第三話 クラウツ卿と研究所(7)
屋敷にたどり着くと、執事はまず、主の婚約者を彼のために用意されている客間へ運び込んだ。ベッドへ静かに彼を寝かしつけると、どうやってここまで連れてきたのか解らない件の男を、地下室へと連れて行った。地下に連れて行かれた数分後、男の叫び声が玄関ホールに木霊する。叫ぶ男の声は、地下への入り口が閉ざされると、ぱったりと聞こえなくなった。
「彼、いったいどうなるんですか?」
「さあ、どうするのかしらね?」
ファミリアは他人事のようにそう言うと、戻ってきた執事の手を借りて馬車のような乗り物から降りた。少年も同様にして馬車のような乗り物から降りると、足早に屋敷へと戻っていく彼女を追いかけていった。彼女は少年をいつもの部屋へ送り届けると、自分もすぐに自室へと引き返した。少年がパイソンの部屋に行く頃には、既に着替えを終えたファミリアがそこにいた。
血に濡れた髪と肌だけが、先程の凄惨な出来事を物語っている。
「パイソンさん、大丈夫ですか?」
「今、セバスチャンに彼の血液を採取したものを調べさせているわ。直に結果が出る―――早かったわね」
扉をノックする音に振り返りながら、主人は執事に手を差し出した。執事は頷くように一礼すると、差し出された手に検査結果が印字された紙を手渡した。
慣れた手つきで紙をめくっていくファミリアの眉間に、ゆっくりと皺が寄っていく。
「やっぱり・・・。厄介なことをしてくれたわ」
「えっ・・・?」
不思議そうな顔をする少年に、ファミリアは今さっき執事に手渡された紙を手渡した。
「MT?なんですか?これ・・・」
ファミリアはため息を一つ吐くと、少年から紙を受け取って再び口を開いた。
「マインド・タブレットと言われる暗示などに使われる薬物の一種で、対融合児用の物よ」
「私達融合児が危険な任務に行ってもパニックを起こさないでいられるのは、このクスリのおかげというわけでございます」
「それの、どこが厄介なんです?ただ、精神状態を保つだけなんですよね?」
「そう、正常にね。ただ・・・使用者にとっての正常が、わたしたちにとっての正常とは、必ずしも一致しないということが問題なのよ」
「それって・・・!」
勢いよく少年がそう叫んで、かつての雇い主の顔を見た。やつれたと言うよりは、薬の影響であろうか、以前より頬がこけている。元々白磁器のような肌をしていることもあってか、彼の顔はいつもより血色が悪かった。
「さらに申し上げますと、このクスリは非合法と言いますか、裏家業に精通している者でも、手に入れることは困難な代物でございます」
「つまり、パイソンにこのクスリを飲ませた男は恐らく、いいえ十中八九研究所の所長というわけなの。彼がパイソンに与えた暗示はただ一つ、“眠り続けろ”・・・かしらね?」
ファミリアはそう言って、横たわるかつての婚約者の頬を指の背で撫ぜた。
その手の動きに誘われるように、少年は再び雇い主の顔をまじまじと見つめた。確かに青い顔をしてはいるが、苦しんでいるというよりは、昏睡状態に陥っているといった方が正しいように見える。
「さようでございますね。特に目立った外傷もないようですし、暗示としてはそれだけで充分でございましょう」
「大丈夫、なんですか?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言ったら、大丈夫じゃないわ。このクスリは研究所でしか作れないように設計されているの。つまり、研究所にしか解毒用のクスリを作ることは出来ないということよ」
平然と、まるで被害にあったのが赤の他人であるかのように、彼女は言葉を紡いだ。
「さらに困ったことに、このクスリは持続力と比例して依存率も上がるように設計されています。・・・弱りましたね。ここまで起きないということは、よほど強力なものを使用していますよ」
「おおかた、彼一人の死には興味がないのでしょうね。嫌になるわ」
ファミリアは吐き捨てるようにそう言うと、椅子を蹴り倒すのではないかという勢いで立ち上がり、そのまま彼の部屋を後にした。
ああなんて不器用な人なんだ、と少年は思った。そう思ったら、言葉は口から零れ落ちていた。
「・・・大丈夫、ですかね?」
「パイソン様が、か?それともお嬢さまが、か?」
「どっちもです」
「そうか・・・」
執事はそう呟くと、少年の頭を優しく撫でた。
「パイソンさまをよろしくお願い致しますね」
執事はそう告げて営業用の微笑みを一つ残して、部屋を出た。部屋を出てすぐに、扉の影になる部分の壁に寄りかかって座り込む主人に気が付いた。
扉がゆっくりと閉まる音が聞こえる。赤い絨毯を敷いた廊下を、ランプのほのかな明かりが照らし出していた。
「ご気分が優れないようでしたら、ハーブティーでもご用意致しましょうか?」
「ええ、お願いするわ。・・・・最悪ね、本当に」
「さようでございますか」
執事はそう言いながら主人を抱き起こした。
彼がこの屋敷に来てから八年という月日が流れたが、悲嘆にくれ自分の無力さにここまで追い詰められている主人を見るのは、初めてのことだった。自然と、主人を支える腕に力がこもる。彼女に全てを捧げている自分が、肝心な時には慰めの言葉の一つも出てこないだけでなく、彼女の背負っている重荷の一部でさえも背負えない事に、腹立たしさにも似た感情が込み上げてくる。
執事が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて雇い主を見つめていると、彼女はその視線に気が付いたのか執事の顔を見上げた。
「・・・セバスチャン。ユプシロンに電話をしてくれるかしら?」
「かしこまりました。何をお伝え致しましょうか?」
「“明日決行するわ”」
主はそう言うと何かが吹っ切れたのか、いつもの自身に満ちた表情を執事に向け、自室へと歩き始めた。執事もその後に続いて歩いて行った。
閉めたはずの扉からは、薄明かりが一筋漏れ落ちている。




