アリスの日記
私は暇を持て余していたので、
グラディエで買った日記をつけようと思う。
一日目
コウは甲板でシンに引き摺られ武術の稽古をしていた。
最初はしょうがなくやっていたが、
その内顔付きが変わり、無心で拳を突き出していた。
果して何処まで続くのか。
コウは他から見れば何も考えていない様に見える時もあるが、
多くの事を考えある程度先を見ている。
この航海が無謀の始まりである事も知っていた。
だが止まらない。
コウの動機は一つしかない。
女の子に泣かれると弱い。
それが罠であったとしても突っ込む。
恵理という異世界から来た元極悪人も
自分の懐に入れ伝染させてしまった。
彼に付き従うものは、伝染している。
私もその一人である事も付け加えておく。
二日目
コウは今日は誰よりも早く甲板に出て、
自分の鍛錬をしていた。
腕を伸ばしたり屈伸等をした後、
拳を突きだすという同じ動作を繰り返す。
そして後から出てきたシンやお供は、
その姿に驚き慌てて鍛錬を始める。
それを窘め、柔軟体操をするよう
促すコウ。
まだ二日目だというのに、伝染が始まる。
コウの掛け声に合わせて皆が動く。
それは厨房担当が朝食に呼びに来るまで続いた。
三日目
この日は海は荒れていた。
天候も悪い。
だが伝染病の元は甲板に出て鍛錬をしていた。
私が声をかけると
「いやこの揺れも鍛錬に使えるんじゃね?」
というアホ丸出しの答えが返って来た。
最初は酔っ払いの様になっていたが、
どれだけ経ったか解らないほど繰り返した後、
その足元は強くしっかりと、
まるで甲板に根を生やしたようになった。
天候が悪く時も把握出来なかったが、
空が暗くなった頃にシンが気付いて中へと入れた。
これが元無職で引きこもりという生き物なのか。
本人曰く
「いや、やる事が無さ過ぎてこれしかないんだよ!」
だそうだ。
だがやる事が無いからと言って悪天候の中、
雲の上を日が通り過ぎ落ちるまでやる者が何処にいるのか。
そしてこうも言う。
「筋肉が痛くならないから、それもツイてる!」
ともう頭の中まで筋肉化している。
四日目
誰よりも早く甲板に出ようとしていた
シンとお供達だったが、
おっさんの朝は予想以上に早かった。
曰く
「何か目が覚めてた!健康になってきたぞ!」
だそうだ。
その内ワクワクすっぞとか言いださないか
心配である。
この日から実戦形式の組手をしようと、
シンから提案があった。
コウの眼は輝いている。
最早眼はワクワクすっぞ状態である。
だがこれまでに強敵と相対してきたコウに、
隙を突いて打ちこめる者などいなかった。
遠慮しなくていいからとコウは言うが、
遠慮も何も無い。
隙が無い相手に打ち込んでこいと言われても、
返り打ちが関の山である。
案の定突き出されたお供とシンの拳は
腕の部分にコウの掌を当てられ、
流れを変えられて甲板とこんにちわだった。
五日目
伝染病とは回りが早い。
コウの事を初日に侮っていたお供達、
そして武術では利があると思っていたシンも、
眼が変わる。
お供の中には師父と呼ぶものもあった。
馬鹿である。
「いや突きしか出来ない師匠なんて居ないだろ」
コウの言う通りである。
愚直なまでの突き。
それだけがコウの武術。
それ以外は剣を握り強敵と戦ってきた、
命を掛けて得た経験により見切る事が出来ているのだ。
「何か妙な事になってきたから明日から隠れてやるわ」
アホである。
この船の何処に隠れると言うのか。
「どうしよう。どっかで盛大にわざと負けるか」
馬鹿である。
この状況でそんな事をすれば、手抜きされたのが
ばれない訳が無い。
何でも英雄と言う実に意味のない呼ばれ方に
迷惑しており、シルヴィ大陸に帰ったら
人を雇って負けて大した事ないという
話を拡散させたいらしい。
「それで釣れるのは馬鹿だけよ」
私が呆れて言うと、コウは項垂れる。
コウは時に全ての者の上を行く考えをし、
見ようによっては非情な用兵をする事がある。
果断即決のキレ者という噂も、
実は冒険者の間には流れているのだ。
それを聞くとコウは更に項垂れる。
「引きこもりたくなってきた」
「なら自分の国でも作って引きこもりなさい。でなければ、毎回毎回厄介事が舞い込んでくる、迷子預かり所になるわよ」
追い打ちを掛ける私に対して恨めしそうな眼で
見るコウ。
私の上司である魔界の英知から教わった言葉がある。
昼行燈。
行燈というコウの世界の古いランタンのようなもので、
それを昼間に付けているのは意味が無い。
ぼんやりした役に立たない人の事を言う言葉だったが、
コウの世界ではコウと同じおっさんキャラで
この言葉が付くと有能らしい。
平和な時はのんびりしており、その力も知恵も
片鱗すら見せない。
私は今のままで良いと思う。
ぱっと見てコウを見抜けるのは、
同種か腕の立つ者だけだ。
それで良い。
六日目
コウの鍛錬は続いていた。
「俺にしては誰かに言われないでやるのは初めてかもしれない」
ともう戦闘種族に分類したくなる状態になっていた。
コウは元々お腹が少し出ていた位で
細身だった。
だが私が魔界に帰っている間とこの船での鍛錬で、
その出ていたお腹は胸の筋肉に追い越されていた。
何でも厨房係は筋肉が付きやすい様な
シンの国のメニューを出していたらしい。
私はその厨房係を良く見る。
そしてハッとなる。
「アリス様、どうか上陸後はお気をつけください。私達に出来るのはここまでで御座います。あの大陸には我らとは別の悪しきものがおります故」
どうやら私の上司はコウに思いのほか入れこんでいるようだ。
そして近付くブロウド大陸。
そこにはどうやら皇帝以外にも、シルヴィ大陸とは
違うものが居るらしい。
私は色々な意味で嫌な予感がした。
七日目
最早コウ一派と成り果てた集団は、
皇帝の気配がする大陸が目の前に現れても、
見ているのは先頭に立ち眼を輝かせているコウ
の背中だった。
一週間か。
伝染病が芯まで届く期間としては、
短すぎる位である。
こうして私達はブロウド大陸へと辿り着いた。
追記
ファニーとアルブラハは船に酔いダウンしていた。
アルブラハは初日以降揺れが強くなってから、
ファニーは船に乗り込んでから。
竜は最強では無いらしい。
私は思う。
馬鹿が最強だった。




