地獄の皇太子(2)
格が違うと、直感的に理解する。
圧倒的な巨躯を前にした操は、この怪物と戦ってはならないと知った。
これまでに殺したオス達は、なんと醜悪だった事だろう。大きく人とかけ離れ、だが正常の生物にもなりきれない、出来損ないの化け物。殺すのは酷く簡単な事だった。
今、目の前に降臨した獣の、なんと美しい事か。
棚引く銀毛を纏った、巨大な狼と言えば、きっと誰にも伝わるのだろうか。実際はそれに、いくらかの機械部品を組み合わせたかのような姿をしていた。
前足が、肩が、赤黒い金属塊に覆われて、全体のフォルムを鋭角的に整えている。背には、後ろ足には、翠玉の如く輝く飾り羽が備わる。
そして――嗚呼、そして、頭部。帝位を誇る冠とばかり、そこだけは黄金の毛並が、間にコランダム鉱石を縫い込み伸びていた。
爪、牙、何れも巨躯に見合って長大。四肢の筋肉は盛り上がり、鋼の如き強靭さを滲ませる。
「麒、麟……?」
紅花は、そこに聖獣の姿を見たのかも知れない。
王として立つからには、何らかの神聖さを帯びているに違いない。だから、有象無象の〝オス〟は彼に従った。
そう――従った。もはやこれは確信であった。
〝オス〟の群れは、この銀色の皇帝に導かれ、人の街へ侵攻したのだと。
「でかい犬、でしょ……でしょ、あはは……」
操は渇いた笑いを零す。
あまりにも巨大な恐怖に晒されると、何故だろうか、人は笑ってしまう。
――こんなものと、人は戦っていたのか。
滅びが必定だと、誰もが信じるのも無理は無い。この獣の前には、全て等しく倒れる他は無いのだ。
金冠の銀狼が、一歩、前足を踏み出した。
彼にとっては些細な動作――それも、卑小な人間からしてみれば、足元をぐらつかせるだけの衝撃となる。
「……ホンファ」
「なに? ……です、か?」
逃げられぬ事も、直ぐに分かった。
自分が10歩も走る距離さえ、銀狼がたった一度、後ろ足で地面を蹴れば追い抜いてしまう。
背を向けたならその背を、巨大な爪が貫き引き裂くだろう。
だから――操も紅花も、同時に立ち上がり、武器を構えた。
僅かにでも怯ませ、逃げるか――或いは、追い払うか。到底出来る筈も無い芸当だとして、出来ないと端から諦めて死ぬ程、聞き分け良く生まれついてはいない。
死の恐怖は、巨躯の恐怖をさえ凌駕する。
「ずっと言うの忘れてた気がするんだけどさ。これから宜しく」
「私、言った、です、最初。君、忘れていた、私に」
「だったっけ? ……あと、敬語を止めたら?」
「けいご?」
見下ろす視線――理知の光が宿っているかのように、涼やかで、人のそれにも似た眼球。
彼の目には、人間がどういう生き物で、どれ程の事が出来るか、見えているのかも知れない。
だが、だからと言って、退く術はもう無い。
此処は狼帝の処刑場。そして二人は罪人である。
「……やっべー、こえー……!」
先程と同じに二手に分かれ、操と紅花は、銀狼を挟むように走った。
巨体の前脚が振り落された。
動作を表すなら、猫がじゃれ付くような動きでしかないが――この猫は、通常の30倍も巨大なのだ。
石柱が振り回されるも同然である。
「ひ――わ、うっ!?」
そして、馬鹿げて俊敏。
操は全力で走り、真横に跳んだ。後ろ髪が風に煽られて持ちあがる――先程まで立っていた箇所のアスファルトは、轍に早変わりしていた。
避けねば死んでいた――寒気が背骨を突き抜けて、脚をバネの様に弾き、転がった体を立ち上がらせる。
銀狼は最初の標的に、操を選んだらしかった。
「そら、そのまま追ってきなさいよ!」
何故自分なのか、何故向こうでは無いのか。そんな悪態も吐きたかったろうが、操は兎角、動きを止めない。
15mの巨体には、45口径も石ころと同じだろう。頭蓋を目掛けて二発ばかり発砲しても、血の一滴も零れはしない。
それならそれで、別に良いとも思う。
痛みは薄くとも、顔に何かをぶつけられば、と鬱陶しくは思う筈だ。その苛立ちが、好機を生む。
バーストを切り、引き金一度に対し弾丸一発の、節約態勢に切り替える。
この巨躯に加えて、自分から接近してくる標的――眼球をピンポイントとはいかずとも、顔の何処かには弾丸が命中する。
可能な限り絶え間なく、操は撃った。
「……グゥ――ゥ、ルルルッ……!」
獣の声の感情は読めないが、腹は立てたか。
ざまあ見ろ、操は声に出さず言って、まだ銃撃を繰り返す。
苛立ちで銀狼の動きが雑になれば、回避も楽になるし、弱点を狙う機も増える筈だ。面の革が分厚いとしても、全身くまなく鋼造りであるかは、まだ確かめていない。
とは言え――
「く……っと、ふっ……!」
――速すぎる。一息ついて逃げようにも、息を吸うと、吐く前に次の攻撃が来る。
ひゅうひゅうと音を上げて振り回される前足は、意図せずとも紙一重でしか避けられない。
操は全力で跳ねまわっているというのに、銀狼はまるで平然と――獣の表情は分からずとも――余裕綽々に、前足で獲物を追い回す。
これは遊びなのだと、操は理解した。
巨躯の銀狼はまだ、〝小さなエサで遊んでいる〟。煩わしい蠅を潰そうという所にさえ至らないのだろう。
ならば、玩具と見くびったままで良い――
――死ね、死んでしまえ。
「――はっ!!」
人間の刃は、一振りではなかった。
持ち上げられた前足を潜って、紅花が化け物の懐に入る。
巨体の腕の内側は、テントなどより余程広い。容易く潜り込んだ紅花は、一声鋭く、巨躯の喉元を斬り上げた。
喉は全ての生物の弱点。取りはせずとも、深手は負わせたか――?
ぎぃ、ん。
「……はい?」
――そういう生温い願望が、固い金属音に打ち砕かれる。
甲殻も何も身に纏わない狼帝だが、まだ人間は、次代の王を見くびっていたのかも知れない。
斬撃を与えた紅花は、感情を沁み出させぬ顔のまま、腹の下に立ち位置をずらす。
二度、三度、中国刀が風を鳴らして、その度に巨躯からは金属音が返って――漸く操が理解する。
「っ、く……ホンファ、危な――っ!」
あの強度は、肉や骨が生むものでは無く――棚引く銀毛の一本一本、全てが金属で出来ている。
数百、数千と重なった鋼の体毛が、鋼鉄塊以上の防御を生んでいるのだ。
まずい――操は直感した。
この怪物は、撃たれる事も斬られる事も恐れていない。だから、人間達の様に、必死に逃げ回る必要が無い。
懐に入り込んで刀を振るう相手など、衣服にたかる小蠅のようなものだろう。
――自分なら、蠅をどうするか。
操が答えを出したのと、ごうと突風が顔を叩くのは同時。巨躯が前足を振るい、懐に潜り込んだ紅花を叩き潰そうとしたのだ。
15mの巨体では、軽くひっ叩くだけでも人を潰せるだろうに、更に凶暴な爪まで備えては――肌を掠める事さえ許されない。
紅花はすかさず怪物の懐から抜け出し、怪物を挟んで操の反対側に立つ。
意志疎通はからの連携は出来ない。
立ち位置は遠く、時間はあまりに短すぎる。
銀の巨躯が吠えるに合わせて、二人はそれぞれ、10m以上も後退した。
こちらの刃は通らず、向こうの攻撃に当たれば終わり。不公平な戦いで、操は、どうにもならないと自棄を起こしたくもなった。
然し、そんな事は知らぬとばかり、銀狼はアスファルトを踏みつける。
蜘蛛の巣状の罅が入り、幾つかの破片が出来た。それを銀狼は前足の甲に乗せ――
「……! まず、ぃい……!?」
悪寒が背を突き抜け、操は反射的に、足元に伏せた。
遥か後方――数十mも背後で、がしゃんとガラスが割れる音。
大方、何処かのビルなのだろうが――肝心なのは建物の種類では無い。
割ったのは間違いなく、今、この化け物が蹴り飛ばしたアスファルトの破片だ。破片とはいえ、それなりの重量が有る筈のアスファルトを、ああも無造作に数十mも蹴り飛ばす――直撃していたら、どうなったか。
貫通せずとも、内臓は潰されたかも知れない。顔が潰れていたかも、肋が微塵に砕けたかも――
――死ぬかも、知れない。死んでいたかも、知れなかった。
もう駄目だと、気付いた時には遅かった。
操は、己の体の芯が、急速に冷えていくのを感じとる。
奥歯が鳴り、止まらなくなる。寒気――いや、怖気が、骨に浸みこんで手足を凍らせる。
喉の奥から胸に掛けて、何かが重く食い込んだようだ。
避けられない不幸を待つ時の、あの感覚。
世界の全てがスローモーションになりながら、近づいてきているという実感の無い、ふわふわと浮かんだ心地。
あれだけ俊敏だった銀狼が、ゆったりと前脚を掲げた。爪が陽光を散らして、ひゅおうと笛の如き音を奏で――
斬り潰され、死ぬのを待つだけだった筈の操は、胸と腹に鈍痛を感じ、仰向けに倒れ、背を打った。
「がっ……!」
肺から空気が零れ出る。視線を下に落とせば、広がっているのは血の赤ではなく、黒髪と、そして返り血も薄れた布地の黒――
操の体に、銀狼の爪は届いていなかった。それよりも先に――紅花が操を突き飛ばし、覆い被さったままで地面に倒れ込んでいた。
「当心! ……気を付ける!」
「あ……う、うんっ!」
長々と倒れ込んでいる猶予は無い。上に乗った体重が、ひらりと身を翻したのに合わせ、操も立ち上がって距離を取る。
背を打ちつけた痛みも、胸への衝撃も、致命傷では無い。
少なくとも操は、まだ何も問題が無い。
だが――操を突き飛ばす為に、怪物に背を向けて奔ったが為か。紅花の左脹脛は、銀狼の爪に霞められ、血を流していた。
「……! 紅花、脚!」
「私、立てる。跳べる……です」
操は漸く〝目を覚ます〟。
夢に逃れながら死ぬ方が、きっと楽ではあるのだろう。だが、一度覚めてしまうと、体の痛みが、もう一度の眠りから意識を遠ざける。
獲物を逃がしたと、狼帝はますます猛る。恐怖を抑えて、操は奥歯をぎりと噛み締めた。
――あれは正真正銘の化け物だ。
恐らくは今、この街に於いて、あの怪物を仕留める手段など無い。
強がりを言う紅花も、先程までの動きが出来ないのは見えている。ここから先は、ますます防戦となるばかりだろう。
ならば、逃げよう。逃げる為の方法を、足りない頭で考えよう――
「そう。じゃあ、一度だけ跳んで」
――借りを作ったままで死ねるか!
銃をホルスターに納め、操が紅花の前に立つ。
人間の壁の一つや二つ、あの化け物が向かって来れば、引き裂かれるのは目に見えている。当然、銀狼にも理解出来ているだろう。
仮に――そう、仮に。獣の思考は読めないが、あれが怒り狂っているとしたら。
逃がした獲物を、今度こそは殺しに来る筈だ。最短距離を真っ直ぐに、巨体と速度を武器にして。
〝オス〟は人間を喰う。
あれも〝オス〟ならば、人を喰おうとするその瞬間、頭部は下げられる筈だ。
操は、背に手を回し、長大な武器を保持する為の、固定ベルトを解除した。
『大包丁』の鞘を左手に持ち、右手で『駆動部』の電源を入れる。ヴ、と小さな音と共に、断熱素材の鞘とグローブを超えて、熱が操の手の平に届く。
迫る怪物に背を向け、片膝を地面に着く。紅花はほんの僅か、動揺を目に浮かべたが、
「踏んで、跳んで」
「是、操」
意図を解しただろうその時には、既に紅花は地面を踏みきっていた。
負傷した左脚で、操の右膝――の上に置かれた、掌を。
裂かれた布地の間から、血が滲むのが見えた。痛みも有ろう――変わらぬ顔に、額に、脂汗が浮く。
重さを感じた瞬間に、操は右腕を振り上げながら立ち上がり――紅花は、操の左肩を踏んで、蹴った。
人間一人の高さと、立ち上がる加速を加えた跳躍。背に迫る気配は、操を噛み殺さんと頭を垂れる。
「ぃ――やっ!」
紅花は、その頭を超えて飛んだ。
紅花の跳躍力に、操という射出台を合わせれば、狼の牙を飛び越え、無防備に晒された延髄を狙うなど容易い。
舞い上がった紅花を追って、獣は反射的に顔を上げた。だが、遅い。
頭を踏みつけ、駆け出し――延髄、背骨。おおよそ生物であれば致命傷と成り得るだろう箇所を、紅花は無茶苦茶に斬り付けた。
刃が通らない事は分かっている。が――衝撃は体毛を貫通し、肉へ、骨へ伝わる筈だ。
銀狼とて、真っ当な生物というなら、正中線背面への衝撃を、受け続ける訳にはいかない。
「グゥオオオオオオオオォッ!!!」
身震いし、頭を下げ、首の裏を前足で幾度も叩く銀狼。その時には既に、紅花は地上に離脱し――脚の痛みに表情を歪めながらも、暴風圏から離れた。
人間一人の重量なんて、あの巨体からすれば虫のようなものであろう。本当に振り払えたかも確信できず、幾度も幾度も、銀狼は前足で首の後ろを払い――
「――加熱、完了」
操は、静かに告げた。
赤熱する『大包丁』――否、『S-103携行型』。
緋扇操の個人兵装として与えられたこの装備は、真価を振るう機会が極めて少ない。
燃費か? 違う。動作不良? 有り得ぬ。
それは単に、威力が高すぎるからだ。
超高温で、瞬間的に対象を融解、蒸発させるこの兵器は、個人が用いる武器としては、過剰な殺傷力を備えている
切っ先が掠めただけでも、人間の骨程度ならば切断する――だから、集団の中では扱えない。
機動にも時間が掛かり、いざ機動してしまえば、自分も刃に触れる事は出来ないから、複雑な剣撃は放てない。
柄を掴む手に全てを賭け、ただ、横か縦に一閃のみ。
旧時代の、例えば人間が人間とだけ殺し合っていた世界ならば、全く無用の長物である。
――けれど、それだけで良い。触れるだけで良い。
駆動部から熱が伝わり、赤を通り越して眩い程に輝く刀身は、間近に立つと眼球の水分を奪われる程で――
低く下がった頭に、駆け寄る。
眼球でも鼻でも口内でも無い。柔らかい部位を狙う必要は無い。
ただ――ただ、狙いやすい部位を。
巨大な頭を両断せんと、刃が真一文字に振り抜かれ――!
「しぃ――ぃねぇえええええっ!!」
大気中の僅かな水分が、急激に膨張しての小さな破裂音。
触れるもの全てを焼くさせる刀身――振り抜いた操の手には、ほんの僅かな手応えさえ残らない。
だから、形として残る物――屍だけが、成果を記す全てであり、
「はっ、はぁ……、そん、な……」
地面に転がったのは、獣の体毛の、分厚い束。
銀狼は切り裂かれる寸前、身を翻して後方に跳躍し――操が切り落としたのは、その尻尾だけだった。
巨体が宙に舞い、数十mも後方、地響きと共に着地する。
血は――零れていない。尾には血管が通っていないのかも知れない。
ならばもう一度、と――それが出来れば、どんなにか良かっただろう。
「……ゥルルルルル……!」
銀狼はもう、操の武器を〝知った〟のだ。
恐らくは二度と、今回のような隙を見せはしない。
人間を、無害な蚊ではなく、鬱陶しい蜂だと認識して――適確に、潰しに掛かるだろう。
やけに理知的な目を見ていると、操にはそんな事が、当然のように分かってしまった。
力が抜けていく――『大包丁』の電源を切り、刃の冷却を始める。
どうせ、次はもう当たらない。なら、自分でも触れられない刃など不要で、邪魔にしかならない。
まだ生きるつもりはあった。
だが、気力が萎えている
気付くと、紅花が操を見ていた。きっと同じ事を考えているだろうと、脚が無傷の操から近づいた。
「あー……What, you, think……考えます?」
「……そうね……これだと」
駄目かも、と。操は、確かに声に出して呟いた。
それを、馬鹿げて喧しいエンジン音と、クラクションが掻き消した。
クラクションは一度では無く、二度、三度と繰り返されて――エンジン音と共に近づいて来る。
まさかと、耳を疑った次の瞬間に、
ぎゃぎっ、という、衝突と摩擦が生む異音が鳴り響く。
カムイ支部長が個人的に所有する、対オス用の装甲車が、がれきをジャンプ台に、銀狼の側頭部に体当たりを敢行していた。
数トンの鉄塊が、時速100km超えの速度で激突する衝撃。さしもの巨躯の銀狼も、脳髄を激しく揺さぶられたものか、脚をもつれさせて転倒し――装甲車は二人の方へ向かって来た。
路上にタイヤ痕を残す程の急ブレーキ、後部座席が開かれる。
「クソ餓鬼ども、乗れっ!」
運転席の窓から、楊菊蘭が叫んだ。
何が起こったのか――理解するのに、そう時間は掛からない。
まず、操が飛び乗って、車内から外へ手を伸ばす。紅花がそれを掴んで、怪我の無い右足で跳ね、後ろ手に扉を閉めた。
扉が閉まる音を確認した楊教官は、アクセルを全力で踏み込み――後方では、銀狼が恨めし気に吠えていた。
立ち上がるより先に、不格好な装甲車は、がたがたと揺れながら突っ走る。ビル群の中に紛れ込み、街の外へと向かって――
「……カムイ、〝あれ〟はどう動いてる?」
「出没地点より、地中へ戻りました。センサーを見る限りでは、街の外へ移動しているように見えます」
「分かった……てめぇら、降りろ」
――その途上、少し幅の狭い通りに入って、車を止める。
楊菊蘭はそう言って、二人の答えを待たず車外に出て――操と紅花も、直ぐにその後を追った。
何かを聞いたり、反論したりできる雰囲気ではなかった。。
楊菊蘭は、車に寄り掛かって立つ。その前に二人は、自然と直立していた。
「……てめぇら、歯ぁ喰いしばれぇっ!」
ひゅう、と振り上げられた拳。
人を殴るのは得意でない、思ったよりも小さな拳
操には、それが怖くてならなかった――あの狼の牙と同様に。
目を瞑り、素直に歯を食いしばって対衝撃の構えを取り――がつん、と痛みが走ったのは頭頂部。
思わず膝が崩れ、尻餅をついて頭を抱える。見れば楊菊蘭は、銃のグリップで二人の頭を殴りつけていた――歯を食いしばった意味は、殆ど無かった。
「民間人、死傷者ゼロ! 家屋の被害は複数だが、殆どは廃ビル群のもの、早期復旧の必要性無し!
銃器損失皆無、弾薬消費軽微! また、支部施設の損壊無し――被害、微少!」
地面に座り込んだ二人を見下ろして、楊は声を張り上げ、
「ただし!」
二人の胸倉を掴み、顔を引き寄せた。
「1号支部3班、死者1名、治療棟送り3名! 馬鹿が先走ってソードオフをぶっ放して、別な馬鹿が射線に飛び込んだ! 同期の頭がぐしゃぐしゃに破裂したのを見て、1人は抜け殻、2人が……っ!」
耳が、鼓膜が痛い程の怒声。それでも、何を言っているのかは全て聞き取れた。
戦場で、同期の1人が死んだ。オスに殺されたのではなく、味方に後ろから、頭を撃たれて。
操は、最悪の死に方だと思った――同時に、誰が死んだのか、知りたくないと思った。
知った顔が破片に成り下がったなど、想像したくも無かったのだ。
「良いか馬鹿共、良ーく聞け! あんだけの雑魚を相手にしても、事故で簡単に人間は死ぬ! だから訓練なんてもんが有るんだ!
正しく武器を扱い、隊列を整え、号令に合わせ引き金を引く! てめぇらの様に先走る様な奴らは、本当なら真っ先に――」
頭を前後左右に揺すぶられ、視界が乱れる。だから彼女の表情は、二人にははっきりとは見えなかった。
喉が潰れるのではと思う程、怒り、怒鳴る楊の、印象より小さな腕が、二人の頭を抱き寄せる。
戦士らしからぬ薄い体に、痛い程、顔を押し付けられて――初めて操は、彼女の震えに気付いた。
「――本当に……、本当に死んじまったら、どうすんだよ……っ!」
オスも、人も、何もいない。たった3人、死んだ街に取り残されて――聞こえた嗚咽はきっと、彼女のものだけではなかった。
「帰るぞ、事後処理が山程残ってやがるし……カムイのヤローを問い詰めなきゃならねぇ。ほら、とっとと後ろに乗れ、ノロマ2人」
「あー、楊教官……私、有る、怪我が。だから走る、ない、です」
「んじゃあ、緋扇、担いでやれ!」
「えっ……何で私が。あの、疲れてるんで」
「はぁ?」
結局、荷物の様に後部座席に押し込まれ、サスペンションのあまり良くない装甲車の振動を、背にたんと受けながら、二人は支部まで運ばれた。
「……あ、言い忘れた。てめぇら2人、今日明日は懲罰房な」
不平を言う気力も無く、はいと答えながら、座席に横たわる。
二人は、疲れ切っていた。
上を見ても、車の天井しか見えない。だから、窓の外を見る。
こんな日でも夕日は鮮やかに、廃ビル群の影を伸ばして――人の住む家を覆い尽くす。
長い一日だった。
――今夜は、嫌な夢を見るかも知れない。
相部屋――懲罰房まで同じだと、嫌だな。操はそんな事を思いながらも、瞼をもう、持ち上げてはいられなかった。