太乙真人の宴
「なるほど。確かに策としては悪くない」
街へ招かれた俺と三蔵法師様は食事を終え、
宮殿の中の政務室と書かれた部屋で、
俺が立てた策を述べると太乙真人様は
そう言った。
「悪くない、が落ち度があると?」
三蔵法師様が突っ込むと、
太乙真人様は御茶を啜りながら
「試みに問いますが、コウ。貴方が仮に皇帝の立場だとして、我々のような者を領主として全ての領土を統括しようと思いますか?」
そう俺に問う。
俺は間を開けず答える。
「思いません」
「即答ですか……訳は?」
「訳は簡単です。こういう事態になる事を想定すれば残り6領土に関しては別の、皇帝と同じこの国の者で構成するのが無難です。そしてその6領土を収めるのは恐らく上回る能力を与えられたかもしくは持っているものが居るのでしょう」
「で?」
「私が思いますに、皇帝は何らかの力を無自覚に使っています。その結果コンロン山を始めとした矛盾する勢力を作るような人材を、地に落とし領主として配置しています。領主として配置したのはその統治について学ばせる為かと考えます」
「実に良い答えだ。そこまで考えられるようになるとは流石太公望が教えただけある」
「はい。師父は実に丁寧に教えて下さいました」
「宜しい。では再度問います。貴方の策を完遂する為には、何が必要ですか?」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
「その通りです」
太乙真人様は御茶を口に含み一息吐くと
「貴方の言う通り、貴方は貴方と貴方の陣営を把握していますが、相手の事を何も知りません。ならここから先必要なのは相手陣営を把握する事。そしてここから先は貴方がウロウロして安全な所ではありません」
と断言した。
確かにここから先は敵の陣地に入る。
そうなるとウロウロしてはいられないか。
「で?」
そう俺は太乙真人様に問われたが、ここから先が解らない。
草を放つにしても帰ってくる可能性が低い。
かといって単身乗り込めばヘタをすれば捕らえられ、
上手くいっても見つかって戦闘状態になれば、
戦火が広まるのは間違いない。
今までの感覚であれば勝てるだろうが、
ここから先は皇帝直属と考えれば、
あらゆる事態が起こり得ると考えて正解だ。
何が最適か……。
「難しいですか。それはそうでしょうね。貴方の考えている通りの状態です」
「はい……。犠牲を払って得る対価としては良いのでしょうが、そもそも犠牲を出さずに勝ちたいと考えています」
「現実と理想ですね」
「はい」
「……両面の理と犠を弁えながらも敢えて困難な道を選ぶ。であればこそ太公望も貴方に加担したのでしょう。あれもそういう男ですからね。そして何より安易な方法を選ぶのは犠牲を強いる場合も死んでいく者達が納得し辛いでしょうから」
「出来れば民衆蜂起による状況の変化を望みたいのですが、戦後の事を考えればシン王女を今旗印とするのは宜しくないかと考えます」
「正しいですね。だからこそ貴方は貴方自身が革命の旗印となるべく将帥としての技量を学び、内政に関する知識を学んだ」
「ええ、革命家はいつも事を成せば次第に表舞台から消えていくものです」
「……玄奘、貴方はどう思いますか?」
そう話を振られた三蔵法師様は、
目を瞑って座禅を組んでいた。
「私としては民衆を犠牲にするのは承諾しかねる」
「そんな当たり前の話は聞いていません」
「でしょうなぁ……。まぁ国の流れを変えるには、何を置いてもその国に住む大多数の民衆が、”国がおかしい”と言う事を理解し変わらなければならないと強く思わなければならない。一部の人間が主張し戦乱を起こした所で、それが正しくなければ意味が無い」
そう三蔵法師様が言うと、太乙真人様は小さく笑う。
「コウ、どう思いますか?」
「……残念なことに正しいか正しくないかは問題ではないでしょう」
そう俺が言うと、太乙真人様は悪そうな笑顔を浮かべた。
「失礼。ナタク、私の部屋の棚の一番左にある酒瓶を持ってきて下さい」
それまで政務室の端に立ち、腕を組んでいたナタクさんは
何も言わずに部屋を出た。
「酒の肴にする話ですかね太乙真人様」
三蔵法師様は目を開き、座禅を解いて胡坐をかいた。
「貴方には気分が悪い話でしょうが、私には実に興味深い。これほど美味い肴はありません。こういう時の為に秘蔵の酒があり、それを飲めば格別なものがありますよ」
そう太乙真人様が言って少し間があり、
ナタクさんが酒瓶と杯を持ってきてくれた。
「さ、一献」
太乙真人様が俺達に杯を渡してくれ、注いでくれた。
「太乙真人様も」
俺は酒瓶を受け取り太乙真人様の杯を満たす。
「さ、では心の杯も満たしてもらいましょうか」
「満たせると良いですが」
「今少しずつ注がれています。この杯のように」
「では」
俺は酒を口に含む。
芳醇な香りに僅かだけどしっかりと解る甘み、胸を焦がす辛さの
絶妙なバランスの酒は流石太乙真人様秘蔵の一品と
言っても過言ではないほど美味かった。
「コウ、正しい正しくないは問題では無いとはどういう事だ?」
三蔵法師様が俺に問う。
というか三蔵法師様酒弱い!
もう真っ赤になって喋りが変だ!
「それを私も聞きたい」
太乙真人様は目くばせで気にするなと言っていた。
ならそのままにしておこう。
「はい。徴兵制を取った事で、皇帝は一つ正しくない事をしました。また一つシン王女の母親を幽閉し、その一族だけでなく自らの一族をも排除した事で、一見外戚を廃した良い行動に見えますが、結局は逆らう者は粛清の対象になるという民衆にとっては恐怖を与えられただけに過ぎません」
「玄奘、これがどう言う事か解るかな?」
俺は太乙真人様も人が悪いと思った。
酔った三蔵法師様に問うとは。
「あー、えー、なんだ。つまり今さら声高に正しいかどうかを説く必要はないということかなぁー?」
酔っ払いである。
それを意地悪そうに見る太乙真人様は、
最初にお会いした時よりも大分機嫌が良い様に見える。
「コウ、安心しなさい。私は今とても機嫌が良い。で、コウ続きを」
見透かされていた。
そして上機嫌である事を表すように、
杯を満たす回数が増える。
そして最初は奥に座っていたのに、
今は俺と三蔵法師様の前に居る。
俺にも注いでくれ、次の言葉を待っていた。
「三蔵法師様のおっしゃる通りです。今さら正しさを強調すれば、滑稽になってしまい、かえって民衆の”こっちも違う”という不安を抱かせてしまいます。それに乱を起こすものが正しさを掲げて血に塗れては、鼎の軽重を問われましょう」
「うんうん。で、その正しさを掲げる旗手を太公望に預けてきた訳ですね」
「はい。王女は血に塗れてはならないのです」
「気になっていたので一つ言いますが」
「何でしょう」
「コウ、この大陸では王女、ではなく公主です。王女というと西洋風の言い回しになるので、他だと通じにくいですよ?」
「あ、そうなんですね。申し訳ありません」
「いえいえ、これから色々とあるので今のうちに直した方が賢明です。……というか玄奘。ここで寝ないで下さいよ」
そう太乙真人様が言うので隣を見ると、
壁を背中に三蔵法師様はいびきをかいて寝ていた。
「仕方ありませんね。ナタク、何か掛けるものを。コウ、少し中庭にでましょう。季節も良く花も咲き乱れている。この酒宴に相応しい」
「お供いたします」
「宜しい。参りましょう」
女性モノに近い長い着物を靡かせて、
太乙真人様は政務室を出る。
後について行くと、廊下を歩きながら
中庭を見ると太乙真人様の言うように、
月に照らされて綺麗な花が咲き乱れていた。
「桃源郷とまではいきませんが、それなりに手入れをしている私のお気に入りの場所です」
「素晴らしいですね」
「さ、お掛けなさい」
「失礼いたします」
中庭に入り暫く花の間に出来た道を通ると、
円状に開けた場所に出て、そこには椅子が
二つ並べてあった。
「玄奘は寝ていて正解ですね。私達の話は彼には毒気が強いですから」
「そうですね。御仏に仕える者としては、そうするしかないと知りながら肯定は出来ませんから」
「玄奘が酒に弱いのは知っていましたからね。最も私が飲みたくなったのは本当ですよ?」
「そこは疑っておりません。この酒は実に美味い」
「時にこの酒に毒が含まれていたらどうしますか?」
俺は驚く。
というのも毒が入っているかもではなく、
背後で息衝く者の事を言っているのかと思ったからだ。
気配なく動くそれは、あの人しか居ない。
太乙真人様は小さく首を横に振る。
俺は頷き答える。
「それはそこまででしょう。私は英雄などに望んでなるつもりはありません。私が倒れた時の方策はもう用意しています。ハッキリ申し上げれば、皇帝を誰かがどうにか出来れば私自身この大陸では不要でありましょう」
「……全く。潔過ぎですね」
「そうですね……。元々死を待ちわびていた人間ですから。それでもしっかりと後の道を作っていればこそというのもあります」
「発つ鳥跡を濁さずですか」
「ええ」
俺と太乙真人様は周りを覆う花を見上げて語り合う。
「私は太公望を助けるために、死するべき命を新たな命として誕生させました」
「ナタクさんの事ですね」
「ええ。あの頃の私は仙人の技術が御仏に敵うものだと信じていました。しかし実際はそんなものではありませんでした。結局は御仏の掌の上に悪戯書きをしただけです。それで不幸にしてしまった」
「難しいですね。御仏の掌の上でしたら、その命も御仏の慈悲によって改めて誕生した命なのではないでしょうか」
「……巧い事を言いますね」
「でなければ、命が誕生した理由が見つかりませんし、その意味を探して生きるには人生は短すぎます」
「なるほど。仙人やそれに類するものは寿命が無いに等しい分、余計な詮索や策謀を勘繰ると」
「失礼ながらそう考えます」
「確かに。そう言う事ですよナタク」
そう声を掛けると、ナタクさんが槍を構えて出てきた。
「貴方に普通の人の人生を与えてはやれなかった。そして御仏に仕え慈悲に触れ、貴方は自分が汚れていると感じてしまった。それは私の不徳の致すところと思っていましたが、私達は間違っていたようです」
「何だと」
「何だも何も聞いていたでしょう?コウの言う通り。御仏の掌ならば、私のした事も貴方が生まれた意味も、御仏の慈悲。それだけです。どんなに悩もうが悔もうが、生まれ生きているのです。それは人と何が違うのでしょうか。多少寿命が長いからその中で私達は時間を潰すのに最もらしい事を考えていただけかもしれません」
ナタクさんは構えを崩さず聞いていた。
「ナタク、悩み苦しむのは結構ですが、私と共に更に先へ進みませんか?」
「俺達に先などない」
「ありますよ。御仏の心に近付く事こそが、長い時を与えられた我らにしか出来ない事だと今は思います。貴方がコウに負けたのは、心持だけです。技術なら貴方は武人として素晴らしい才能を持っている」
「今のコイツなら一突きだ」
そうナタクさんが言うと、太乙真人様は声をあげて笑う。
「ナタク……やってみると良い。恐らく無理ですよ。貴方の存在はもうここに来てから何処に居るかコウは知っていました。それに後ろを見てみなさい」
俺は驚いて振り返ると、ナタクさんの後ろに
三蔵法師様が錫杖を構えて立っていた。
「太乙真人様も人が悪い」
「それは貴方もでしょう玄奘。全く貴方達は風流を愛でる心が無さ過ぎますね」
太乙真人様は俺に同意を求め、
俺は微笑み頷く。
「武人と言えど、器量が必要だと言う事です。あまりにも心地良い宴で長々と過ごしましたが、今日は休みましょうか」
「そうですね」
俺と太乙真人様は席を立つ。
「コウ、貴方の力に私もなりましょう。今宵の宴は私にとってはこの地に降りて一番の僥倖です。その返礼と言ってはなんですが」
「有難う御座います」
「そうと決まればゆっくりと休み、起きてから大変です。私もそれなりに調べてはいますから、それに目を通してもらいます」
「心得ました」
「では参りましょう。ナタク、玄奘、行きますよ」
こうして太乙真人様の宴は終わりを告げる。




