第三話
第一章−その夜−
第三部 杉内孝太(21)
夜は好きだ。
特に品川と新宿西口の夜が好きだ。
「アコースティックギター」と俺の「声」そして「詩」が魂となり、人通りの多いこの新宿西口の、道行く人々の心にまで響く「歌」になる。
あのクリスマス・イヴから約4年、杉内孝太は今もそう信じ続けている。
彼はこの寒い中、紺色のパーカーを着たまま2時間ほどアコギ1本で歌い続けていた。
黒のオーバーパンツは寒さを完全にシャットアウトしてくれるし、靴下は二枚重ね。
悲しい事に、紺のスニーカーの右踵部分から「隙間風」が入ってくるのだ。
手が痛いのか冷たいのか、もうすでに解らなくなってきた。
ぽっちゃりとしていて、まだあどけなさが残るユウはいつものように隣に座っている。
彼女は寒さに弱いらしく、ブラウンのマフラーにピンク色のダッフルジャケットでファーフードを目元まで被って震えている。
ピンクのリボンの付いた黒の長いブーツに、デニムパンツを履いている。
やはり手袋もピンクの大袈裟な色だ。
付き合ってまだ1ヶ月も経たないけど、先日のバレンタイン・デーにユウの為だけのラヴソングを歌ってあげた。
夜の街にはバラードが良く響く。
夜歩く人にもバラードが心に良く響く。
孝太が気持ち良く歌い上げていた、その時。
「コータ!コータ!ちょっとあれ何!?」
好奇心旺盛なユウが立ち上がり、ブーツのせいで不安定になりながら走るその先を見た。
京王線新宿駅西口の地下鉄に入る階段の右の方に、人だかりができている。
歌う事に夢中で気付かなかったのだろう、何か大きな騒ぎが起きているようだ。
「大丈夫ですかぁ!?」とか「救急車!!」とか、段々と声が大きくなってくる。
ユウがこっちを向いて叫んだ。
「コータ!誰か倒れてるよーっ!」
新宿西口は、東口に比べれば随分と治安がいい。
それでも、こんな騒ぎは何度かこの目で見たことがある。
「都会は危ないからね。」と、東京での殺人事件をワイドショーやニュースで見るたびに母親が心配してくれたのを思い出す。
だけど、俺には夢があるんだ。
ユウには悪いけど、他人の問題にさほど興味は無かった。
そんな事より、今は自分の曲を多くの人に聴いて貰える喜びの方が数倍上だ。
俺の音楽、それに込められたメッセージ。
地元でのクリスマス・イヴのストリート・ライヴ。
あの時のオーディエンスとの一体感は、こっちに来てからまだ経験していない。
「しょうがねえなぁ。気分転換にガンズで行くか。」
有名なミュージシャンになる「夢」を掴みたくてやってきた、東京という場所。
思った以上に冷たかったり、時には暖かかったりで、都会って解んないや。
敬愛するGunsN'Rosesの「Patience」のイントロを弾き始めようとした、その右手が瞬間止まる。
「ん?」
なんだ?
上を見上げた、そこには…。
騒ぎで救急車が来ているようで、ユウも野次馬達も気付いていないようだった。
あの時と同じじゃんか、だったら。
「夢の歌」
故郷を、そしてあのクリスマス・イヴを思い出す。
両親や祐介・可奈、そして東京のみんなが俺を応援してくれている。
「人生前向き」がモットーの、俺の身勝手な解釈か。
苦笑しつつ、あのイヴのあのライヴとあの高揚感を思い出しながら、杉内孝太は歌い始めた。
ありったけの想いを詰め込んで。
新宿の夜空に、俺の故郷の夜空に、そして世界中の夜空に響き渡るように。
きっといつか、「杉内孝太」という名前が、星のように輝く時が来るはずだから。