地獄の皇太子(1)
操の眼前に並ぶオスの群は、新たな敵を見つけ、明らかな警戒の姿勢を見せた。
乱戦では数える事も出来なかったが、一心地付ければ分かる。
何匹かを切り殺して、視界に収まる残数は15。
さして大きくは無い個体ばかりで、一対一なら苦戦もいないのだろうが、囲まれたなら――
「……ふ、はぁ……あー、くそっ」
銃に弾倉を叩き込みながら、操は呼吸を整えた。
隙を突かれる恐れは感じていない。横にもう一人が、武器を構えて立っていたからだ。
「腹が立つわ……」
「何故? 君、分からない、私に、です」
分からないだろう。操自身が、そう思った。
誰が悪いというなら、操なのだ。自分が殺されかけた事も、新入りに命を掬われた事も、助けられた自分が安堵している事も、全ては自分の咎だ。
単独で勝ち得るという判断ミス――そのつけを肩代わりされた苦々しさを、操は毒づいて紛らわし、
「あなた、得意な武器は?」
思考を切り替える。
眼前の敵は15、こちらは2。
勝てるか?
数字だけを見ていれば、ノーと言うしかないが――ともあれ操は、味方の戦力を知ろうとした。
「武器、です? 得意……あー、柳葉刀」
「だけ? ……オンリー?」
「Not only sword, but handgun to……little,little.」
「……オーケイ、ちょっとは出来ると」
状況が限定されれば、意思の疎通は少し簡単になった。
紅花は訓練の時と同じように、高く中国刀を掲げて立っている。
人間ならばいざ知らず、本能に任せて生きる獣なら――最初に死ぬのはごめんだと、皆が考えたものだろう。
「ナイフ、予備は無い?」
「あー……私、持たない、です、残念」
「まことに残念」
否、十分である。
斬撃と、銃撃と、分担すれば事足りる。
唸り声を上げるオスの群れとて、頭が冷えれば烏合の衆。
操は既に、勝つつもりで居た。
「それじゃあ――」
ならば後は、競うばかり。
殺し尽くす。
横に立つ相手より、一匹でも多く。
自分が上だと――力が有ると、証明する為に。
「後ろは任せた」
「お断りします、です」
――こんな時ばっかり、達者な日本語を使いやがって。
心中で軽めに罵りながら、戦場の狂気に呑まれたような、螺子の足りない笑みになる。
操と紅花はほぼ同時に、群を挟むように駆け出した。
――〝オス〟に、定まった生態は無い。
体躯の大小、甲殻の有無。足の数も眼球の数も、そもそも動物に近いか植物に近いかさえ、一つと定まった形状は無い。
然し、この日の襲撃に限っては、一つだけ、共通点が有った。
地下に坑道を掘り進んで侵入した為に、体が然程大きくは無い。分厚い皮膚を持つ者は居たが、それも適切な得物を用いれば、一息に両断出来る程度のものだ。
ならば――緋扇 操の銃弾が、貫けぬ理由は無い。
ならば――李 紅花の鋭刀が、分たぬ道理は無い。
ひょう、ひょうと風が鳴る。空気が斬られて悲鳴を上げていた。
始めの一音は小さい。紅花がオスの腕を潜り抜け、背後に回った音だった。
次の一音は甲高く大きい――紅花の刃がオスの首を、血の噴水と共に斬り上げた音だった。
一体を殺して、然し乱戦。別な一体が既に背後に陣取り、紅花の脊髄に噛み付かんとする。
その開けた口に、舌に、喉に、45口径の銃弾が滑り込み、頭蓋を砕いて逆から飛び出した。
操の射撃術は、飽く迄も格闘戦に組み込む為のもの。遠距離の狙撃は得手としないが――近距離ならば、動く的も十分に狙える。
一発ならば耐えたやも知れないが、同時に6発。左右それぞれの3点バーストは、呼吸一つの間に、オスに致命傷を与えていた。
眼前の二匹は、己の敵で、餌であると。13匹に減ったオス達は、改めて認識する。
そうなれば、獣を模した彼等の事。順列に従い、弱卒から二人に襲いかかる。
だが――それでは、人を狩るなど、不可能だった。
牙が、爪が届く前に、銃弾の洗礼を浴びる一頭。虫に近い構造だったのか、多少の破損では動きを鈍らせただけだが――反応を遅らせたその個体は、己の死に気付かぬまま、頭を縦に割られていた。
小さく鋭い、縦の斬撃。非力を重力で補う一閃を、引き戻しながら紅花は馳せる。駆け込んだのは、二匹のオスの、丁度真ん中。
左右のオスが同時に、紅花を叩き潰さんと腕を振るう。剛腕は何れも空を切り、群の同胞の顔面をへこませ――窪んだ頭骨を、操が過たず撃ち抜いた。
言語によるコミュニケーションは、一つとして行われない。
かろうじて有るとすれば――オスを挟んで向かい合う瞬間、僅かに重なる視線だけだろうか。
アイコンタクトによる連携など、長期に渡る訓練を積まねば実現は出来ないが、彼女達が行っていたのは、そんな高度な戦術では断じてなかった。
即ち、獣が本来持ち合せる、狩りの技。殺傷という結果を求めた獣二頭が、目的の為に手を結んだと――それだけの事、なのだろう。
だが、それが楽しいと――緋扇 操は感じていた。
それが、やりやすいと――李 紅花は感じていた。
関節を撃ち抜き、動きが鈍った所を斬り殺す。
足を斬り落とし、地に伏した頭蓋を撃ち抜く。
一人で赴くならば、決して叶わぬ程の楽な戦い――もはや蹂躙が、展開されていた。
戦いに於いて、昂揚の否定はできまい。ましてやこれは、捕食される側の存在が、捕食者へ与える蹂躙なのだ。
一頭、また一頭、効率良く殺されていく。跳ね上がる血の飛沫は、何れも人間のものではない。
「伏せて――Sit down!」
「Lie down?」
最後に一頭残されたは、大木の如き尾を持つ一頭。牛馬も殺さんばかりの薙ぎ払いを、紅花は余裕を持って伏せ、回避する。
晒された後頭部に、操のナイフが飛んだ。刺さらない――強度は有ると、見て取れた次の瞬間に、
「Lie down、伏せる。Sit down、座る。違う、です」
「……あんたは英語の先生か」
す、と進み出て、口から喉へ。紅花の中国刀は、面白いようにオスの頭を裂いた。
合流までに8体、合流してから16体。合わせて24の死体が散らばる戦場で、血を踏み、跳ねさせ、服を汚し。
「終わった、です、ね」
「……すっごく疲れたけどね」
ほぼ同時に、2人はその場に座り込んだ。
一時と止まらず動き続け、大型動物の命を奪う――消耗は激しい。
だが、勝利を確信し、掴み取った感慨は、決して浅いものでは無い筈だ。
何よりも――誰を失う事も無かったのだから。
「全兵員に連絡します。市街地より〝オス〟の反応消失。撤退を開始してください。
繰り返します。市街地より〝オス〟の生体反応が消失、ただちに全班員は撤退を……――」
カムイ支部長の声が、各所のスピーカーから聞こえた。
操と紅花は顔を見合わせ、何れからともなく、小さく頷き――まだ、立ち上がらない。
いっそこうなったら、味方が回収に来るまで座っていよう。会話などせずとも、その意思だけは通じていた。
勝利を掴んだ心地良い疲労は、
「――命令を撤回! 全班員、全市民は、直ちに最寄のシェルターへ撤退! 〝特定警戒種〟、出ます!」
支部長の、悲鳴にも似た命令と――コンクリートの破片を跳ね上げる、地震の如き振動で掻き消された。
「……!? 〝特定警戒種〟……っ!」
「え……私、知らない。操、それは……?」
近づいてはならない、生き物がいる。
子連れの熊よりも凶暴で、像の群れより勇猛で、どんな犬よりもしつこく獲物を追う。
例えるなら、それは――災厄が形を成した一個の生物。
咆哮が、ビルのガラスを軋ませた。
道路のコンクリートを突き破り、隊長15mを超える巨体が、日の下に姿を現した。
「どうなってんだ、カムイ!?」
「想定外の事態です……ご協力に感謝しますよ、先輩」
「当たり前だ、こんな状況じゃあな!」
新兵達が、市民の撤退を援護している光景を横目に、楊菊蘭はカムイに向かって叫んでいた。
叫ばねば、声が通らない――皆が皆、恐慌状態に陥っているのだから。
菊蘭は、脚が思うように動かないカムイの分まで、左右に走り回って指令を飛ばしていた。
話が違う――菊蘭の怒りを一言で纏めれば、これに尽きるだろう。
要請されたのは、新兵を育成する為の後方都市で、戦えない連中を、最低限動けるようにする事。
ところが、送られてきてみれば――どうにも、事情が違うのではないかと感づいた。
まず、兵士達だ。
成程、僅かに例外は有る。だが、この街の新兵達は既に、〝集団ならば〟十分に、前線に送るだけの性能を備えていた。
武器の手入れなど、兵士としての技能に疑問は残る。だが、特定の戦術を以て、敵対する存在を葬る為の――所謂、殺傷機械としての運用ならば可能。
それが、菊蘭には気に入らなかった。彼女達は、確かに集団として戦うだけの力は有るが――集団から切り離されて、一個の戦士として生き抜くようには、育てられていなかったのだ。
加えて、都市の防備。大量の〝オス〟に晒される前線都市でさえ、これ程の設備は有るまいと言える、異常な程に高性能のセンサー群。
――が、何故か今日に限って、互いにカバーし合う2基の不調で、オスの接近を検知出来なかった事。
最後に、最も大きな一点が――〝特定警戒種〟の出没であった。
〝特定警戒種〟――読んで字の如く、雑多な〝オス〟達の中で、特に警戒せねばならないと認定された個体である。
十分な訓練を経た兵士ならば、通常種と一対一で戦闘を行えば、勝利を収める可能性は十分に高い。
だが――〝特定警戒種〟は、最低でも10人以上の人員がいなければ、交戦許可さえ降りない。
単純に、危険が過ぎるのだ。
或る個体は力、或る個体は巨躯、或る個体は知恵、或る個体は体表の強度。何れもが規格外で、単一個人が携行し得る武装では太刀打ちが難しいか、または不可能。
然し、それだけの個体が出没する地域は、主に最前線に限られる――と言うより、それらの個体が人間の防衛線を、自分の縄張りの外まで押し出しているのが常だ。
だから、この街の様に――大都市二つの間に置かれた中継の拠点に、そんな怪物が出現するなどとは、経験則からも理屈からも、誰も予想しえなかった事なのだ。
「ちぃ……どーすんだ、ここにゃ武装も兵士も足りねえぞ……」
「いざとなれば、支部を放棄します。書類などは全て破棄して――」
「人間を忘れんな! この街に住んでる人間を、連れ回して何処まで行く気だ!」
カムイは、酷く冷静であった。その事も、菊蘭の怒りに油を注ぐ。
菊蘭とて、我を忘れる程に幼くは無い。寧ろ現状への理解は、きっとこの場の誰よりも適切だろう。
〝特定警戒種〟の気が変わるか、或いは撃退をしない限り、この街にもう人間は住めない。
後で回収班を派遣し、物資の回収だけを行って――整備された都市は、破棄されるしかないのだ。
ただの軍人ならば、それを良しとしただろう。だが、人が生きるとはどういう事かを知っている教育者として、楊菊蘭は、それが許せなかった。
「先輩、楊先輩。貴女がそういう考え方だとは、分かっています。ですが今、この支部に、あれと戦える人材は――」
「居ない、ってのは分かってんだ!」
カムイは静かに、首を左右に振った。
その時の表情は――窮地に追いやられた街の、指揮官の顔とは思えない程に穏やかだった。
「――3人しか、いません。だから、助けてください」
「……てめぇ、何を企んでやがる」
詰め寄ろうとした菊蘭の顔目掛け、何かが飛んだ。
何かの形状を、狙撃手の目は適格に捕え――弾くのではなく、掴み取る。
「使ってください、先輩。他の誰でも無く、あの子達2人と――そして、私の為に。
それから、操には伝言をお願いできませんか? きっとあの子、こうでも言わないと反省しないでしょうから……」
「……反省するのはてめぇだ。後で説教くれてやる」
何かの鍵だった。
楊菊蘭は――最強部隊の戦闘訓練教官は、握った拳を解く。
目の前の顔を殴りつけて、指を痛めてはいけないと、冷静に考えたのだ。