第三話 クラウツ卿と研究所(6)
例の馬車のような乗り物に乗ると、ファミリアはいつもの席へ腰掛けた。満足そうに微笑む彼女は、きっと明日にはもうジェスター卿の顔を覚えていないのだろう。少年がぼんやりそんなことを思っていると、乗り物が急停車し大きく座席が上下運動した。そう言ったことが日常茶飯事なのか、ファミリアはたいして動揺することもなく、ああまた何かあったのか、とでも言いたげな表情で執事のいる方向を見つめていた。一方のカーチスは、キョロキョロ、と何事かという表情であたりを見回していた。
しかし、ファミリアの表情が目に入ると、意識は吸い寄せられるようにそちらへ移動していった。
「お嬢さま、お怪我はございませんか?」
「ええ、大丈夫よ。どうしたというの?」
「それが・・・」
執事がそう言って視線を窓の外に移したので、ファミリアは無意識に少年を死角へ押し込んでそちらを見つめた。思いもよらない人物が、そこに横たわっていた。
「パイソン?!」
馬車のような乗り物から飛び出そうとする主人を制すると、執事は主人の婚約者のもとへと向かった。一歩、また一歩と近付く度に、彼から漂う嗅ぎなれたニオイが強くなる。
「パイソンさま、ご無事ですか?」
執事が主人の婚約者にそう問いかけるのとほぼ同時に、銃弾の雨が路上の二人を襲った。執事が彼を抱き上げてその場から華麗に―――まるでサーカスの曲芸でも見ているかのように―――避難すると、今度は銃弾の雨を降らせたであろう人々がただの血と肉の塊へと変わってビルの屋上や窓から降り注ぐ。馬車のような乗り物からは主人の悲鳴にも似た笑い声が聞こえていた。
「お嬢さま・・・」
「やはり、車に武器を積んでおいて正解だったわね」
抱えていた猟銃の銃弾を補充しながら、ファミリアは執事に笑顔を向けた。
「お手間を取らせてしまい、申し訳ございません」
「いいえ、気にしないでちょうだい」
そう言って馬車のような乗り物から降りてきた女性は猟銃を肩に担ぐと、後ろを振り返ってもう片方の手に握られていた愛用の銃の引き金を引いた。反動で彼女の体が大きく後ろに後退して、勢いよく馬車へ寄り掛かる。
「どうやら、打ちもらしていたみたいね」
「重ねて申し訳ございません」
執事がそう言いながら主人の婚約者を抱きかかえて戻ってくると、少年が勢い良く馬車から飛び出してきた。地面で倒れている男に覆いかぶさると、組み伏せた腕に力をこめる。
「まだ、生きている」
「・・・ありがとう、カーチス」
「いえ・・・」
少年がそう言って視線を逸らすと、彼女は愛用の銃を組み伏せられている男へ向けた。
「誰の差し金かしら?まあ、大方の予想はつくけれど」
「待て!!待ってくれ!!なぁ、頼む!!!見逃してくれ!!!俺には妻も子供もいるんだ!!!ここで俺が死んだら―――」
「“妻と子供が寂しがる”かしら?あいにくだけれど、残された者の哀しみなんて一瞬なのよ」
そう言ってファミリアがトリガーに手をかけると、執事が後ろからその銃へ手を伸ばした。
「いけません、お嬢さま。お召し物が汚れます」
「・・・それもそうね。でも、貴方にはこの男を殺せないでしょう?どうするというのかしら?」
「そうですね。わざわざメアリさまをお呼びするというのも気が引けますし・・・。弱りましたね」
セバスチャンとファミリアが共に口をつぐみ、さてどうしたものかと思案していると、少年が食い入るように口を開いた。
「あの!!俺がやっちゃダメ・・・かな?」
「ダメよ」
「ダメですね」
少年の言葉に、ファミリアと執事はほぼ同時にそう言った。少年が驚きに目をぱちくりさせているのを横目に、ファミリアは大きくため息を吐いた。
「しかたないわね。セバスチャン」
「かしこまりました」
執事はそう言うと、今まで少年が座っていた席にパイソンを横たえ、少年が組み伏している男にどこから取り出したのか手枷と足枷をつけた。
「俺をどうするつもりだ・・・」
「貴方にはわたしの屋敷まで一緒に来ていただくわ。聞きたいことが山ほどありますもの」
ファミリアはそう言うと、いつものように執事の手を借りて馬車のような乗り物に乗り込んだ。少年はそれに続くように彼女の隣に腰掛けると、男を連れて馬車の後方へと消えていく執事を目で追いながら口を開いた。
「あの、ファミリアさん。彼はどこに・・・?」
「世の中には知らなくて良いこともあるのよ」
ファミリアがそう言うと、馬車のような乗り物は大きな音を上げて走り出した。ガタガタ、と先程まではしなかった奇妙な音をあげながら、馬車のような乗り物は屋敷へと帰っていく。
「ファミリアさん」
「何かしら?」
「あの・・・さっき、“残された者の哀しみは一瞬”って言っていましたけど・・・貴女は今、哀しくはないんですか?」
カーチスの言葉に、ファミリアは言いよどむ事無く口を開いた。
「ええ。哀しみなんていう感情はね、本当にその時だけなのよ。
おじいさまとお父様が亡くなって、すぐに残りの家族もバラバラになった時、凄く哀しかったわ。けれどね、哀しみという気持ちはいずれ、虚無感や恨み・妬み、後悔の気持ちにかわってしまうの。あんなに辛くて苦しくて胸が張り裂けそうだった気持ちが、気が付いたらまったく別な気持ちへとすりかわってしまうの。本当、不思議なものよね」
「・・・貴女は今、どんな気持ちでいるんですか?」
少年のその言葉にファミリアは、さあどうかしらね、と口元だけを動かした。少し寂しげに見えた彼女の目は、婚約者である男性を見つめている。けれどその瞳の奥には、彼女の言う虚無感や恨み・妬みとはまた違った感情が渦巻いているように見えた。




