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ファーリタンの物語  作者: 藤村トウソン
もりのなか
1/1

かべのそと

 夕暮れに鐘の音がこだまする。城門を閉じる合図だ。その都市に住んでいる者や町から町へと移り渡る旅商人は、恐ろしい夜を外で過ごすことがないように、硬く分厚い壁の中へ駆け込んでいく。


 暑く長い、夏の昼は終わってしまった。

 

 門は、ひどく軋んだ音を立てながら、人と世界との関係を断ち切る。




「ねえ、どうするの?」

 鐘の音を聞いた少女が聞く。


「わかってる」 

 でかい男が答えた。


「わかってないわ!」


 少女の声は、だだっ広い草原にむなしく響く。修道城塞であるメルヴケントへの街道にふたりのほかに影はない。


「ソーティア、俺はとてもよくわかってる」


 落ち着いた低い声は、ソーティアと呼ばれる少女を更に怒らせた。


「今日中に着くと言ったのはフルツでしょ! でも今どこにいると思ってるの、まちはあそこ、ここはただの道!」しかし、少女は喚いているうちに今夜のことが思い浮かび、弱々しく、「また草の上よ、また恐ろしい思いをするの」と言った。


「くっさがあるだけましだ、俺は岩の上でよく寝ていた」


 フルツは言いながら、水の入った革袋を彼女に渡す。


「ベッドの方がもっとましよ」と言ってからソーティアは水を一口含み、「それと“くっさ”じゃなくて“くさ”よ」とソーティアはフルツの訛りにいらない指摘をする。訛りなんて当たり前のものであるし、ソーティア自身も王都が基準であれば相当訛っている。しかし、そんなことは知りながらも、くだらないことを拾い上げてフルツに当たっていないとやっていられないソーティアだった。


 彼女は空にした革袋を、先を歩くフルツの背中に叩くように返した。


 フルツは、ソーティアが何を言いたいのか分かりすぎるほど分かっているので、やられるままになっている。ふたりは、あと少しという所まで来ていた。それも壁に空いた狭間が見えるほどに。フルツもまた同じ気持ちだった。


 山のように大きく構えるメルヴケントは、何もない平原にいきなり現れる。山のようにというよりも、本当に山だ。岩の山の上に都市が作られているのだ。


夕焼けが、メルヴケントの白い岩肌を、真っ赤に染めている。まるで、巨大な火が、平原を焼き尽くそうとしているみたいだ。


「この時間、この場所にいないと見れないでしょうね」


その火もまた影に飲まれていく。


 それにしても、メルヴケントの周りには、宿もなにもないとはどういうことか。他のまちならば、壁の外にはいくつか宿がある。その宿の近くに市壁内に住むことを許可されていない者が、勝手に家を作り街として機能していたりする。


 それがないこの場は――右の森から獣の遠吠えが聞こえた。――単純に危険なのだ。


 夜が来た。


「くっさの上も無理そうだな」

 

フルツが、ソーティア宛の皮肉の混じった冗談を言う。


「そうね!」

 

 汗ばんだ手を自身の腰に伸ばす。


「待て」


 フルツがソーティアの手に制止をかける。


「何よ」


「あそこまで走ろう」

 

 フルツは、メルヴケントの土台になっている一枚岩を指して言う。


「どうして? 今からじゃメルヴケントに入れないし、それに入るならあっちよ」

 

 ソーティアは、メルヴケントの横に立っている、これもまた大きな岩を指して言った。


 メルヴケントに入るには石橋を渡る必要がある。メルヴケントの基礎になっている一枚岩は、断崖絶壁で門にたどり着くには、隣にある細長い塔のような、岩から架かった橋から行くしかない。岩の側面をまきつくように作られたらせん状の階段を上がると、やっと城門が正面に見える。


 その石橋も、今はメルヴケント側にある跳ね橋が上げられているのだ。逃げ場はない。


「いいから」


 フルツはメルヴケントに向かって駆け出し、道から外れ草原に道を作っていく。


「また、走るの~」


 ソーティアもフルツの背中を追う。踏みならされていないやわらかい土に足がとられる。街道の途中で間に合わないと気づいた彼らは、きつい日差しの中ここまで走ってきたのだ。重い旅の荷物と、日が沈んだとはいえ夏の暑さが、残り少ない体力を奪う。


 獣の声。


 さっきより近い。ソーティアは走りながら腰にいつでも手が伸びるように意識する。


「あっちに何かあるの」


 ソーティアがフルツに並びながら尋ねる。


「穴だ」

「で?」

「隠れられるかもしれない」


 全く当てにならない言葉が返ってきたが、彼女は信じた。


「じゃあ、急がないとね」


 言った瞬間、ソーティアは気が抜けていたのか、猛烈な風が背後に迫っていることに気がつかなかった。


 獣の息。赫々とした口がソーティアを捉え、ソーティアは一瞬で草原から消えた。





ように思い切り前に倒れこんだ。


 女の頭の代わりに銀の閃光が、フルツの抜いた剣が、獣の頭を薙ぐ。

 突如左からあらわれた剣により獣は、後ろに吹っ飛び、獲物との距離を離された。

 

 しかし、フルツの剣は、獣の皮膚を傷つけただけに過ぎなかった。獣は、毛むくじゃらの体をすぐ立て直し唸り声と共に四肢を駆動させ、一直線に倒れているソーティアを狙う。

 

 フルツは、もう一度獣に向かって二尺(約六十センチメートル)の直剣を振るう。倒れているソーティアに向かうのは分かっていた。直線的な動きだ。捉えるのは簡単だ。

 

 が、獣は軌道を変えた。いや、獣からしたら軌道など変えていないのだろう、フルツの喉は獣にさらけ出されていた、ただそれを頂こうとしただけなのだから。

 

 閃光。音。血。獣の身体は緑の絨毯を赤く染めながら後ろに飛んでいく。

 

 フルツは万と聞いた振動に故郷を思い出す。


 腹ばいのソーティアの手には、まだ煙の立っている黒色のリボルバーが握られていた。銃と呼ばれるものは、指を曲げて引き金を引くだけで、標的に鉛弾をぶち込める。


「聞かれちゃったかしらね」


「できるだけ音は立てたくなかったが、まあ仕方がない。取りあえず急ごう」

 

 ふたりの走る速度は変わらない。


 メルヴケントはぐんぐんと高くなっていく、フルツが言っていた穴というのも暗闇で見えるほど、近くなっていた。人ひとり入れるくらいの大きさの穴が、蓮のように無数に岩壁にできていた。

 

 二人とも足を緩め、呼吸を整えながら、岩壁に目を走らせて隠れられそうな穴を探す。

 ソーティアが、きれぎれの息の間から言葉を吐き出す。


「あそこでいいんじゃない」


 一番近くの穴を指す。


「浅いな」

「あれは?」


 別の穴を指す。


「いや、どれも浅い。獣の目からは見えてしまう」

「上は?」

「今は登れない」


 獣の気が迫っている。圧倒的な力を獲物にぶつけようと、嬉しそうに夜の庭を跳ねる。背中に冷たい牙が押し当てられている。気づくと右手が銃を握っていた。


 一際、高い声。ソーティアとフルツに向けられているのがすぐ分かった。もはや隠そうともしない獣の音が、周囲から溢れ始める。拳銃の柄に汗が染みる。


 迷っている時はない、


「どこ」

「最初の一番近いやつだ」


 早口に言って同時に走り出す。穴まで八歩の距離。だが、恐怖に負けて振り返れば獣との徒競争に負けるだろう。一歩、二歩、三歩……。


 先に穴に着いたフルツが、右手は獣に死を向け、左手はソーティアに救いを向ける。

 

 フルツの拳銃がごう轟する。


 銃口から飛び出した弾丸は、獣の凶悪な下顎を粉々に砕きながら二股に裂けた舌を切り落とし、獣の命を頭と共に消し飛ばす。


 同時に左手がソーティアの腕を掴み、穴に引きこんだ。


 動かなくなったモノを踏み越える獣が、振り返った彼女の目に映った。


 ソーティアの拳銃も炸裂する。


 一発。

 異常に発達した爪の生えた左前足が破裂する。


 左手が撃鉄を起こす。

 回るシリンダー。



 一発。

 肉欲に血走しった眼をぶち抜く。


 糸の切れた獣の身体は、勢いで足元まで転がってくる。


 一発。

 絶えることのない次の獣へと、引き金が引かれる。


 弾丸のフラッシュに化け物の相貌が、闇に焼きつく。


 獣は、自身の死に声を上げず、死の間際まで獲物に己の力を吠え立てている。



 背中を喰われることはなくなったが、ふたりには小さな空間だ。なにより退くことができない。眼前は死の海。闇よりも暗い獣がうごめいている。


 フルツがシリンダー弾倉の六発を撃ち尽くし、背中の袋を解き、ライフルをすばやく抜き取る。

 ソーティアも撃ちきり、熱を持った薬夾を宙に舞わせ、危急の二発だけ装填する。


 静寂。たった三尺の距離で、獣どもは立ち止まっていた。鋭い目が、いまだにこっちを睨んだままではあるが、攻撃は止まったらしい。


 ソーティアも、構えなおした銃の照準の先に獣どもと目が会う。


 獣どもが銃を恐れている様には見えない。ただ足を踏み出せないようだ。七本の足が生えた犬、毛の代わりに枝の生えた山羊、根っ子を足のようにくねらせて歩く切り株のような化け物、十尺から一尺にも満たない小さな獣まで、ありとあらゆる獣が、ふたりを取り囲んでいる。


「どうなったの?」


 耳に残った音が自然と声を大きくさせる。

 

 フルツはソーティアの問いに答えず、黙って銃を装填する。


 結局そのまま朝が来るまで、睨みあったままだった。空が白み始めると、種々雑多な姿が背中を向けて帰っていった。中には一際大きい獣がおり、金色の体毛が輝いていた。

 

(あんなのまで相手にしようとしてたのね……、ハハ)

 

 緊張の解けたソーティアはそのまま眠りに落ちた。


 正面にいくつも転がった獣の死体が既に臭っていた、動いていた時からひどい臭いだったことは、忘れてしまいそうなほどだ。

 

 フルツも眠りに強く引っ張られたが、ソーティアを硬い岩肌の“ベッド”から抱き運んで寝心地のいい“くっさ”の上に筵を敷いて寝かしてやった。


 フルツは、夏の眩しい朝日に伸びをしてから、あぐらをかいて岩壁に背をもたせ、残った弾を数え始めた。

 

 開門の鐘が鳴るまで。


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