第三話 クラウツ卿と研究所(1)
次の日の朝。ファミリアは屋敷の玄関ホールに思いもよらない人物が立っていることに驚いた。細い身体をさらに際立たせる高い身長に長い四肢、オレンジ色のツナギがかろうじて彼の青白い顔に色味を持たせているように見える。
「珍しいわね、ジェファーソン。どうなさったの?」
「頼まれてた例の資料、持ってきたんだよ」
そう言ってツナギのファスナーをあけ、上着の袖の部分を腰で結ぶと、黒いタンクトップが姿を現した。彼は、ようやく開放されたという表情で上に伸び上がっている。こちらにも聞こえるほどの音量で、彼の関節が鳴る音が聞こえる。
「あら、極秘事項をもう?」
「ああ、さっき盗ってきたんだ」
「そう。まあ、立ち話もなんだわ。書斎に行きましょう。それとも応接室がいいかしら?」
「応接室で頼むよ。ただでさえ堅苦しいところはだめなんだ」
ジェファーソンがそう言うと、ファミリアは彼に笑顔を向けて応接室へ歩いていった。彼女が昨日と同じ席に座ると、ジェファーソンはどこから取り出したのか分厚い束になっている書類を彼女に手渡した。マル秘と表紙に印刷されたその何冊かの紙束の中身を確認すると、ファミリアは満足気な笑顔を浮かべた。
「よくこれが手に入ったわね?」
「まあな。兄貴がいたから今回はずいぶん楽だったぜ。それにしても良いのか?あんた盗みが嫌いなんだろ?」
ジェファーソンはそう言いながら、彼女の向かいにあるソファへ勢い良く腰を下ろす。
彼の言葉に、ファミリアはケラケラと声をあげて笑った。その表情に、ジェファーソンは目をぱちくりさせている。
「ええ、大嫌いよ。でもこれはもともとわたしの物だわ」
「なるほどな。俺はジェスター卿の隠し金庫までお遣いに行かされただけってわけか」
「あら、貴方にしか頼めなかった仕事よ?それに・・・受付の女の子が可愛かったでしょう?ああ、でも貴方の好みの顔はジェスター卿の秘書の人かしら?」
「あー、もう!!あんたにはかなわねーよ」
先日ファミリアが訪れたジェスター卿の屋敷の地下には、ジェスター卿の隠し金庫がある。そしてそこの警備をしているのは、すべてジェスター卿がスラムから選りすぐってきた見目麗しい女性たちなのである。もちろん、卿の屋敷で働いているのはすべてスラムから連れてこられた女性だけである。表向きは慈善事業を行う教会だが、公私混同、私利私欲を肥やすために、あの教会は存在しているのだ。
「言っとくけど、今回は手ぇ出してないからな!兄貴がルートのキーをすべて外してくれてたから、俺はただ中の奴らにばれなきゃ良いだけだったの。だからこんなに早かっただけ。誰ともオトモダチ(・・・・・)になってねーよ」
「我が主人に手を出した方が何をおっしゃいますやら」
背後から、それも耳元で囁かれて、ジェファーソンは驚いて振り返った。そこには、朝食の片付けを終えたこの屋敷の執事が立っていた。隣にはその手伝いでもしていたのか、上着の袖と裾を濡らしたカーチスもいた。
「お前はすぐそう言うことすんなって!!」
びっくりすんだろ、と頬を膨らませるジェファーソンに、自業自得だ、とでも言いたげな視線を執事は投げかけた。
いつもどおり紅茶が入ったポットとカップがのったワゴンを押してやってきた執事は、満足気な顔で微笑む主人に紅茶を差し出しながら口を開いた。
「事実でございましょう?」
「だーかーらー!未遂だって言ってるだろ」
「あら、そうだったかしら?」
「お前も蒸し返すなよ」
「あまり色んな女に手を出すと、後で痛い目見るわよ?」
「俺のはビジネスなの。それはメアリも解ってる」
ジェファーソンがそう言うと、ファミリアは小さくため息を吐いた。
「・・・メアリは貴方のことを保護者程度にしか思ってないんじゃなくって?あの頃と何も変わっていないわよ、貴方たちの関係は」
「解ってるさ。でも、それで良いんだ。あいつの主人は俺じゃなくて、お前でなくちゃいけないの。じゃないと、俺が研究所を辞めた意味がなくなる」
「えっ?ジェファーソンさん、研究所にいたんですか?」
驚きのあまり、執事から受け取ったばかりのティーカップを落としそうになりながら、少年はジェファーソンを見つめた。彼が返答に困っているかのように瞳を逸らすと、ファミリアが楽しげな笑顔を浮かべて口を開いた。
「あら言ってなかったかしら。彼は融合児計画の研究の第一人者だったのよ。当時一八だったかしら?」
「ああ・・・」
ジェファーソンはそこでいったん言葉を切ると、少年にニヤリとした表情を見せて、人差し指で自分の頭を小突きながら再び口を開いた。
「この頭脳を狙う奴が多かったから、本当はあそこにいる方が警備も手厚くて楽だったんだけどな。半ば強引に研究所を退社して、すぐにあいつを俺の融合児として引き取ったのさ。でも、俺には良融児を研究所から引き取るだけの金はなかった。だから、当時仕事を依頼されていたファミリア嬢に言ったのさ」
「“融合児のそれも良融児はいらないか?”って。わたしにはその時すでにセバスチャンがいたから、いらないって言ったわ。そしたら、彼はなんて言ったと思う?ふふ。“良融児の相場相応の仕事をし終えるまで、君の元でタダで仕事をしよう”って言ったのよ。面白いでしょう?一生かかっても返せるか返せないか解らないものを、身体で返すって言うんですもの」
唖然とするカーチスをよそに、三人はさらに会話を続けていく。
「良融児の相場は、そうですね。だいたい、私がお嬢さまに買い取られた金額のさらに一〇倍くらいでございましょうか」
「でも良い買い物だっただろ?」
「そうね。失敗作と良融児をどちらも所有している貴族なんてそうそういないわ。それに、一生わたしのために働いてくれる頭脳明晰な男も手に入ったもの。これ以上、良い買い物は無いわ」
ファミリアはそう言うと、カップに注がれていた何杯目かの紅茶を飲み干した。うっとりとした瞳は、なみなみと注がれたカップを見つめている。
「そう、なんだ・・・あっ!ファミリアさん、その資料は?」
会話になんとかついていきながら、少年は彼女の傍らの三人がけの大きなソファに腰掛けた。
「これはおじいさまが亡くなってからわたしがこの屋敷に戻ってくるまでの間に、この屋敷から失くなった武器の貿易権利書の一部よ」
彼女はそう言って、二冊の分厚い紙束を少年に開いて見せた。そこには古今東西、大から小まで、ありとあらゆる武器とその価格、さらには現在製造されている国や地域までが事細かに記載されていた。
「この中には、我がクリスロード家でしか売買や製造の管理を許されていないものが何種類かあるの。おじいさまが亡くなった時に、お屋敷に残った権利書はたった四割、いいえ・・・もっと少なかったかしら?」
「確か全体の三割弱でございますね」
「どうしてそんなに減てっしまったんですか?」
「これがあれば、公然と武器を売買することが出来るからよ。おじいさまが殺された理由もそれなの。このクリスロード家が、というよりはおじいさまが、他の誰よりも多くの貿易権利書を所有していたからよ」
「そんな・・・それだけの理由で・・・!」
「あら、貴族なんてそんなものよ。傍目には誰かを信頼しているように見えても、心の中ではまったくそんなこと思っていないわ。みんな、自分が一番大好きで大事なの」
その言葉に、少年は全身の力が抜けていくのを感じた。この人はいったいいつから、大人の汚い部分を見てきたのだろう。凛とした表情で椅子に座る女性の顔は、まるで子供のままのように無邪気に微笑んでいた。その姿に、少年は恐怖にも似た感覚を覚えた。きっとこの人は大人の汚い部分を見すぎて狂ってしまったのだろう。まだこのセカイを知らない少年には、そう思うことしか出来なかった。




