第四話 研究所と少年(2)
話を少し前に戻そう。
少年は、傍らのベッドで文字通り死んだように眠っている命の恩人を見つめていた。カーチス自身は一睡もしていなかったが、不思議と眠くはなかった。むしろ、頭もすっきりとしているように感じられるのは、自分が人ではないということなのか。そう思うほどだった。
少年は立ち上がり、重いカーテンを開けた。ちょうど日が昇り始めた頃のようである。空がゆっくりと色づき、闇が消えていくのが見えた。
「早いな」
少年は勢い良く声のした方を振り返った。見慣れた顔を瞳がとらえると、ため息と共に肩の力が抜けていくのが解って、自分でも驚いた。もう見慣れてしまった白髪に赤い色の瞳が、優しく彼を見下ろしていた。
「おはようございます、セバスチャンさん」
「眠れたか?」
「いえ」
少年がそう呟くと、執事は眠ったままの男の傍らへと向った。慣れた手付きで脈拍や呼吸などを確認すると、執事は小さくため息を吐いて立ち上がった。
「どうですか?」
「良くもないが、悪くもないと言ったところだ」
「そうですか」
少年はそう言うと、再び窓の外を見つめた。自分でも放った言葉が妙に落ち着いていたことには驚いた。けれども、それがかえって少年に屋敷を出て行く決心をさせていた。
「さて、カーチスさま。今日の朝食はこちらでお召し上がりになられますか?」
「えっ・・・?」
「幸い主人もまだ寝ていることですので、わざわざ食堂にいく必要はないでしょう。それに、パイソン様の容態がいつ急変するともわかりませんからね」
「・・・はい!」
少年がそう言うと、執事は笑顔を浮かべて部屋を後にした。五分と待たずに彼が戻ってくると、少年は勢い良く、だがゆっくりと朝食をたいらげていった。執事が食べ終わった食器を持って部屋を出て行くと、少年は護身用にとファミリアが渡したバタフライナイフを取り出した。ナイフを開くと、彼はパイソンの顔を見つめた。怒りにも、憤りにも、悲しみにも似た、なんともいえない感情がこみ上げてくる。これがファミリアの言っていた感情かと頭の隅で思ったが、その感情はパイソンの顔を見つめているとしだいにどこかへと消え去っていった。
少年は部屋を飛び出すとまず、ファミリアの書斎に向った。机の一番上の引き出しを無理矢理こじ開ける。するとすさまじい音がして、家主が起きるのではないか、と一瞬間、ドキリ、とした。しかし、すぐに部屋が防音であることを思い出し、気を取り直すように小さく咳払いして、引き出しから研究所の地図とロックの解除時間が保存されたポストカードより一回り小さいサイズのタブレットを取り出した。
少年はそれをズボンのポケットへ無理矢理押し込むと玄関ホールへ向った。力任せに、だが極力大きな音がしないように地下への鍵を壊し、扉をこじ開けて階段を降りていく。
「パイソンさんに、何をした?」
少年は件の男の前にたどり着くとそう言いながら、牢の扉を開けた。男は手枷と足枷で壁に固定されているのか、身じろぎをするたびに鉄のすれるような音が聞こえる。
「何って、別に何もしてねーよ」
その言葉に、少年は持っていたバタフライナイフを男の手の平へと突き立てた。男が叫び声を上げるより早く、少年は男のみぞおちを蹴り上げていた。吐息にも似た音が、男の口から漏れる。
「もう一度聞く。パイソンさんに何をした?」
二度目の問いかけで、男ははじめてカーチスの顔を見た。男から短い悲鳴が漏れた。少年の顔は、前日までの虫も殺したことがないようなあどけない少年の顔ではなかった。
「答えろ」
男の口を塞ぎながら、カーチスは刺したバタフライナイフを、グリッ、と一周まわした。それでも男が答える様子を見せないと、少年はナイフを手の平から抜き取り男の太ももへと突き刺した。グリグリ、と差し込んでも何も反応を示さないと、少年はため息を吐いた。
「残念だけど・・・奥さんと子供にはもう二度と会えないね」
そう言うと、少年はバタフライナイフを抜き取り、男の口から手を離した。男が何かを言おうと口を開くより早く、彼の首が宙を舞い、全ての部位が細かく裁断されて、その場へと無残に転がった。その作業は何とも形容しがたいほどに素早く、そしてプロのそれと見紛う程に洗練されていた。
「・・・行かなくちゃ」
少年は呟くと、地下牢を出てそのまま屋敷を後にした。
*
屋敷の扉が開く音を聞いて、セバスチャンは誰か客人でも来たのかと台所での作業を中断させた。玄関ホールに行くと、地下から強く鉄のニオイがすることに執事は疑問を覚えた。その疑問はすぐに、ホールの絨毯を染める赤黒い斑点によって、事実であると認識させられた。
「困りましたね、どなたでしょうか」
執事はそう呟きながら、パイソンの部屋へと向った。向う内に、執事はある違和感に気が付いた。本来ならば芳しく漂ってくるはずのニオイが、薄いのだ。いや、ほぼしないと言っても過言ではないほどである。執事は勢い良く主人のフィアンセが眠る部屋の扉を開けた。
「・・・これだからお子様は」
執事はそう呟くと、主人の部屋へと向った。




