雲の上の酒宴
「はぁいお帰りなさい!」
俺はその声に驚き目を開ける。
目を開けるとそこは久しぶりの雲の上。
「フリッグ様、お久しぶりです」
「あら、ブロウド大陸流の挨拶ね」
ついつい癖で拳を隠し一礼してしまう。
俺は笑いながら頭を掻く。
「少し見ないうちに逞しくなっちゃって」
「いえ、まだまだです。クロウディス王に惨敗してしまいました」
「そうかしらね。私からすると貴方は不利な状況で善戦したと思うけど」
「いいえ。最初からあの力を出されていたら、私に勝ち目は無かったです」
そう言うとフリッグ様はくすくす笑った。
「恥ずかしながら」
「違うわ。キチンと解ってそう言っているんだもの。卑下している訳では無いのは、貴方が変わった証拠だと思うわ」
「こそばゆいですね」
「褒められる事に慣れておかないと。おだてられて気分を良くしていては、今後に差し支えるわ」
「今後……ですか」
「そう」
「フリッグ。そろそろ我が話しても良いか?」
「あらごめんなさい。待ち切れなかったのね」
「からかうでない」
雲を掻き分けて現れたのは、
スレイプニルに跨るオーディン様だ。
「オーディン様お久しぶりです」
「久しいな。男子三日合わずば刮目してみよとは良い格言である」
「いえいえ、男子という年でもありません」
「謙遜するでない。お主は前にあった時よりも更に精強になっておる。ブロウド大陸が失敗に終われば、世界は戦乱の世となっていただろう」
「確かに。油断は出来ませんが、暫くは問題無いと思います」
「うむ。御苦労であった。そこでな、今回は我からではなく、他から褒美がある」
「いえ別に褒美が欲しくてやった訳ではありませんから」
「辞退すると?」
「ええ、ただ身内に被害が出ない様にと思っただけです。それに褒美ならもう頂いております」
「何だ?」
「この身に」
オーディン様は豪快に笑う。
オーディン様が笑うの初めて見たかもしれない。
「なら丁度良い。取り合えず目を瞑っておれ」
「はい」
何が丁度良いか解らなかったが、
オーディン様が悪い事をするとも思えないので、
言われた通り目を瞑る。
「コウ、目を御開けなさい」
聞いた事が無いが、澄んだ綺麗な声が耳に届く。
目を開けると目の前には、
後光が差して金の布に身を纏い、
金の冠を付けて座禅を組んでいる大きな人が居た。
マジか。
流石オーディン様が居ればこの方が居てもおかしくない。
「初めましてコウ」
「お初にお目に掛かります。お会いできて光栄の至りです」
「よくブロウド大陸の危機を救ってくれました」
「いえ、全ては己の事を考えて成した事です。御褒めに頂く程の事ではありません」
「そんな事はありません。元始天尊殿からも聞き及んでおります」
「しかし人を殺めました。私があなた様の御前に居るのは相応しくないかと」
「それは確かに。ですが貴方は神か仏ですか?」
「いいえ、そんな畏れ多い」
「ならば貴方は自分の分を弁えて出来る最善の事をしました」
「……それは私の口からは申せません」
「誰しもが過ちを犯さずに生きられたら、それは幸せになれるのでしょうか」
「そうですね。何をもって過ちというのか、世界に人が広がり生きていると、それすらも覚束ないような気がします」
「というと?」
「各国によって、御仏の教えに反する事を是としている国もあります。人と言うのは全てが同じ倫理や理念を持っている事はありません。綺麗な世界は死後に置いても危うい様な気がしています」
「確かにそうですね。皆が皆同じ考えに至るには、人類にとって地球と言う器はもしかすると狭いのかもしれません」
「ただ宇宙に進出した所で、新たな差別、新たな貧困、新たな宗教が生まれるだけの様な気がします」
「人はどれだけ行こうとも変わらないと?」
「そう思います。其々の正義に其々の信じるもの。決して何処まで行っても交わる事は無いでしょう」
「悲しい事ですね」
「難しい問題です。私如きが論じられるようなものではありません。御役に立てず申し訳ないのですが」
「いいえ、貴方の考えを聞けただけで私にとっては糧になります」
「御冗談を」
「冗談ではありませんよ。さて、貴方には私より褒美を取らせたいと思います」
「いえ、オーディン様にも申し上げましたが、私はもう既に褒美を頂いております」
「聞いていましたよ。謙遜ではなく、貴方はそれで十分と考えているのですね」
「十分というよりも、誰も経験できぬ事をさせて頂けたので、身に余る光栄だと思っています」
「大切なものなのですね」
「はい。引きこもりで無職だった自分にとっては、師父達との絆こそ至高です。それに勝るものを私は知りません」
「相変わらず糞真面目な奴め」
不意に背後から声が掛かる。
「全くのぅ。こういう時は欲張っても良いのにな」
「そうですね。ですが実にコウらしい」
「そうだな。そうであればこそだ」
「うむ。良い弟子を持てた事は、我にとっても僥倖」
振り返るとそこには師父達が立っていた。
離れてそんなに経っていないのに、
熱いものがこみ上げてくる。
「私は御仏に仕える身だから戦には参加せなんだ。だがこうして祝宴の準備は整えておる」
「何を言うか。精進料理だけで埋め尽くそうとしていたくせに」
「確かに御前とはいえ、コウの褒美に精進料理だけというのは幾らなんでも」
「俺は止めたからな」
「まぁまぁ。我が持ってきた秘蔵の仙酒があれば、味気ないものも味わい深くなる」
「失礼な事ばかり言いますな皆さん」
「師父……」
俺は師父達にゆっくりと近付く。
「よくやったぞ」
「ほんにのぅ。最後まで気を抜かず、よくやりきった」
「ええ、流石は私達の弟子」
「最後は冷や冷やしたがな」
「カンショウに引き継ぐまでしっかりとあの大陸を護ってくれた事、我からも改めて礼を言わせてもらう」
「いえ、いえいえ、師父達の教えがあったからこそです!」
「これこれ盛り上がるな。まだ酒も何も酌み交わしておらん」
「そ、そうですね」
「ああ、祝杯を上げよう。我の秘蔵の酒でな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!何オラが居ない所で始めようとしてるんだ!」
「これ悟空、騒ぐ出ない。失礼であろうに」
「だってよ、皆オラを置いて始めちまおうとしてるからさ」
「相変わらず遅いのぅお主は」
「落ち着きが無いのは何処へ行っても同じですね」
「そんな事よりこれで全員揃ったのだろう。今日はコウが主賓だ。主賓を待たせてはダメだろう」
「そうであったな。さ、杯を」
師父に杯を渡され、少しずつ、
少しずつ杯に順番に注いでくれた。
感無量とはこの事だ。
この人達に鍛えられ、俺はあの国を護った。
後を託され、後をしっかりと託した。
師父達の願いに答えられた。
「では僭越ながら拙僧が音頭を取らせて頂こう」
「何でだよ!オメェ何もしてねぇだろ!」
「やかましい!私とて出来るなら加わってやりたいが、そう言う訳にはいかんかったのだ。その代わり料理は渾身の気合いを込めて作った。それで良いではないか!?」
「お主ら五月蠅い。コウを放っておいて暴れるでない」
「全くです。ここは師である私が」
「何を言ってるんだ。それを言うならこの俺が」
「何と。格から言っても我であろうが」
わいわいと賑やかだ。
もう会えないと思って沈んだ時もあったが、
師父達は伝説となったのだ。
俺が見えないところでも見守ってくれている。
何時でも師父達が見ていてくれると思えば、
背筋が伸びる。
それを忘れずに居よう。
「コウ、何を泣いておる!?さっさとこの馬鹿申を止めよ!」
「何だと!?決着をつけてやっても良いぞ!?」
「止めよ!ここを何処だと思っておる!?」
「さ、コウ。やかましいのは放っておいて一献」
「あ、有難う御座います」
俺は急いで飲み干す。
口当たりは甘辛く、喉を程良く温めてくれる
とても美味しい酒。
「詰めまでよく頑張りました」
「いえ、もう少し犠牲を少なく出来たかもしれません」
「欲張ってはいけませんよ。人は出来る事しか出来ません。貴方は良くやってくれた」
「そうだ。欲ばると、何処かの仙人のように人を作ろうとするからな」
「おや今日は辛口ですね」
「いつもだ。コウ、皇帝の戦い見ていたぞ。良くぞ真髄に辿り着いたな」
「有難う御座います。師父の教えがあったればこそです」
「そうだろう。俺としてはもう少し槍術を教えたかったのだがな」
「槍術も良いが、やはり我の技こそ至高」
「師父、有難う御座います。カンショウという男を残して下さって」
「いや、あれもお前と同じように、あの国とあの状況が生んだ幸運だろう。それを大切に思うかどうかはその国の人間だ。お前はお前の道を行くと良い」
「はい、肝に銘じておきます」
「なぁコウよ。オラオメェともう一回勝負したいんだけど」
「いや冗談でしょう!?師父とここで戦ったら勝ち目無いじゃないですか!」
俺がそう言うと、皆声を上げて笑った。
俺も釣られて笑う。
こうして楽しい酒宴は俺の眼が覚めるまで
続いた。
覚めたくないと願ったが、
待っている人達が居るから行くが良い、
また逢おうと言われて、
笑顔で礼をし去ったのだった。




