碁を打つ
コンロン山での太公望様直々の指導は、
下界との時の流れを感じさせないほど熱心だった。
学生時代に戻った気分になり、
また久しぶりの勉強と言う事もあって、
学ぶ事が楽しかった。
ここでは太公望様と二人きりだった為、
自炊も学んだ。
孫武が作り上げ、曹孟徳が注釈を加え
更に太公望様が初心者用に改定した
孫子の兵法は実に解り易い。
不要な戦いは外交などの手段によって避ける、
戦わざるを得ない場合は万全の準備をする、
兵を有るように見せかけて敵を欺く、
その間に有るように見せかけた分の兵を
敵の背後に回して挟み打ちする事、
同盟を組んだ相手を引き込んで戦わせ、
自軍の消耗をなるべく避ける事などが書いてある。
「太公望様のおっしゃるように、戦いに際しての方法が解り易いですね」
「そうじゃろ?戦をするなら必ず勝たなければならぬ。でなければ民が疲弊し乱を起こし隙を作ってしまう。そうする事によって戦を起こした側が負ける事も多い。足元を見れずに先ばかり見てはダメと言う事じゃな」
「はい、肝に銘じておきます」
「さて、コウは将棋か碁は打てるかな?」
「将棋は多少知っておりますが碁はさっぱりで」
「なら碁を打とうぞ。あれも戦略と通じておる」
「はい。ご指南頂けますなら」
「良い良い。何事も経験じゃ」
こうして太公望様との碁が始まる。
縦横に引かれた線の交わる所に白と黒の碁石を
置いて、縦横で挟むと言うものだ。
相手を囲む為に布石を打ちつつ、
誘い込んでわざと自分の碁石を取らせて
更に先で多く取るという攻防を繰り広げ、
ハッキリ言って勝負にならない。
「コウよ、まぁ初心者にありがちな囲もうとする意図、角を取られない様に取るというのがアリアリと出ておるの」
「どうしても先ずは囲む事が頭に出て、先を考えると角は取っておかないとと考えてしまって」
「それは不味いの。今お主の石の環境を考えてここは囲む為に動きつつ、周りを包むというのが良いの」
「今の状況に出ていますな」
「その通りじゃ。お前の囲う意思が見えれば、こちらは逆に囲うようにみせて、別の方向へも進めるように一手打つ。お前は囲う事、そしてかなり後の事を考えて角を取れば、わしは着々と領地を広げどうあっても勝てまい」
「……皇帝を囲う事、先々を考えて他国の叛旗を促す事に似ていますね」
「うむ。皇帝は何故お主を泳がすのか。それは囲われても困らぬ手を打っているか、それとも囲えない一手を打っているかじゃ」
「皇帝は己の力の身を信じている者かと思いましたが」
「それは間違いない。あれは己の力しか信じておらん。じゃがの、それは強烈じゃ。その強烈さに人は平伏し恐れを成して屈服せざるを得ない」
「と言う事は皇帝は対局の場で4手目に囲っている状態になる訳ですね」
「碁に例えればな。囲うのに最低4手いる。つまりわしとコウの対局を、皇帝は全ての人間に一度にしているのと似ておる」
「そして更に先の一手を打っている……」
「その通りじゃ。勝つ状態がどういうものか、キッチリと計算できておる。お主の場合、勝ち方が解らず護る方に頭が行き過ぎておる」
「時には打って出るのも手ですか」
「うむ。碁とは違い、戦になれば更なる熟慮が肝心じゃ。碁が打てたとて、戦に勝てるとは言えん。じゃがの、碁が打てると言う事は、勝ち方を頭の中でしっかりと思い描け、更にその為にどういう布石をするかが解っている状態にならなければ、競い合いにはならん」
「はい。肝に銘じます」
「さ、もう一番」
「はい!」
それから日が暮れるまで太公望様と碁を打った。
取っては取られの繰り返しだが、徐々に対局を
長くする事に成功した。
だが太公望様は次の一戦ではこちらを惑わす
布石をしてくる。
そしてその都度戦略を交えて解説してくれる。
結局一度も勝てないまま夕餉となる。
そして就寝し、朝日が昇ると起床になった。
慣れない俺は太公望様に叩き起こされて、
小屋の側にある畑で収穫と農作業をする。
そして池に餌を巻いて、家畜にも餌をやる。
それが終わったのち、授業は始まる。
「さて、孫子と碁打ちは日課に組み込むとして、お主の問題を解決せねばなるまい」
「解決できましょうか」
「出来る」
「断言されるのは何故でしょうか」
「足元を見よ」
俺が自分の足元を見ると、頭をはたかれた。
「本当の足元を見る奴があるか。お主の足元、つまりは基盤となった生活圏とその仲間を思い出せ」
「はい」
「お主が先陣を切り戦い抜いた戦いで、必ず勝てる見込みのあった戦いは幾つある?」
「それは……」
「お主は軽く考えている節がある。死は生きたいと願う者、生きなければならないと思う者にとっては怖いものだ。それを差し引いてお主について来たのは何故かな」
「信じるものが俺しか無かったからでは?」
「それが己を軽んじている証拠じゃよ。この世界は広い。偶々そこに居るもので何とかなるものなら、お主の力など借りはせんじゃろ?」
「はい」
「つまり、お主と命を天秤にかけて、お主が重しとして相応しい重さのある男だからこそ、死地に思える戦いにも挑んだのじゃ。その者の立場に立って考えてみよ。恐ろしいじゃろ?」
確かに。
如何に力があるとはいえ、必ず勝てると保障など無かった。
それでも俺に生死を掛けて共に戦うとすれば、
相当な覚悟がいる。
死んでも悔いはない覚悟。
俺にはそんな覚悟があっただろうか。
ああ、そう言えばアーサーとの戦いの最後の方は、
命の全てを捧げても倒せる力を欲したな。
「おぼろげながら見えてきたかな。お主は軽い命の男では無い。そしてお前に命を預ける仲間も軽くない。お主が軽ければ、仲間の生死も軽い事になる。それは卑下というよりも侮辱じゃ」
「はい……」
「連れて歩かないというのは、信じていないからじゃ。いざとなれば自分で何とか出来る、もしくは死んでも良いという事。それは玉砕覚悟の特攻でしかない。お前がこの国に来たのは死にに来たのか?」
「違います」
「ならば信じよ。こんな異国にまでついて来た者に、背中を預けよ共に戦え。そしてそれを何れは末端の兵士に至るまで広げるのじゃ。今までお主は相手が全幅の信頼を寄せてくれたのだ。今度はお主が寄せる番」
「一つ一つが囲う為の一手なのですな」
「そう、それこそが策の実よ。これなくして軍の統率は取れず、国に叛旗を翻した所で崩れ去るのみ。そうなれば姫も命はあるまい。それで良いのか?」
「良くありません」
「捨身飼虎の覚悟を持て。最も本当に崖から身を投げて相手を生かすのではない。あくまで心意気の問題じゃ」
「はい!」
「まぁ口で言った所で、頭に叩き込んだ所で、行動に出ねば意味が無い。そして今は時間もない。幾らコンロン山と下界では時間の流れが違うとはいえ、そう都合の良いものではない。後数日兵法などを学んだら実地と行こうかの」
「え!?太公望様も来て下さるのですか!?」
「当たり前じゃろ。何で弟子を放り投げる。まだまだ突き放すには早い。実践の中でこそ得るものもあるのでの」
そう太公望様は悪戯小僧の様に笑った。
これは物凄い味方が来てくれる。
知謀に優れた太公望様が味方についてくれれば
怖いものなしだ。
俺は期待に胸を膨らませた。




