバイン――塩漬けの豚肉を野菜や香辛料と共に煮込んだ料理――だ。                                

 皆食卓についたらきちんと手を合わせて、

「「いただきます」」

 行儀や作法にうるさいライムントは、孫たちに厳しく教え込んでいる。食卓に肘でもついたりしたら、即座にげんこつだ。

「アマナツ。分かっておるだろうが、7時45分発のコウベ港行きの汽車に乗らないと遅刻確実だぞ」

 ライムントが薄切りにしたブロートにバターを塗りながらアマナツに確認する。アマナツも贅沢にもバターをたっぷり塗りたくり、更にその上にジャムをのせて応じる。

「うん。…ってあと20分しかない!?」

 乗る予定の汽車がでる駅までは速足で歩いて10分ほどで着く。もはや走らざるをえない状況だ。

「アマナツ遅刻ー!」

「ええーっ!?」

「はよ食え」

「うぅ…。行くのが嫌になってきたよぅ」

 再び泣きべそをかいて、自分の手料理をかきこむ。おいしい。でもなんだかせつない味がする気がする…。でもおいしい。

「うん、一晩おいたアイスバインは最高だね」

「はよせい!」

 堪能する間もなく食事を平らげ(ライムントとルーカスは急ぐ必要がないのでゆっくり味わっている)、歯を磨き、アマナツは最後に身支度を整えながら玄関に移動した。

 玄関の姿見に映るアマナツは、軍士官養成学校の学生用の軍服に身を包んでいる。濃紺を基調にした新品の制服に、彼女の金色の髪がよく映えていた。

「アマナツー!」

 ブーツを履いて立ち上がると、後ろからルーカスが姉の腰にしがみ付いてきた。

「…行っちゃ嫌だよぅ…」

「ルー…」

 今にも泣きそうな声を出して頭をぐりぐり押し付ける弟に、アマナツは困った顔になる。

「私だってルーと離れたくないよ…?でも行かなきゃならないんだ」

「うぅ…」

 アマナツの腰に回されたルーカスの腕に力がこもる。離さない、という感じに必死に抱きついてくる弟に、ますます困ってしまう。

「10カ月したら、また帰ってくるから」

「やだ…待てない…」

「手紙、たくさん送るから」

「…さみしい…」

「ルー」

 アマナツは弟にやさしく呼びかけると、ふわりと彼を抱き上げた。

「…大きくなったねぇ」

 初めて会ったときと比べて――それはまだたった3年前だが――確実に一回り大きくなり、体重も増えた弟を抱きしめて、アマナツは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「…重い?」

「うん。幸せな重さだね」

 あの時はろくに食事もできずにやせ細っていた弟。親から愛情を注いでもらえずに感情を失っていた弟。出会えたことはお互いにとって幸運だったと、アマナツは確信を持って言える。

「アマナツ…」

「必ず帰ってくるからね。ルーはお姉ちゃんの宝物なんだから。世界で1番大好きな、大切な弟なんだから」

「ぼくも…アマナツが大好き」

 アマナツの首にまわされた小さな腕に力がこもる。2人はお互いのぬくもりを感じ合いながら、しばらくそのままでいた。

「…もう行かなきゃ」

 そうアマナツが呟くと、ルーカスの腕から力が抜けた。大人しくなった弟をそっと床に下ろすと、ライムントが鞄を手渡した。

「体に気をつけるんだぞ」

「うん。ルーもじーちゃんも…元気でね」

「うん」

「ああ」

 弟は目に涙をためながらも笑い、ぶんぶんと手を振る。祖父は静かに頷きながら、孫娘の背中を優しく叩いた。

「行ってきます」

そうしてアマナツは気付かれないように小さく鼻をすすり、笑顔で我が家を後にした。


 家からある程度離れて、アマナツはふと懐中時計をみた。途端に顔を引き攣らせ、呟く。

「……ほ、本当に遅刻…する…!?」

 汽車が出る5分前であった。


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