02 建設
「それでは賃貸契約の成立ということでよろしいですね?」
「ええ、いろいろありがとうございます。助かりましたよ大家さんの紹介だとか、買い物出来る場所の案内だとか」
「いえいえ、それも私の仕事の内ですから。では私はこれで、住宅関係でのお求めがあれば、ぜひ我がトリント不動産をご利用くださいね」
「ええ、その時はぜひ」
笑顔と共にその壮年の男性は、部屋を出て行った。残されたのは俺ただ一人。いや――
「ユウさん、本当に普通にアパートを借りたんですね……」
他のものには見えない様に姿を消していた天使リーチェが呆れた様子で言ってくる。
「計画通りってことだし、喜ばしいことじゃないか」
笑いながら、俺は自分の髪をかき乱す。今現在その髪は金髪に変化している。取得したダンジョン・マスターのスキル【変装】によって俺の姿は黒髪黒目の日本人顔の男から、金髪碧眼のしまらない顔立ちの男に変わっていた。
なぜ変装しているのか、それは此処がアルヴェン王国の王都アルヴェントだからだ。黒髪黒目の日本人顔は目立って仕方がない。だから王都アルヴェントで最も目立たない金髪碧眼にしているのだ。ちなみにこの地域の人間は、肌は白いがコーカソイドのように彫りは深くはない。
必要の無くなった変装スキルを解除し元の黒髪黒目に戻る。部屋の窓にはカーテンが掛かっているので外から見られる心配はない。
「そもそもアパートの部屋を借りる必要があったんですかね?」
「ダンジョンの初期建設のコストを抑えるためさ。リーチェも納得しただろう?」
ダンジョンの建設にはオドを使用する。ダンジョン・マスターは初期費用として渡されたオドを使用してダンジョンを建設し、運営していく中でオドをかき集め、そしてその一部からさらにダンジョンを作っていくのだ。
そして天界――天使やダンジョン・マスターなどの神の使い達の事を全体的に呼ぶ時に使う――は常にオド不足にあえいでいる。
ダンジョン・マスターはオドをかき集め、そのオドの大部分は天界に徴収される。下っ端のようなものだ。深く考えると虚しくなるから止めておこう。
ともかく、無駄にできるオドなど一欠片も存在しないのだ。
「しましたよ? しましたけど……」
リーチェは情報ウインドウを呼び出し、こちらに見せてくる。そこに載っているのは、これから作るダンジョンの設定情報だ。
「コレってダンジョンって言うんですか?」
「ふむ、深い質問だな……」
俺は思わず唸る。
「まあ、ダンジョン? でいいんじゃないかな」
「なんで疑問形で言うんですか?」
「ハッハッハ。ともかくダンジョン・コアを設置しよう」
ダンジョン・コアはダンジョン・マスターだけが使用できるダンジョンの心臓部だ。コアからの操作によってダンジョンは形作られ、中に出現するモンスター、トラップ、宝物、宝箱、オド収集装置、自動修復装置などの全ての設定が可能となるのだ。
そしてダンジョン・コアの設置とはダンジョン・マスターだけの基本スキルだ。使用した場所にコアを作り出し、その周囲をダンジョンに作り変える起点とする。
俺は部屋の中央の床に手を触れると、スキル使用を開始する。
「【ダンジョン・マスタースキル使用。ダンジョン・コア設置】」
ストックされていたオドが大きく消費するのを感じる。部屋の床に一瞬魔法陣が広がり、それが消えると、床についた手を押し返してモノがあった。それに逆らわずに手を上げていく。
やがて俺の腰の高さまで、手を押し返して止まる。床から生えてきたそれがダンジョン・コアだ。
見た目はバスケットボールほどの大きさの黒い水晶球。それがオドロオドロしい装飾が施されている石の台座にがっちりと食い込むように収まっている。一般的なアパートには場違いな事甚だしい。
「ダンジョン・コアのデザインはどうにかならなかったのか?」
「カッコいいじゃないですか。正に『ダンジョン・コア』って感じで」
たしかに、こんな場所に設置することが想定外なのだろう。
ダンジョン・コアを設置しただけではダンジョンが出来たとは言えない。これからダンジョン・コアに設定を施してから起動させることによってダンジョンが作られるのだ。
「じゃあ、最終確認といくか」
情報ウインドウを呼び出し、ダンジョンとする場所の確認と同時に、ダンジョン・コアを操作して位置を設定する。これから作るダンジョンの肝となる場所設定はすぐに終わる。が、このままでコアを起動したら、細心の注意を払った設定が全て無駄になる。
一般的なダンジョンにするための規定値設定を解除する。途端に詳細設定を要求する画面へと変更される。
一般的なダンジョンとは、形式は洞窟、モンスターは自動生成。内壁並びに外壁には破壊耐性を持ち、自動修復機能も付与される。
通常のダンジョン・マスター達はこれらの設定を基本に、自由にバリエーションをつけてダンジョンを生成するのだ。
そして生成が始めると設定に合わせて周囲の地形を変形させてゆき、ダンジョンとなる。
が、今から俺が作るダンジョンは一般的なダンジョンではない。
ダンジョン形式を『洞窟』から『無し』へと変更。
モンスターの自動生成機能は『OFF』へ。
内壁並びに外壁には破壊耐性も『有り』から『無し』へ。当然、自動修復機能も『無し』にする。
また、通常では決して外されることのない、地形変形機能も『OFF』にする。
「ふむ……。よし! コレでいいだろう」
「ユウさん。本気でこんなダンジョン作るんですか……?」
リーチェは不安――と言うより戸惑いの表情で問いかけてくる。
「ああ、リーチェも納得はしただろう?」
「それはそうですけど、こんなダンジョン。前代未聞ですよ?」
「俺としては、似たような施設を今まで作ってこなかった方が驚きなんだがな」
「いや、だって普通にダンジョンを作ればオドは収集できますし……」
「それだけじゃ足りないから、今天界はオド不足でカッツカツなんだろ?」
「そうですけどぉ。ダンジョンといったらお馬鹿な冒険者を血祭りに上げるものでしょう?」
ええい! 可愛くぐずりながら、血なまぐさい事を言うな。なぜそこまで血祭りにこだわる。俺はため息を漏らし、指を一本立ててリーチェに言う。
「いいか? リーチェ。お前は一つ勘違いをしている。ダンジョンは、バカな冒険者をおびき寄せて殺す施設じゃあない。
生き物からオドをかき集める施設だ。
そしてダンジョン・マスターの仕事は、オドを集めるのに効率のいいダンジョンを作ること。違うか?」
「ち、違いません……」
「それでもって、このダンジョンはシミュレーションでもかなり効率が良いっていう結果が出てる」
情報ウインドウの機能の一つだ。ますますパソコンじみている。
「それなのにリーチェは何が不満なんだ?」
「う、うう……」
ヨヨヨ……と芝居じみた動きでリーチェは崩れ落ちる。
「ダンジョン・マスターのサポートなら、モンスターと冒険者達との、血ィ! 沸きっ! 肉っ! 踊る戦いが、自分の手で演出できると思ったのにぃっ! 思ったのにぃ!」
ガンガンガンと床を殴る仕草をした後、リーチェは何事も無かったかのように立ち上がる――浮いたままだが――と、ジト目をこちらに向ける。
「……ユウさんはいけずです。効率が悪いなら理論武装で大反対できたのに、効率が良いばっかりに反対も出来ません……」
「ああ、なるほど」
その楽しみが無くなりそうだったから、反対していたのか。つまりリーチェは格闘技観戦好きの女の子と同じようなものかと納得する。血なまぐさいが。
「じゃあ、この設定でダンジョンを作っちまうか。ちょうど、オド収集対象の第一陣が来たみたいだしな」
部屋のカーテン越しの窓の外から聞こえた音にそう告げ、スキルを使用する。
「【ダンジョン・マスタースキル使用。ダンジョン・コア起動】!」
その言葉と共にダンジョン・コアは光を放つ。そして、それ以外何も変化を見せずに光は収まる。
「ん? 失敗しました?」
「してない。
ちゃんとダンジョンは作られたよ。ただ目に見える変化が無いだけさ。このダンジョンの主である俺にはちゃんと確認できてる。
リーチェもサポートとして登録されているからちゃんと確認できるはずだぞ?」
「え? あ、ホントだ」
確認しようと思えば、ダンジョンとなった場所は淡い光を放っている様に見える。そうでない場所との差は歴然だ。そして、壁に遮られ、直接見ることのできない場所もしっかりとダンジョンになっていることも確認出来る。
「じゃあ、出かけるとするか」
俺は再び変装スキルを使用し、金髪碧眼のしまらない顔の男へと変化する。
「どこにです?」
「決まってるだろ。我がダンジョンの第一の犠牲者を見に行くんだよ。直接な」
ニヤリと笑いながらリーチェに告げた。彼女が呆れたような冷たい目をしたのはきっと気のせいだろう。
「まあいいです。せっかくです。私も一緒に行きますよ」
「ちゃんと他の人間から姿が見えないようにしておけよ」
「わかってますよ。人間に見られたら面倒な事になるに決まってるんですから。面倒事は嫌いです」
「同感だ」
頷きながら部屋を出る。施錠しつつ、もっとも新しいダンジョンの最深部となった部屋のドアプレートを見る。そこには103と刻まれている。
狭く短いアパート内の廊下を歩く。
このアパートは三階建てで、一つの階に同じ大きさの3つの部屋が入っている。構造としては中央に廊下があり、半分を2つの部屋で埋める。そして残ったもう半分をもう一部屋と、出入口につながる廊下と階段のスペースに割り当ててある。
俺の契約した103号室はちょうど仲間外れになった方の部屋だ。
階段と位置が反転していたら、もう少し高い家賃になったんだろうなと益体もない事を思う。この位置関係に最も利益を受ける事になる俺が考えることじゃないか。
廊下を進み外へと出るドアを開けると、石畳に覆われた街並みが広がる。といっても此処は裏通りだ。狭い道に同じく石造りの建物が並ぶ。表通りはアパートを挟んだ向こう側だ。何故このアパートは裏通りの方に出入口を作ったのかと疑問に思う。
時刻は午前10時ごろだが、裏通りの人通りは少ない。だが、人が居ないわけじゃない。
ドアを開ける音に気がついたのだろう。ちょうど隣の建物の前に停まった荷馬車の近くにいた二人の男性がこちらに視線を向けてきた。
「ああ、こんにちは。隣の肉屋の方ですか?」
片方の割と暇そうに作業を見守っていた、こざっぱりとした格好をした男性に声をかける。
「ああ、そうだが……」
「ではわっしはこの子をいつもの場所に繋いで置くんで」
「あ、よろしく頼みます」
もう片方の男性は農夫のようだ。荷馬車から降ろした牛をアパートの隣の建物の中へと連れて行く。
『あ〜。このウシさんですね〜』
リーチェが牛の周りを、ふよふよと浮きながら声を上げる。彼女の姿と声は俺以外には認識できていない。
俺は手綱に引かれて大人しく付いていかれる牛を見ながら男性に聞く。
「あの牛はこれからシメるんですか?」
「ん、ああ。今から解体を始めて、夕食用に買いに来る客相手にはちょうどいい時間になるんだ」
「ほう。そうなんですか」
「で。お前さんは?」
「ああ、すいません。俺はついさっき、そこの部屋に越してきたユウと言います」
103号室の窓を指さす。肉屋の男性は顔をしかめる。
「その部屋に、か?」
「ええ、そうですけど?」
「お前さんわかっててその部屋を選んだのか?」
「え? 何かあるんですか?」
と、俺が答えると、彼の表情はますます歪む。リーチェは楽しげに笑う。
『あはははっ。ユウさ〜ん。かわいそうな事しちゃいけませんよ〜』
『意地悪をしてるつもりは無いんだがな』
表では不思議そうな顔で首をひねり、裏で基本スキルの一つである念話でリーチェに答える。
会話を引き伸ばす必要も無いので、彼の懸念を解消してやることにする。俺は今気がついたかのように声を上げる。
「ああ。ひょっとして、屠殺部屋のすぐ隣になってる事ですか?」
「ん、ああ、そうだが……」
「大丈夫ですよ。おかげで家賃はとっても安くなりましたら。感謝しているほどです」
「そ、そうか。ならいいんだ」
彼は戸惑いつつも、ホッとしたように頷く。
「その部屋には人が居着かなくてな。大家のばあさんには、文句を言われてたんだ。お前さんが長く住んでくれるならこちらとしてもありがたい。店に来てくれたら割引するぜ」
「本当ですか? いや、ありがたい。隣になるから挨拶だけはしとこうと思ったんですが、正解でしたね」
「ああ。俺はガラフィルルドインだ。まあ無駄に長い名前だ。肉屋の店主とでも呼んでくれ」
本当に長い。その事に戸惑いつつも頷く。
「あー、そうします。じゃあ、今度はお店に行きますから。では荷物の整理が残ってるのでこれで」
「おう。待ってるぜ」
店主と別れ、アパートへと戻る。
『なかなか善い人な店主さんでしたね』
『そうだな。あの肉屋が繁盛してるは、店主の人柄も有るのかもしれないな』
実際のところは立地条件に恵まれたからだろうが、それを言うのは無粋なので黙っておく。
103号室に戻る。
「にしてもなんでわざわざ部屋に戻ったんですか? 荷物なんて整理する必要無いじゃないですか。インベントリに全部入ってるんですから」
インベントリは基本スキルの一つだ。ゲームでいうアイテムボックスだ。いくらでも物が入り、いつでもどこでも取り出せる。入れた物は情報ウインドウを使えば確認や整理も一瞬だ。
天界の者は荷物整理という言葉とは無縁だ。変装スキルを解きながら答える。
「荷物整理は口実だ。せっかく第一の犠牲者がでるんだから、ダンジョン・コアで確認しておきたいだろう?」
「まあそうですね。ですが、あのウシさんですよねぇ」
「ああ、あの牛だな」
頷きながら、ダンジョン・コアに触れる。
ここで、作ったダンジョンの全貌を紹介しよう。
まず、重要なのがダンジョン・コアルーム。ここ、アパートの103号室がそれだ。
アパートと肉屋の壁の間に存在する6センチほどの隙間。
そして、二枚の壁向こうに存在する肉屋の屠殺室。
以上だ。
ちなみに制作コストは、通常のダンジョンを作る際の100分の一以下だったりする。
「お、始まるぞ」
肉屋では、たくさんの飼料を食らい幸せに生きてきた雄牛マイケルが、その牛生を終わらせようとしていた。どんな牛かと巨大データベースにアクセスしてみると、母牛の愛に包まれ育てられたとか、どんなメス牛に恋をしたとか、そんな余計な情報が大量に表示されてきたので、慌てて見なかったことにする。
そして、雄牛マイケルは天に召された。今日の夕方には美味しく食卓に並ぶことだろう。
同時にダンジョンのオド収集機能によって、死によって肉体から解放された全てのオドが回収されていく。
ダンジョン・コアに回収されたオドの量を見て、俺は思わず歓声を上げた。
「おお! やったぞ! 冒険者の1.5倍のオド量だ。やっぱり体がでかいから保有してるオドの量も多いんだな」
「ああ……。なんてことだぁ。こんなに効率が良いなんて……。ああ、遠ざかっていく……私の血沸き肉踊る戦いがぁ……」
頭を抱えて嘆くリーチェに、呆れた視線を向けとりあえず止めを刺してやる。
「ついでに言っておくと。隣の肉屋は一日に一頭。多い時は二頭は獣を解体してるからな?」
「うあぁ。ウッハウハじゃないですかぁ。普通のダンジョンなんて平均したら十日に一人程度ですよ?」
「単純計算すると15倍の効率だな」
「うぅ……。わぁ……スゴーい……」
俺は嘆くリーチェを見ながら考えていた。
「血沸き肉踊るか……」
それも必要になるかもしれないと。