第六話
第二章−クリスマス・イヴ−
第二部 健二と友紀の夜
思い返せば、友紀との出会いは劇的なものでもなんでもなかった。
小山が26歳になったばかりの12月上旬。
外に出た瞬間に、吐く息が白くなり、寒さを実感する季節。
その日の空は青く澄み切っており、大きな雲も真っ白に見えた。
サイト制作の仕事が確実に軌道に乗り始め、多忙を極めていた時期に電話が鳴った。
「制作費を出来るだけ安くで、お願いできますか?」
「株式会社PowerMovies」のWeb制作の依頼は、中小企業から大企業までと顧客のほとんどが、企業単位のいわゆる大口依頼だった。
それが個人のショップからの依頼だったので、少し戸惑った記憶がある。
小山が直接に担当するような客でもないし、本来であれば使えない部下を寄越していたであろう。
しかし、その時の小山は、大企業に言われるが儘に仕事をこなしているだけの自分自身に、歯がゆさと不甲斐無さを感じていた。
「売上げが上がらないよ?」「新しくサイトリニューアルしてくれないかな?」
何故、俺が頭を下げているのだろう?
相手が例え客だとしても、俺は常にアドバイスしてあげる立場ではなかったのか。
そんなストレスが溜まりつつあった時の、その依頼だった。
個人の顧客は、小山が考案したデザインを重視してくれる傾向がある。
ある種、ストレス発散のつもりで、電話依頼主のショップに赴いた。
世田谷区三軒茶屋にある、フラワーショップ。
店内には色鮮やかな花々が飾られているが、デザインセンスが良いせいか派手ではなく、むしろ落ち着くような印象を与えている。
癒されるような香りと共に。
後で知った事だが、この香りの正体は「様々な花の香りが入り混じっている事」と「店長と友紀の優しい香水」だったようだ。
依頼主のフラワー・ショップの店長は40代の女性で、赤いポインセチアの花を手入れしながら喋り続けた。
「寒い冬のお花の扱いは大変なのよぉ。」と、冗談交じりで語りかけられたのを思い出す。
三軒茶屋駅から徒歩5〜6分程度。
ショップ名は「フェアリー・オブ・フォレスト」。
人通りが多く立地条件も最高で、サイトで宣伝する必要など無いほどに繁盛していたようだ。
店長とまるで母と娘のように仲良く話していたのが、アルバイトをしていた友紀だった。
友紀が「お店のサイトを試しに作ってみてはどう?」と提案したらしい。
新しい物好きな店長が、すぐにその話に乗ったという訳だ。
デザインは清楚な白色が好きな友紀と、薔薇が好きな店長のために、白地の背景に紅いルージュで殴り書きしたような文字で、ショップ名を書きこむ。
さりげなく小山が好きな「黒色」を背景に絡ませながら。
後は店長と友紀の紹介文、オススメの花、ネットでの販売方法など。
サイト作りの行程がこんなに楽しかったのは、後にも先にも無いであろう。
花を売るという仕事は、基本的には他人を幸せにしてあげたいと願う人がやるものではないだろうか。
根っから明るく優しく純粋な人。
親子のように笑顔で語り合う店長と友紀の姿を見ていると、素直にそう思える。
客に接する態度も優しい言葉も、穏やかで何処か癒されるのだ。
まさしく「森の中の妖精」というショップ名が、ピッタリではないか。
初対面で好印象を持たれる事の少ない小山に対してさえも、屈託ないその笑顔と冗談が止まらなかったくらいだ。
俺には到底できない仕事だな。
他人を蹴落とし罵り馬鹿にして生きてきた、そんな人間にとってはあまりにも新鮮な経験だった。
それはいつしか、仕事から楽しみへと変わっていった。
週に2〜3日くらいだったか、仕事帰りにショップに寄り、サイトで公開するための写真や紹介文についてアドバイスをする。
人との触れ合い、それは企業相手では出来なかった事。
それを肌で感じさせてもらえたように思う。
生まれて初めの感覚のような気さえするが、これが人の「ぬくもり」というやつだろうか。
友紀は「冬の花はクリスマス・ローズが一番好きなんです」と言った。
飾らない女性、素直で正直で、喋るたびに最後は照れたような笑顔を見せる。
すぐにジョークが言い合えるようになった女性など、記憶にない。
付き合いはじめたのは、1月が終わる頃だったろうか?
お互いが大切な存在だと想い始めた頃、白い「クリスマス・ローズ」を彼女に贈った。
友紀は「うちのお店でちゃんと買ってきた?」と言って笑った後、泣きじゃくった。
小山は、その時に自分までが泣きそうになったという話を、今でも友紀には内緒にしている。
二人だけの時間、今この瞬間。
静けさの中の二人だけの空間、俺達の大切な場所。
ソファから友紀の後姿を眺める。
美しい緑の黒髪と、白い肌。
遠い新宿の夜景と白い「クリスマス・ローズ」が、彼女をより愛しく感じさせる。
あれから2年が経つ。
これから何年一緒でいられるのだろう。
今日は12月24日、クリスマス・イヴ。
友紀をこのマンションに連れてくるのは、イヴだと決めていた。
明日のデートで、結婚を申し込む。
「クリスマス」にプロポーズ。
おそらく友紀は笑うだろうな、涙ぐみながら。
いや、泣きじゃくりながら…かな。
あの「クリスマス・ローズ」を贈った日のように。