第二話 クラウツ卿とその武器(1)
朝食を済ませ、家の前に停めてあった馬車のような乗り物―――馬が引いているわけでは無く、人が乗る部分が馬車に似ているというだけで、どうやって走っているのかどうやって運転しているのか、ファミリアは解っていない―――に乗り込むと、セバスチャンは運転席に腰掛けた。ファミリアは深く座席に腰掛けると、窓の外を流れるいつもと変わらない景色を見つめていた。
「ファミリアさん、今からどこに行くんですか?」
「まず、ジェスター卿の所へ行って、スラムに建てた学校に勤める教師と栄養士を探して貰えないか頼みに行くわ。その後は、フリーだったかしら?」
「その後、ジル卿との昼食会へ行っていただきます。その後なら、何もございませんよ」
「ジル卿との昼食会・・・長引くわね、きっと。お茶の時間までに帰れれば良いのだけれど」
ファミリアはそう言うと、フゥとため息を吐いた。そして、風景を見ていた視線を少年に移すと薄く微笑んだ。
「その服、ちょうどね。良かったわ」
「これって、ぼくのために用意したんですか?それとも、誰かの・・・?」
「お兄さまが着ていらした服よ。少々流行には合わないかもしれないけれど、今から会いに行く人たちにはむしろその服のほうが良いわ」
「着きましたよ、お嬢さま」
上下に激しく揺れるようにして乗り物を停めると、セバスチャンは扉を開けてファミリアを下ろし、その後でカーチスを下ろした。
スラムと貴族の住んでいる地域のちょうど境の部分に建っているこの建物は、研究所とは反対側にあるだけでなく、貴族の住んでいる地域に背を向けるような形で建っている。実際のところがどうであれ、その姿はまるで貴族の権力に屈することはないと言っているかのようであった。
その、言わば貴族の側から見れば勝手口とも言える場所へと歩いて行くと、セバスチャンは近くに立っていた門番のような女性に一枚の紙を手渡した。
「これをジェスター卿へ」
「承知しました。少々お待ちください」
女性が屋敷の中に消えていってから数分後、細身の白と金を基調にした司祭服を着た男性が現れた。まるで何かの病気なのではないかと思うほど不健康な細さの彼は、ファミリアを見つけるとまるで自分の信じる神にでも出会ったかのような表情で彼女に跪いた。
「ああクラウツ卿。日頃より我らの迷える子羊たちへ多額の寄付金を賜り、誠に感激の至りでございます。さらにその寄付金以外にも、学校まで建設していただけるとは・・・」
「起きてください、ジェスター卿。今日はさらに彼らへの支援についてご相談があって参りましたの」
「ああええ、ええかしこまりました。それでは応接室へご案内致します。さあ、お連れの方もどうぞ」
ジェスター卿はそう言って立ち上がると、ファミリアの手をとり―――と言うよりも、ファミリアに手を引かれながらと言った方が近い―――屋敷の中へと消えていった。後の二人もそれに続いて中に入ると、カーチスは懐かしいその光景に表情が緩んでいくのが、自分でも解った。スラムにいた頃に何度か訪れたことがあるそこは、スラムの側から見たのとなんら変わらない質素な、けれどどこか荘厳な造りの建物であった。応接室に通されると、ジェスター卿の向かいにファミリアとカーチスが座った。セバスチャンはその後ろに立つと、ファミリアに小さく耳打ちした。
「おや、どうかなさいましたかな?」
「いいえ、なんでもありませんわ。さっそくで申し訳ないのですけれど、わたしが建設した学校に教師とそれから栄養士を雇いたいと考えておりますの。スラム出身者でそう言ったことが出来る方はいらっしゃるかしら?」
「なるほど、かしこまりました。少々お待ちください」
ジェスター卿はそう言うと、自身の従者から通常のものより大きめのタブレット型のパソコンを受け取り、その画面に表示されている人材リストをファミリアに見せた。
「いかがでしょう?」
「これだけ多くの教職者と栄養士がスラムにいるとは思いませんでしたわ。これならもう一つ学校を建設しても大丈夫そうですわね」
「それは心強いお言葉をありがとうございます。それでは、後は我らで適当に人を選ばせていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ、お願い致しますわ。一応、誰を雇うかを後で報告していただけます?」
「解りました。他に何か我らに出来ることはございませんか?」
「いいえ、今のところはありませんわ。それでは、わたしたちはこれで失礼致しますわね」
ファミリアがそう言って立ち上がると、カーチスもあわてて立ち上がった。そして、ジェスター卿に見送られるようにして屋敷を後にした。
*
再び馬車のような乗り物に乗り込んだ三人は、次の目的地へと向かっていた。窓の外の風景は、元来た道をどんどん戻って行く。ファミリアの屋敷の前を通り過ぎたところで、カーチスはおずおずと口を開いた。
「ファミリアさん。あの・・・俺を一緒に連れて行っても、大丈夫だったんですか?」
「ジェスター卿なら、貴方がスラム出身者だと気付いていたわよ。そうよね、セバスチャン」
しれっ、とした表情で、ファミリアはセバスチャンへ声をかけた。
「ええ。ですので、私はお嬢さまにそのことをお伝え致しました。ですが、お嬢さまが何も行動を起こす素振りを見せませんでしたので、私もそのように行動させていただきました」
「餌は撒いたわ。後は狙った獲物がかかるのを待つだけよ」
ファミリアはそう言うと、口元に笑みを浮かべた。少年にはそれが、悪戯っ子が悪戯をしかけて待っている時と同じ物に見えた。
「まったく・・・。契約違反をなさらないでくださいよ?」
「あら、大丈夫よ。屋敷にカーチスを一人で置いてくるほうが危険だったわ。貴方も解っているでしょう?」
「えっ、どういうことですか・・・?」
「簡単なことよ。今さっき、黒塗りの車がこの馬車の横を通り過ぎて行ったわ。きっとわたしの屋敷へ行ったのね」
「どうして・・・」
震える少年の唇は、たったそれだけの言葉を紡ぐだけで精いっぱいだった。
「どうして?貴方を探しているからよ。セバスチャンと一緒にいれば、セバスチャンのニオイに紛れて貴方のニオイは目立たなくなるわ。だから連れて来たのよ」
ファミリアが言葉を切るのと同時に、馬車のような乗り物は目的地へたどり着いた。研究所から僅か数十メートル離れているかどうかというその場所には、天まで届くのではないかというほどの背の高い建物が建っていた。そこは大聖堂のようにも、神話に出てくるバベルの塔のようにも見える。
ファミリアは先ほどのように馬車のような乗り物から降ろされると、セバスチャンがカーチスを降ろすのもまたずに足早にその高い建物へと向かっていった。ファミリアが入り口にたどり着くと、大きな木製の扉は彼女が触れてもいないのにゆっくりと開いていった。ファミリアが室内に入ると、二人もそれに続いて中へ入っていく。
室内に入ると、カーチスはその豪勢さに息を飲んだ。ファミリアの屋敷の数倍はあるだろうその玄関ホールは、真っ白な大理石で出来ていた。そこへ階段上の吹き抜けからの光が反射して、さらに部屋を明るく照らしている。その階段を、一人の英国紳士のような格好をした男性がゆっくりと降りてきた。ハスキーと言うよりはダンディーな、けれどダンディーと言うには若い見た目の男の声が、玄関ホールに響く。
「ようこそいらっしゃいました、クラウツ卿」
「お久しぶりですわね」
「ええ、ちょうど八百とんで一日振りですね」
「相変わらずですのね、ジル卿。わざわざお出迎え頂けて光栄ですわ」
ファミリアがそう言ってお辞儀をすると、ジル卿はファミリアの頬に触れる程度のキスをし、さりげなく彼女の腕を自分の腕に絡ませた。
「いいえ、こちらこそ貴女のような美しい方と昼食をとれるなんて、まるで夢のようだ。ところでクラウツ卿、そちらの小さな紳士をご紹介いただけますか?」
「ええ、もちろんですわ」
ファミリアがそう言って振り返ると、唖然としていたカーチスはセバスチャンに背中を押されて彼女の傍へと歩み寄った。
「彼はカーチス・ブライド。わたしの仕事を見学したいというので連れて来ましたの。ご迷惑だったかしら?」
「いいえ。貴女がよろしいのでしたら、ぼくは何も文句などありません」
「ふふ。ジル卿は本当に御心の広い方ですわ」
「貴女にそう言って頂けるとは。スラムに学校を建設された方には到底及びませんよ。さあ、昼食にしましょう。こちらへ」
「ええ」
ジル卿が案内する方へ向かうと、きらびやかなシャンデリアを吊るした豪勢な、けれど厭らしい印象を受けない食堂があった。そこには、豪華な食事が用意された長テーブルが置いてある。ジル卿はその長テーブルの上座に腰掛けながら、近くにいた給仕にもう一人分の食事を用意させるように伝えた。彼の左隣にファミリアが、二人から一番遠い席にカーチスが腰掛けた。ファミリアが執事に目で合図すると、彼は頷いて少年の席の近くで立ち止まった。
「彼は、今日は貴女の傍にはいないのですね」
「ええ」
「なんと、貴女の執事は子守りも出来るのか!ああ、融合児とはなんと素晴らしい生き物なのか!!これで彼が失敗作でなかったら本当に完璧だというのに!!!」
このまま椅子から立ち上がるのではないかと思うほどの勢いで、彼はそうまくしたてた。その姿に、ファミリアは喉の奥で笑った。
「そうとも言い切れませんわ。彼はわたしの執事であり、ボディガードであり、世話係であり、コックであり、庭師であり、運転手であり、ハウスキーパーであり、最高のパートナーですわ。貴方が所有しているような、替えが利く他の融合児とはわけが違いますの」
ファミリアがそう言って挑戦的な瞳で微笑むと、ジル卿はにこりと笑って彼女の手を握った。
「そうですか。やはり、貴女の方が広い御心を持っていらっしゃる」
「おだてても何も出ませんわ」
「そうでしょうね。それはそうと、貴女にお見せしたいものがあるのですが、この後お時間はございますか?出来れば二人きりが良いのですが」
彼女の手に自身の手を重ねて、ジッと彼女の瞳を見つめて、ジル卿はそう言った。瞳の奥で光る瞳は、下卑た欲望に満ちている。
「ええ、構いませんわ」
主人のその声色から、執事は彼女の本心を汲み取ると、少年にだけ聞こえる音量でささやいた。少年の動きが一瞬止まり、不安げな瞳でファミリアを見つめる。ファミリアは口元だけに笑みを浮かべると、静かに頷いた。