第一話 クラウツ卿と少年(5)
三人が帰路に着き、新しい雇い主の家に放り出された少年は、ただただ途方にくれるしかなかった。中庭の噴水近くにあるベンチに腰掛けると、両手で顔を覆った。これで本当に良かったのか。政府に頼みこんで白髪赤瞳保護条例に違反していると伝えてもらった方が良かったのではないか。こんな素性も知らない人たちに頼るなんて、よりにもよって貴族に頼むなんてどうかしている。
「・・・どうかしている」
「それはわたしのことかしら?」
その声に、少年は驚いて顔を上げた。いつの間にか、自分の隣に新たな雇い主が腰掛けていた。その事に気が付かないほど、少年は物思いにふけっていたのだ。無意識のうちに想いが口から漏れてしまうほどに。
少年が立ち上がろうとすると、ファミリアはそれを制した。
「この屋敷に身分不相応という言葉はないわ。パイソンに聞いたのでしょう?わたしは一度、スラムへ身を落とした。
・・・おじいさまは先の戦争以前から武器商人をしていた方でね、わたしたちはそのおかげでこのお屋敷に住めていたの。それがある日、パイソンの父であるバーディン卿がおじいさまを裏切って、武器の貿易権利書の大部分を持っていってしまったの。おじいさまとお父様の命も一緒に、ね。武器の売買をするのには、その武器の種類ごとに貿易権利書がなければならないわ。それがないと、密売ということになってしまうの。けれど戦後になってから、一種類の武器に権利書は一枚しかないことが多くなったの。戦争成金なんてのが流行ってしまったせいね。ふふっ、自分が利益を得るためなら、貴族はなんだってするのよ。
いずれにしろ、それでわたしの家族はバラバラになってしまった。お母さまは娼婦に身を落とし、お姉さまは政府の遺伝子研究機関に売られ、お兄さまは文字通り身体を売り飛ばされ、弟と妹は生きているかどうかさえ解らないの」
「・・・そんな、ことが」
「はじめて貴方がわたしの屋敷に来た日、辛いことを言ったと思ったわ。貴方、今いくつだったかしら?」
「一応、一五になります」
「そう。そうなの、一五なのね。・・・わたしがこの屋敷を取り戻して、おじいさまの跡を継いで武器商人になったのも、その頃よ。わたしは、大切な家族が帰ることが出来る場所を手に入れるだけで、精一杯だった・・・。だから、貴方には家族を取り戻してほしいの。たった一人の肉親なんでしょう?」
「ええ、そうです。俺にはハンナが、ハンナには俺しかいないんです。だから、なるべく早く彼女をあの施設から取り戻したいんだ!」
その言葉に、ファミリアは優しい笑みを浮かべた。歳の離れた自身の弟妹にそうするかのように、彼女は優しく少年の頭を撫でた。
「辛かったでしょうね。一人であの研究所を抜け出すのは。恐ろしかったでしょうね。彼女がどうなるか、自分がどうなるかも解らなくて」
「・・・でも、抜け出したからこそパイソンさんに会えた!貴女にもお会いできました」
少年がそう言って笑うと、不思議とファミリアも笑顔になった。
しばらくの間、二人はまるで本当の姉弟であるかのように、他愛の無い話をして馬鹿みたいに騒ぎ───はしないが、お互いに居心地良く過ごしていた。そろそろ話のネタもつきかけるかと言った時、少年が口を開いた。
「あれ?」
「どうかしたかしら」
「いえ・・・パイソンさんは、あの研究所出身じゃありませんよね?どうして俺が研究所を抜け出した時、所長たちにばれなかったんだろう、と思って・・・」
「それは簡単なことでございますよ」
その声に顔を上げると、ワゴンを押しながら石畳の道を歩いてくるセバスチャンが見えた。白い髪が、まぶしく光る。
「彼が直前までこの屋敷にいらっしゃったからでございます。二日もこの屋敷に滞在すれば、ニオイもうつります。それに彼の場合は、このお屋敷にご自分の私物を多く置いていらっしゃいますので。さて、せっかく天気も良いことですし、ここでお菓子でも召し上がられてはいかがでしょうか?」
「そうするわ。カーチス、貴方もいかが?」
「あの・・・良いんですか?」
「もちろんだわ!あなたはわたしの今回のビジネスパートナーであり、お客さまよ。気にすることはないわ。それに、彼はすべてにおいて最高なのよ」
ファミリアがそう言ってうっとりとした表情で笑うと、執事はため息を一つ吐きながら慣れた手つきで紅茶をティーポットからカップへと移し、彼女へ手渡した。そして先程とまったく同じ動作で紅茶を注ぐと、今度はそれを少年へと手渡した。
「子供の前で何故そう言うことを言うんだ、貴女は」
「えっ・・・?」
「事実はオブラートに包んでしまったら美味しくないからよ、サイクロドスレジェステアミレイアス?」
少年が困惑した表情を浮かべているのをよそに、ファミリアはそう言うと満足そうな表情を浮かべて紅茶を一口飲んだ。
「さいくろどす、レジェステア・・・あっ!思い出した!!」
「どうかなさったの?」
「さっきメアリさんがミレイアスって呼んでて、どこかで聞いたことがあるなとは思ってたんです!今思い出しました!!セバスチャンさん、あなたあの部族のし―――」
首長ですよねと言おうとした唇は、セバスチャンの人差し指によって塞がれた。その先は口外無用とでも言いたいのか、彼は付け加えてウィンクを一つした。セバスチャンがやってきた方角から、チャイムの音が聞こえる。それと共に、芳しい嗅ぎなれたニオイがほのかに漂ってくる。少年は思わず顔をしかめて、チラリとファミリアを見やった。口元に浮かべられたその笑みは、なんとも妖艶で美しく、恐怖すらも感じられた。