『切り取ってしまいましょうか』
ガンガンと痛む頭。そしてじくじくと芯から痛む全身。
視界に入るのは自分の屋敷……なのは分かるが、ここまで来た覚えがまるでない。
訳が分からない、というのが少女―――クロノガルド家第54代目当主、イヴァ=ラ=クロノガルドが目を覚まして抱いた、最初の感想だった。
「…………っ」
痛い。頭が割れるように痛い。何故自分はここに? その記憶がすっぽりと抜け落ちている。
確か読書をしていて、いい時刻になったから寝ようとして―――けれどベッドに入った記憶がない。
そうだ、最後に感じたのは……甘い匂いと誰かの影、だった気がする。
「…………」
取り敢えず、イヴァは無言のまま体を起こそうとする。そこで、四肢が全く動かないことに気付いた。
目線で自分の体を確認する。見ると、胸の真ん中に札――対象を拘束する効果のある魔法の護符貼られていた。
拘束されているということは、やはり自分は攫われるところだったのだろう。
だったら何故こんなところで寝ているのか―――それは依然謎のままだが。
「あぁ、あぁぁあぁ…………! 何故、何故なんだ……オレが何をしたって言うんだぁぁぁ…………!」
そのとき自分の倒れている場所の近くから、そんな嘆きの声が聞こえた。
倒れた姿勢のまま辺りに視線を向けると、割と自分のすぐ近くに一人の青年の姿があった。
――四つん這いのまま額をガンガンと床に打ち付けているという、非常にアレな姿だったが。
「……………、……………………」
素直な感想、ドン引き。
目を覚ました瞬間に目に入った見知らぬ人間(しかもキチガイ)。
目覚めの光景としては最悪の一つ上くらい。
「なんだってオレがこんな、こんなぁ……! ハッ、異議あり! 異議を申し立てるぞ神様! この野郎! Fu○k!」
(……もしかして、誘拐犯?)
奇抜な服装に黒髪黒目。少なくとも屋敷の警備の者ではない……というかもし警備の人間だとしたら、雇ったその時の自分の感性を疑う。
だがだからといって彼が誘拐犯かと言えば――違う、とイヴァには思えた。
「…………」
とにもかくにも、ただ転がっているだけじゃ何も始まらない。
そう思って、イヴァは黒髪の青年へと言葉を投げ掛けた。
「何だよチクショウ……痴女に追いかけられて牢屋にブチ込まれて誘拐犯と鬼ごっこしてレンガ凹ませるってどこの主人公さんだよチクショウ……あぁもう世界滅びろクソッタレェェェェ」
「…………。…………、………………………………ねえ」
幾らか間が空いたが、彼女を責めることなかれ。
唐突に立ち上がってテンション高く中指を突き上げた人間が、今は突然勢い良く地面に這いつくばったりしたら、誰だって話し掛けるのを躊躇うはずだ。
一方、他称キチガイこと悠は自分の境遇の悲惨さに泣くことに忙しく、現実を完全にシャットアウトしていた。
「あぁぁぁあああああああああ……」
「……ねえ」
「うあああああああうううああ……!」
「……ねえっ」
「あふあはああああふふあはあ……!!」
「……ねえっ!」
「ががががががががががががが……!!!」
「…………」
悠、完全にぶっ壊れ。ゆとりは何かと弱いのである。
もちろんそんなことを知る由もないイヴァは嘆息し、呼び掛けを諦める。
仕方なく自力で脱出しようもぞついていると……何とか右手だけ動くようになった。
「……これなら」
右手を突き出し、悠へと照準。
イヴァとて片腕だけで脱出なんて器用なことはもちろん出来ない。
……が、壊れたテレビをぶっ叩くくらいは出来るのだ。
「……【招雷・被雷針】」
「がががががががが―――っあ、あばばばばばばばばばば!!!?」
詠唱と同時に現れた、鉛筆くらいの雷を纏った針。
ダーツ投げの要領で投擲されたそれは見事な放物線を描きながら、悠の後ろ首にぷすりと刺さった。
直後流し込まれた電流に、悠の体が右へ左へゴロゴロ転がる。この結果迫る危機すら知らず、とにかく転がる。
忘れてはいけないが、ここは室内。
幾ら広くても、平均的な体格の男が縦横無尽に転がれるほど広いわけではなく―――
狙い通り刺さったことにちょっとの間悦に浸っていたイヴァだったが、そういえば本題忘れてた――と悠の方へ目を向ける、と。
「……あ、そっちは――」
「ばばばばばばばばばばばばバボブッッッ!!!?」
直後、止める間もなく悠の頭がガンッ! と壁にクリティカルにヒットした。
後頭部を容赦無く打ち付けた悠は、情けない声を漏らして、そこで意識を失った。
「……やらかした」
イヴァは一人、無表情ながら少なからず震える声音で呟いた。顔からサーッ、と血の気の引く感覚。
今の自分の顔は間違いなく蒼白だろう。自慢ではないが、その自信がある。
「…………ぅぅ」
助けてくれる者がいなくなった今、自分で脱出するか偶然誰かが通り掛かるのを待つしかない。
だがここは屋敷の隅の隅。使用人や警備の人間ですら滅多に立ち寄らないような場所なのだ。
父も母もおらず、妹はとっくにご就寝――つまるところ、八方塞がり。
「……絶対、絶命……?」
普通の人間なら、別に一夜くらい変なところで寝ても大丈夫だろう。
しかしイヴァは名家のお嬢様。こんな場所で寝たら殺されてしまう―――使用人達が。彼女の妹によって、社会的に。
「……自分でどうにかしなきゃ、か」
先程ももがいていたら何とかなったのだ。時間は掛かるだろうけど、きっと不可能ではないはず。
うごうご、もぞもぞ、と使用人達の人生のためにも本気でもぞつくイヴァ。
――そんな彼女の視界に、あるものが入った。
「…………え」
人型に穴の空いた廊下の壁。その近くには手形のついた場所もあった。
そして、そのすぐ真下には黒髪の青年が気絶している――頭を壁にめり込ませながら。
「……なに、これ」
犯人は一人しかいない。だがこの壁は時間と工程をしっかりと掛けて造った強固なレンガだ。
人の手で壊せるはずもなく、頭がめり込むわけもない。
「……この人……」
一体、何者なのだろう―――?
これがイヴァ=クロノガルドと八切悠の、初めての出会いだった。
◇
「……うぐぉおおぉぉぉ……」
青白く光る月明かりと、それを受けて仄かに輝く大きな屋敷。
その後方に広がる森林の中、一人の男が這いずっていた。
「クッソ……あのヤロウ………!」
全身に黒のローブを着込んだ中肉中背ほどの男。
彼は“そういう業界”でそこそこ有名な魔法使いで、とある貴族に雇われてイヴァを誘拐しようとした。
「っ~~~、マジでいてぇ、いてぇよぉぉぉ……!」
――その結果、大失敗。
たまたま鉢合わせた黒髪の青年を不必要に深追いし、挙句の果てに返り討ち。
依頼主にどう報告すればいいかも分からない上、蹴られた頭と股間、そして殴られた鳩尾が死ぬほど痛む。
特にどことは言わないが、ある一点は割と瀬戸際だったりする。
「うぅ……と、とにかく逃げねぇと……」
ここはまだクロノガルド家の敷地内。衛兵にでも発見されようものなら問答無用で牢屋行き、最悪極刑だろう。
故に未だ力の入らない下半身を引きずり、這いずり進む全身ローブだったが―――その時、そんな彼の顔に影が掛かった。
「……? 雨か……?」
言ったものの、すぐに自分で否定する。
何故なら、暗くなった自らの視界に一組のブーツが映り込んだからである。
「……チッ、誰だ!?」
「…………」
「おい、無視すん、づ―――ッ!!?」
肩口にナイフを突き刺され、声にならない叫び声を上げる。
「……お姉様のこと、攫おうとしましたわねあなた……」
「は……? っ、―――ッ! ―――――ッ!!」
聞こえたのは甲高いソプラノ、少女の声。同時にぐさり、ぐさりと突き立つナイフ。
そのリズムに合わせ、全身ローブは激痛という名の歌を絶叫する。
「二度と変な気を起こさないように……ふふ、そうですね。“切り取って”しまいましょうか」
「づっ……、はぁ、はぁ………! や、やめ――」
「い・や・で・す♪」
すぱんっ。
「――――――――――ッッッッッ!!!!!!!」
「これに懲りたら金輪際……あら、気絶してる……。少し刺激が強過ぎたのかしら……」
独り言を呟きながら、何処かへ歩き去る少女。
後には、ピクピクと痙攣する男だけが残った。
ちなみにこの時森中に響き渡った男の絶叫は、後々怪談となって末長く語られたそうな。