前編
……頭が痛い。
そう思った私は薄く目を開いた。
そこは真っ暗闇の埃っぽい部屋の中。木箱やら何やらが積み上げられているので倉庫のようだ。
ボロボロの木の扉から薄く漏れる光。
そちらへ目をやると、扉の奥から2人の男の声が聞こえてきた。
「やったな兄貴ィ!ウサギ獣人なんて中々ない商品だぜ!」
「ガハハハ!まさかこんなところで希少価値の高い商品と会えるなんてナァ!」
そうだ。私、こいつらに誘拐されたんだった。この会話を聞く限り私はどこかに売られるんじゃ…
–––ドガァァァァン!!!!
そう思った瞬間、けたたましい音が私の耳に入ってきた。どうやら扉の向こうのほうからのようだった。
そしてギィという音を立てその扉が開く。
そこには大柄の男。顔は逆光でよく見えない。
男の後ろにはさっきの話し声の主であろう男たち2人が倒れていた。
誘拐犯の次は殺人犯か…。
私もきっとあの男たちのように殺されるのだろうか。
恐怖で意識が遠のいていくのが、自分でもわかった。
◇
「おい。起きろ。」
誰かに頬をペチペチと叩かれる。
…ううん、もう少し寝ていたい。
私は頬にある手を軽くはたいた。
「ふーん。俺の手をはたくたぁ、良い度胸してんな。」
さっきより強めに叩かれる。もはやペチペチではなくバチンバチンである。
…痛い!!痛いよ!そんなに強く叩かないでよ!
私は抵抗の意味をこめて頬にある手をもう一度強めにはたいた。
「……どうやら起こし方が甘めぇようだなぁ?」
そして、何者かに耳を掴まれ、ぎゅーっと引っ張られた。
「ぎゃぁぁぁぁ!!!痛い!!」
私は勢いよく飛び起きる。
耳引っ張ったの誰!?急所なんだからね!?
「ようやく起きたな。」
周りをキョロキョロと見回すと、背後から声が降ってきた。
私は耳を抑えながらその声に応える。
「起きたな、じゃないよ!耳はウサギ獣人にとってものすごく大切な部分なんだ…から…ね…。」
そういえばさっきから私、誰と話してるの?
私は恐る恐る背後を振り返る。
そこにあるのは……………………………足。
いやいやいやじゃなくて、上を見上げるとニヤリと笑う黒髪の男が。
「だ、誰…!?」
「誰って、お前を助けた恩人に決まってんだろ。」
「恩人?一体何がどうなって……ハッ!」
そうだった!私、誘拐されたんだった!
誘拐されて、すごく大きな音がして、殺人犯が入ってきて…。
「あ、あなた殺人犯ですか!?」
「馬鹿か。何で俺が殺人犯なんだよ。」
「で、でも誘拐犯のこと殺してたじゃないですか。」
「ありゃのびてただけだ。」
そ、そうだったのか。あの時あの男たちは死んでしまっていると思ったので、てっきり殺人犯かと思ってしまった。
というか、それよりも…。
「ここどこですか!?」
「誰の次はどこか。質問ばっかするやつだな。」
「いや、この状況じゃみんなそうだと思います!」
逆にここで落ち着き払ってる人いたらすごいよ!
「俺ん家だ。お前が攫われてた町外れの倉庫から連れてきた。」
「そ、そうだったんですか…。」
ここは彼の家なのか、なるほど。
いや、待てよ、彼の家って結局どこ?地域の名前は?
私がぐるぐると思考の渦にのまれ、黙り込むと、彼が痺れを切らしたように私に声をかけた。
「おい、飲み物入れてやっからとりあえず起きて椅子に座れ。」
「え、あ、はい。」
とりあえず落ち着こう。
私は指示に従うことにした。
食卓に座るとキッチンらしき所に男の人が向かった。部屋を見渡すと家具が少なく、閑散としていて、とても複数人住んでいるとは思えない。彼が1人で住んでいるのだろう。
しばらく待っていると、彼が戻ってきて飲み物を私にくれた。そして私の向かいの席に座る。飲み物は彼はコーヒー、私はココアだった。
ココアを一口飲むと、温かいココアが体に染み渡り、心が落ち着いてきた。
それにしても、私には1つ気になることがあった。
「あの、さっきから気になってたんですけど…。」
「あ?何だ?」
「何で私、床で寝てたんですか。」
そう、ついさっきまで私が寝ていたのは床だ。何も敷いていない、ヒンヤリとしたフローリング。
ベットとは図々しいことは言わないからせめてそこにあるソファか、最低カーペットのところで寝かせて欲しかった。
ま、まさか私がウサギ獣人だから、動物は床で充分なんだよ!ケケケッ!って感じですか!?
「んなわけあるか。」
「あいたっ!」
テーブル越しに頭に軽くチョップをくらう。どうやら心の声が漏れていたようだ。
「初めはベットにちゃんと寝かせてたぞ。ただお前の寝相が悪すぎて何回戻してもベットから落ちんだよ。」
「すいません…。」
床にいたのは100%私のせいだったようだ。ごめんなさい。
「んなことよりお前、ケガは?」
「ケガ…?ああ、頭ならもう痛くありませんよ。治療してくれたんですね、ありがとうございます。」
頭に手をやると包帯が巻かれていた。治療をしてもらったおかげか、頭の痛みはもう無かった。
「そもそもなんでお前はあんな所に居たんだよ。ウサギ獣人は人攫いに捕まりやすいから山奥の村にいるはずだろ。」
「山の麓の町へ買い物に出かけてたんです。友達と3人で居たんですけどはぐれちゃって、1人でいるところを後ろからガツンとですね。」
私の住んでいた村の山の麓には、小さいがそこそこ栄えている町があった。その町には村から降りてきたウサギ獣人がわんさかいる。
ただしウサギ獣人は必ず複数人で行動しなければいけないという暗黙の了解があった。もし単独行をすると、一瞬にして人攫いにさらわれてしまうからである。
その日私は切らしてしまった薬を買いに町へ降りていたのだが、確か雨が降ってきて急いで雨宿りできる場所に走っている最中に友達2人とはぐれてしまったのだ。
私は足が早すぎて友達を振り切り、振り切ったことに気づかず雨宿りできる場所へと必死に1人で走っていた。
気づけば人気のない雨の中1人、そしてまんまと人攫いに捕まってしまったのだ。
そんな経緯を説明すると、彼はバッサリと私には言い放つ。
「馬鹿だな、お前。」
「返す言葉もございません…。」
私もその通りだと思います。
「そんで、村の名前は?」
「ロップ村です。」
「ロップ村か、遠いな…。遠いこの港町まで奴らが来てたってことは、お前を船で他国に売り飛ばすつもりだったんだろうな。」
もし助けてもらわなかったら今頃私はどうなっていたのだろうか。
想像するだけで背筋がゾッとした。
助けてくれた彼に本当に感謝しなくてはならない。
「あのっ!」
「あ?」
「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました!」
「おー、次からは気をつけんだぞ。」
深々とテーブルにおでこがつきそうなほど男の人に頭を下げる。
この人は私の命の恩人だ。
「でも、どうして私が誘拐されたのが分かったんですか?」
「あー。あいつらは人身売買で有名な賞金首、ロイド兄弟でな、あいつらをサツへ突き出せば多額の金がもらえる。それで、ロイド兄弟がこの町で密輸するって話を聞いて、目ぼしいところを潰していってたらお前らがいたってわけだ。」
「ほうほう。つまりあなたは賞金稼ぎなのですか?」
「まあ、そう呼ばれることもあんな。」
賞金稼ぎって本当にいるんだね。
私は思わず感心してしまった。
「お前、名前は?俺の名前はジン。ジン・ベルガーだ。」
「サーシャ・マルラです。ベルガーさん。」
「ジンでいい、敬語もいらねぇ。ベルガーさんとかガラじゃねぇからな。」
「分かった、ジン。」
「おう。それで、サーシャ。お前の故郷はロップ村だったな。」
「うん、北のほうだよ。」
「今度仕事でロップ村の近くに行くから、送ってやってもいいぞ。お前、帰り方わかんねーだろ。」
「本当?!ありがとう!正直、ここがどの地域なのかも帰り方も分からなかった!」
私の知っているのはここはジンの家だという情報だけだ。
「ここはバーンサイド、この国の南に位置する港町だ。」
「バーンサイド?えっと、つまり私は…。」
「故郷の真反対に連れてこられたな。」
「やっぱり?私の故郷までどのくらいかかりそう?」
私の故郷のロップ村は北のほうの年中雪が降る地域だ。
バーンサイドは南の方の港町。
私の時間感覚ではきっと3日くらい経っている、村のみんなも心配しているだろう。
バーンサイドとは予想外だった。早くロップ村に帰りたい。
私は焦る気持ちを落ち着けるため、冷めてきたココアをまた一口飲んだ。
「1ヶ月くらいだな。」
「ブッ!!!」
「おい!汚ねぇな!」
「1ヶ月!?わ、私の中では3日くらいかなって思ってたんだけど…。」
思わず飲んでいたココアを吹いてしまった。
1ヶ月も眠ってたとか、私寝つき良すぎでしょ!
「おそらくドラゴンを使ったな。」
「ど、どらごん?」
「知らねえのか?」
「ち、小さい頃に絵本でそんな単語を見たような見なかったような。」
ロップ村は田舎だから都会のことは私はよく知らないのだ。
情報源はたまに降りる山の麓の町から届く新聞、本や噂話だ。
「ドラゴンを使うと10日はかかる距離を1日で移動できる。お前がいた小屋の近くの森に大きな生物が降りた痕跡があった。」
「ドラゴンをまた移動手段に使うことは出来ないの?」
「ドラゴンで移動するのには高い金がいる。ドラゴンを使うのは大抵金持ちの貴族とかだな。」
「ロイド兄弟はお金持ちか貴族だったてこと?」
「違う。たぶん人身売買で儲けた後だったんだろう。胸糞悪りぃ奴らだ。」
「…人を売るなんて最低。」
人を売るなんて最低なことする奴の気がしれない。
それにしても、1ヶ月かぁ…。
「いつごろに出発するの?」
「いろいろ買わなきゃなんねぇし、2、3日後だな。」
「この家は?」
「ここはロイド兄弟を狩るために借りた貸家だ。ここを発つときに引き払う。」
「だから家具が少ないんだね。」
「ああ。今から買い物しに市場へ行くからついて来い。その汚ねぇ服もどうにかしねぇとな?」
私は自分の今の服装のひどさを思い出した。
そういえば捕まってからずっと同じ服を着ていたんだった。それに古びた倉庫の床に転がされていたため、なんだか埃っぽい。
「うん、そうだね。」
そうして、私たちは市場へと向かった。