鍛錬その5
コンロン山の頂上まで来てしまった。
ここに来て初めてここまで登った。
見下ろすと殺風景なのかと思ったが、
太公望様の居た小屋や池、
小さな森みたいなものもあり、
コンロン山の全てを見た訳では無かったようだ。
俺は一面を見て全てを知った気になっていたが、
見る視点を変えると違って見える。
「おう、随分早かったのぅ」
懐かしい声が背後からかかる。
「師父、お久しぶりです」
「そうじゃな。本当に久しぶりじゃ。しかし逞しくなったものよ」
「有難う御座います。師父のお陰です」
「ある面においてはそうかもしれんが、それも切っ掛けに過ぎん」
「その切っ掛けが無ければ、国を救うどころか掬われていました」
「ははっ。そうかもしれん」
「で、最後の鍛錬ですが」
「ん?ああ、わしの本気か」
太公望様はそう言うと考え込んだ。
「わしは武人では無い。お主に教える事は何も無いよ。それに碁に関して本気を出した所で、どうにもなるまい?」
「確かに……」
「太乙真人はわしが本気では無いと言ったが、わしが元々武芸に秀でて居たら、わし自身が教えていたさ。お主には基本を教え後は武人に任せた。そしてここまで来る事が出来た。それだけで合格だ」
「え!?」
「なんじゃ、不満か?」
太公望様が目を丸くして俺に問う。
いや不満と言うか拍子抜けと言うか。
そう思っていたら、太公望様の剣が
俺の首目掛けて突き出される。
それをかわすと、太公望様は笑う。
「どうじゃ、解ったか?お主と武芸で競った所で意味は無い」
「鍛錬は御終いですか」
「まぁあっさり終わりではお主も落ち着かんようだし、ここは一つ復習と行こうか」
「気の維持ですか」
「うむ」
俺はそう言われて気を発する。
体に薄く強固な気の膜を作り覆う。
「そのままで居れよ」
太公望様は素早い剣撃を繰り出してくる。
俺は言われた通り動かない。
恐怖はあるものの、防げると思えた。
皆のお陰で武芸も上達し、気も強固になったのか。
本当に有り難い事だ。
「宜しい。だが過信は禁物じゃぞ?」
俺はそう言われて太公望様の視線の先を見る。
俺の来ていたシャツの裾が斬れていた。
それを見て冷や汗が出る。
まだまだだなぁ。
俺は項垂れる。
「いやいやそれだけで防ぐと言うなら不合格じゃろうが、別にそうではあるまい?あくまで非常用としてのものならそれでよかろう。欲張るでない」
太公望様は笑いながら俺の肩を叩く。
全く敵わないな。
「で、ここまで上がって来て貰ったのは他でもない。ここに至るまでの武人達との本気の勝負で身も心も強さを見せた。となれば後は運を天に任せる他無い」
「策の方はどうですか?」
「軍と軍、国と国なら繊密な策が必要だが、相手は皇帝一人。それを釣り上げる事が肝心じゃろ?そうなるとお主が考えている策以外にない。そもそもそう悠長にしてはおられん。そして周りには頼りになる武人がおる。この機を逃してはわしらの状況は悪くなるばかりじゃ」
「はい。ですが皇帝の動きが解らないのが奇妙です」
「4つの領土を反皇帝勢力で染めているのが不気味、そして他の領土がそれに匹敵するものではないのが気になると」
「そうです」
「確かにな。だがこちらには勇名を馳せた武人がおる。相当な者で無ければ相手には無らんだろう」
「皇帝の側にそれが居るとは限りませんか?」
「だからこそ、お主が確実に皇帝を倒す必要があるのじゃ。それ以上でもそれ以下でもない。これが最小限の被害で勝ちを得る方法じゃ」
「肝に銘じます」
「それ以外はわしと太乙真人がフォローする。さ、山の頂に手を合わせて下山するぞ?一睡後戦端を開く」
そう促されて俺は太公望様と共に、
コンロン山の頂上の雲が厚くなっていて見えない部分に
手を合わせて頭を下げる。
―姜子牙よ―
手を合わせた方向から、陽の光が差し込む。
その声は聞きおぼえがある。
「げ、元始天尊様!」
太公望様は慌てた。
元始天尊様とは一度お会いした事がある。
あれは夢みたいなものだったけど。
―コウ、悪いのぉ。ワシはここから何かをしてはやれん―
「いえ、お声が聞こえただけでも有り難い事です」
―姜子牙、コウ。お主達の幸運を祈りこの国の未来を託す―
言葉が終わるとその光の柱の中を
何か輝いているものが降りて来た。
―持っていくが良い。ワシ特製の御守りじゃ―
雲間から指していた陽の光が閉じると、
それは俺の前に来て止まる。
まさに御守り。
上質の糸で作られた俺の良く知る形の
御守りに似ていたその正面には”元始天尊”
と書かれていた。
あの優しそうな元始天尊様が手作りしていたかと
思うとほほえましく思えた。
「コウは本当に運が良いな」
「え?」
「本来元始天尊様はそう簡単に下界には現れては下さらぬのだぞ」
「あれ、前にお会いしたのは」
「あれはお主の霊体のみを引き抜いて連れて行ったのだ」
「そういうからくりだったんですね」
「当り前であろう!生身の体で会おうなど畏れ多い事だ!」
「じゃあ師父、これは我々に運が付いてきているんですね」
「ああ強運がな!」
俺と太公望様はそう言って笑いあい、
下山する。
そして戦端は開かれる。
ブロウド大陸の未来を掛けて。




