第二話 クラウツ卿とその武器(2)
「本当に、ファミリアさんを置いてきてしまって大丈夫なんですか?」
ジル卿の屋敷から出て、馬車のような乗り物に向って歩きながら、少年は執事に問いかけた。
「・・・お前の言う“大丈夫”という状態ではないと思うぞ」
「それってやっぱりまた・・・!」
「連れ戻しに行くか?」
「あっ・・・いいえ」
この短い間に少年は気付いていた。彼女が自分の為すべきことのためなら手段は選ばないということを。それが例え道徳的に良くないことだとしても、彼女はきっと望むものが手に入るのなら、悪魔にでも魂を売り渡すのだろう。少年はなんともやるせない気持ちで、拳を硬く握った。
「さて、それでは私たちは先に屋敷へ帰りましょう」
「えっ!?」
「もし本当にあの車がお嬢さまの言う通りに屋敷へ向かったのなら、お嬢さまがご帰宅される前にお屋敷を元の状態に戻さなければいけませんからね」
セバスチャンはそう言いながらカーチスを馬車へ放り込むと、自身は運転席に乗り込み、足早に風景を後ろに送っていく。
一度見たはずの街の風景が、少年には少々寂しげに見えた。
「ミレイアス!遅いよ」
屋敷にたどり着いた二人を出迎えたのは、予想だにしない人物だった。
胸元が大きく開いた白のトップスに、黒のショートパンツを穿いている彼女は、屋敷の扉にもたれかかるようにして立っていた。ブルーグレーの腰までの長さの髪が、風に揺れている。
「メアリか」
「これはいったいどういうこと?」
「どうって、何かあったんですか?!」
少年がそう言うと、彼女は振り返って屋敷の玄関扉を開けた。鈍い音がして扉が開くと、廊下同様赤い絨毯が引かれた玄関ホールには黒いスーツ姿の男たちが横たわっていた。少年は引きつった短い悲鳴を上げると、一歩後ずさった。
「大丈夫、殺してないよ。この屋敷で人を殺すとファミリアが怒るんだもの」
メアリはそう言うと、横たわっている男たちの山の上に腰を下した。男たちから鈍い悲鳴が漏れる。
「研究機関のやつらか」
「そうみたい。その子、連れ出してて正解だったよ。あたしがここに着いた時には、この人たちカーチスの寝てた部屋を荒らしていたから。ニオイがするのに彼がいなくてイライラしてたんだろうね。その後ファミリアの部屋を荒らすところだったみたいだから、有無を言わさず全員床とお友達になってもらったってわけ」
「なるほど・・・」
執事はそう呟くと、スタスタと家主の書斎へ向かった。少年が書いた契約書を探しに来たのである。本棚の自分がしまった契約書のファイルからは、案の定カーチスがサインした書類がなくなっていた。執事は玄関ホールへ戻ってくると、スーツ姿の男たちの山に見覚えのある顔を見つけて近寄った。初老も間近の、年の割には背の高いその男は、セバスチャンがまだ研究所にいた頃からの顔馴染みである。
「お久しぶりですね。契約書をご返却いただけますか?」
「そんなもの―――」
「ああ、これのことでしょう?」
持っていないと言おうとした男の言葉は、メアリによって遮られた。彼女はどこにそんなスペースがあったのか、開いた服の胸元に手を突っ込むと、そこから筒状になった紙を取り出した。お世辞にも彼女の胸は大きいとは言えない。いったいどうやってそこにしまえたのだ。
セバスチャンはその紙を受け取ると、玄関ホールを照らすシャンデリアの光にすかした。
「確かに。これはカーチスの書いた契約書ですね。このお屋敷では、窃盗の罪は重いですよ」
「こいつらどうするの?地下牢?それとも、スラムのはずれにでも捨ててこようか?」
「そうですね。一応地下牢に居ていただくとしましょうか。後のことは主人が決めるでしょう」
セバスチャンはそう言うと、筒状になっていた紙を胸ポケットへとしまい入れ、メアリを男たちの山から下ろすと、彼らをちょうど階段の踊り場の下にある扉から地下牢へ運んでいった。
「彼ら、どうなるんですか?」
「ファミリアはね、裏切りと盗みが嫌いなの。彼らはこの屋敷でその罪の一つを犯した」
「え・・・?どういうことですか?」
「貴族っていうのはね、自分の屋敷の中で破ってはいけないルールか、必ず守らなければならないルールをそれぞれ持っているの。君も、この屋敷では盗みと裏切りはしないことだよ」
少年の問いに答えるメアリの瞳は、セバスチャンが何度も往復していく方向を鋭く見つめていた。執事が最後の男たちを地下へ送り届けて戻ってくると、退屈そうに立っていたメアリは上に伸び上がった。
「それじゃあ、あたしはそろそろ帰るね」
「ああ。彼女には俺から伝えておく」
「ええ、お願い。それじゃあ、またね」
少女はそう言うと、鈍い音を上げる扉を押して屋敷を出て行った。
「さて、カーチス。貴方は自分の部屋の片付けをして来て下さい。私は貴方の部屋以外にも何か被害がないかを見てきます」
執事がそう言うと、少年は大きく頷いて自分が滞在している部屋へと走っていった。執事はそれを見送ると、ため息を一つ吐いて階段を上っていった。




