太公望談義
「さ、入られよ」
コンロン山の池から少し上がった崖の上にある
小屋に案内される。
「失礼いたします」
一礼し中へ入ると、
その小屋の中には多くの書物が
散乱しており、太公望様の飽くなき知識への
探求がうかがわれた。
「そこへ掛けられよ」
「はい」
太公望様と向かい合い座る。
「ここコンロン山はお主も何とはなしに思うておるだろうが、時間の流れが下界とは異なる」
「皇帝の支配の中でもですか?」
「包みの上に包みを被せるとどうなる?」
「なるほど」
確かにそれでは無力化も何も無い。
俺が頷いていると、太公望様は御茶を準備していた。
「申し訳ありません。勝手が解らず」
「良い良い。先ずは一息つこうではないか」
そう言って太公望様は自分の分と俺の分の
御茶を入れてくれた。
茶柱が立っていた。
それも太公望様の前では不思議とは思えなかった。
「コウ、別にわしは神ではない。茶柱を立てようと思って立てられる訳もないぞ?」
「どうしてそうお思いに?」
「顔に出ておる」
太公望様と俺は声を出して笑う。
「さてコウよ。お主の策は思いつきに近いものがあるな」
「はい。細かく理論立てて緻密な策とは言えませぬ」
「結論は間違えておらぬ。しかし今の状態では絵に描いた餅じゃ」
「確かに」
「では何が大事であるか解るかな?」
「はい、兵士たちへの信頼と、兵士達からの信頼ですね」
「戦いとは兵のみにあらず」
「一般市民も味方に付けなければならないですね」
「そうじゃ。お主も解っていると思うが、王や王族、兵隊だけで国は立たん。そこに人が住んで営み兵士を養っておるからこそ、戦い護る事が出来るのだ」
「多くの場合は兵が先に立ちますね」
「うむ。肝心要は一般市民なんじゃよ。その根幹を忘れ兵士のみに囚われて戦争を語るから誰もが間違い後になって後悔するのじゃ。誰の為に戦っているのかを」
「戦わずして勝つ」
「そう。それが上策後は全て下策」
「ただ民衆とは移ろいやすいものではありませんか?」
「そりゃそうじゃろ。誰も王の眼、将軍の眼、兵士の眼で物を見てはおらん。これは全てに言える事じゃ。誰もが自分の身分に相応な目線でしか物を見れん」
「その目線をどれだけ広げられるかを、弁舌でなしえましょうか」
「その為に力がある。これが一番分かり易い。ただ暴力では無いぞ?」
「それは心得ております」
「お主のこれまでの戦いを見れば愚問であったな。お主のやり方は、戦わずして勝つという前提を成しえない状況から、如何に被害を最小限にとどめるかを考えて戦った。だからこそ、人はお主を英雄と呼ぶ」
「英雄とは何でございましょうか」
「英雄とは弱き者達にとっての偶像じゃ。もっと言うのであれば、粥を喰うのにレンゲを使うが、別に箸でも食えん事は無い」
そう太公望様が言うと、俺達はまた笑いあう。
太公望様にかかれば英雄なんてレンゲみたいなもの。
何とも大きな方だ。
それから俺達は同時に腹を鳴らし、
太公望様に食事をごちそうになる。
「頂きますというのは実に良い言葉じゃの」
「はい。命を頂きますという感謝の念を込めて口に入れて消化するのですから」
「じゃよな。食する事も生きる上で当たり前のように作業的に出来る事を、改めて振り返り見つめ直すと、色々な生物の命を頂いているという事が解る」
「だからこそ、妄りに斬れません」
「であろう。それを解らずに、オラ戦いてぇ!とか言いだすともう末期じゃよ」
「はは、悟空さんは戦っても相手を生かして再戦したいと思われる方では無いですか?」
「まぁの。あれも命を取るというよりは、その命の限界を知りたがる。相手にとっては迷惑でしかない」
「命を取るよりはマシかと」
「マシかどうかで語ると、果てが無いな」
「そうですね。マシな事なんて本当はないのかもしれません」
「仙人などというものは、その果てのない事を突き詰めて命を永らえさせている、仏にとっては罰当たりなもんじゃ」
「それは違いましょう。こうして救われるものも居ります」
「それはまぁの。じゃが我らはそういう風にして生きてはおらぬ。お主がこなければ、会う事も無かったであろう」
「ですが会い、こうして教えを請うております」
「それこそ天命。誰にもどうする事も出来ない天の摂理よ。これを御題目に人から金を巻き上げる罰当たりも居るが、果ては地獄よ」
「果てですか」
「果てじゃ」
暫く無言でご飯を頂く。
仙人とはもっと質素かと思っていたが、
宿屋のご飯と変わらないラインナップに驚く。
「まぁ飯を食っている間に難しい話をするのも何だな」
「そうですね、考える事と食べる事が一緒になって、失礼かもしれません」
「ほう。お主の言う事には一理ある。では丁寧に咀嚼し命を頂こうか」
「はい」
暫くして食事を終えると、俺は洗い物をすることを
願い出るが、断られた。
「皿洗いで雇った覚えはない。一時も早く身につけねばならんものがあろう」
と言われ、濡れた手で渡された一冊の本。
そのタイトルは「六韜」「三略」とかかれていたもの
かと思いきや、孫子の兵法である。
「太公望様これは」
「いやお前に六韜三略を読ませても頭にはいらんだろうて。先ずは基本として入門書としても名高く奥が深い孫子から入るべきであろう」
「曹孟徳が注釈を加えたものですか?」
「更に噛み砕いた物じゃ。孫子の兵法の完成を見るには原典を見るよりもそれが一番分かり易い。ただ事軍事においてだがの」
「それで足りるでしょうか」
「足りる訳無かろう。お前に今必要な事は」
太公望様は洗い物をしながら俺に話しかけていたので、
向き直る為に洗い物を終わらせて手を拭く。
「人を信じるという事じゃよ。お前は師らしい師を持たぬ。お前の親にはなってやれんが、お前の師としてお前を裏切らない初めの人間になる。わしとしては一番苦手で一番大変な課題なんじゃがな。これも長く生きた罰だろうて」
そう言って笑い、俺の押して席につかせる。
そのまま俺は孫子の兵法を読みながら、
見守る太公望様の視線を感じていた。




