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BATTLER

 この世界の避難警報は、災害の〝あれ〟とは訳が違う。

 台風、洪水、地震、火災……。成程それらの発生は、人の命を奪い得る大事である。

 だが、それらは自らの脚で歩き、人間の命を奪おうとはしない。

 『退避命令』

 本来守られる筈の一般市民に対し、守る側から命令が下される――これを異常と思わないのが、この街で、この世界であった。


「市街地ブロック4に〝オス〟の群れが出現、近隣2ブロックまでの市民は直ちに、8ブロックの非難壕へ――」


 街のスピーカー全てから、カムイ・紅雪が市民に〝命令〟している。

 従って人の波が生まれているが、逃げる側も、もう手馴れたものだ。隊列を崩さず足を止めず、定められたルートをひた走る。


 ――とても、良い。好都合だ。

 

 零れる笑みを自覚しながら、緋扇操は波に逆らって走っていた。

 ブロック4は、いうなればメインストリート。在りし日の栄華を窺える、片側四車線の道路が続く。

 見晴らしは良く、足場は固く平ら。これ以上無いバトルステージで――


 ぎいぃ、ぎい。

 ぢい、ぢい、ぢぎい、ぎい。


 唸り、軋む、異形の群れが有った。

 四腕にて歩く人面の大蛭。破れた羽根を震わせる牛――の、腹には鍵爪付きの大蛇の尾。人の身に纏わり付いた無数の眼球。けたたましく叫ぶ巨大な鳥の口。

 さても滑稽な造形のオンパレード、生きているとも信じがたいおぞましさの集まり――これが〝オス〟。

 人間の敵。

 天敵。

 そして、殺すべきもの。


 ――私が、殺すべきモノ。


「すうぅ……――はああぁぁ……」


 走りながらの深呼吸。体温も脈拍も上昇していく筈なのだが、操の心は冷えて、冷えて澄み渡っている。

 嗚呼、良い気分だ、と。

 操は言葉にせぬまま、そう呟いていた。

 これから私は、あいつらを殺すのだと。


「……――ぁああああああああぁっ!!」


 移動しながらの射撃の、精度など押して知るべしだろう。

 だからこそ戦場では、数をばら撒く必要がある。

 『Blandly A15』の装弾数は12+1、自動拳銃の中では、大量に装填できる部類ではないが――肝心なのは貫通力と、短時間にどれだけをばら撒けるか、だ。

 操は、武器の扱いに自信を持っていた。だから、少々危険な事も平気で行う。

 例えば自動拳銃の安全装置だが、制式装備として与えられた一丁には、平時のロックが義務付けられている。

 然し私有の三丁――ちょっとしたツテから得た――は、常にロックを半分解除しているのだ。

 つまり、キーロックを僅かに捻れば、直ぐにでも弾丸が射出可能となる。

 平時ならば、危険の概念を油壺に入れて運ぶような真似も――戦場ならば、用心の美徳と称えられる。

 二つの銃口が、鉛弾と炎を吐き出す。

 〝感染〟以前はカタログスペックばかりと嘲笑われた45口径鉄甲弾丸は、大口の鳥の化け物の、嘴を叩き割って破片を散らす。

 脳髄か、心臓か、はたまた名も無き重要器官か。何処かを打ち抜いたものだろう、まずは一体、殺した。

 さあ、群の規模は今から数えよう。5、6、7、まだまだ居そうだ、呆れた数だ。

 叫びと銃声で、こちらをターゲットに絞った〝オス〟の群れ――視界に納めれば、自然と操の唇が動く。


「……――て、やる」


 右手、10発。

 左手、8発。

 左右のホルスターには12発の装填で2丁。

 弾倉は戦闘服の中に5個×12発。

 即ち総残弾数、102発。

 バトルナイフ3本、サバイバルナイフ1本、マチェット一振り。

 鉄靴一組、ベルトの裏にチェーンが1.2m、メリケングローブ左右一揃い――そして、背中には『大包丁』。


「殺してやる……!」


 きっと、餓えていたのだ。

 血にも死にも戦闘にも、

 敵にも、苦境にも、

 〝場〟にも。

 憎悪と歓喜が混ざり合って、毛穴から汗となって噴き出す。縛られたような快楽が、昂る体の芯を刺した。






「……んだこりゃ、随分変わるな」


 楊 菊蘭は、伝令室へ移動したカムイの代わりに、戦闘部隊の編制を監視していた。

 武器の手入れもままならず、徒手格闘も落第点の新兵達――こんな連中を戦場に出して良いものかと、腹に濁って残るものが有ったのだ。

 だが――その懸念は、少なくとも半ばまでは掻き消された。


「1号支部1班、班員6名、出撃用意完了しました!」


「2班6名、以下同じ!」


「3班7名、同じ!」


 報告を無暗に長くせぬように、端的に事項を纏め、整列する新兵。

 武装は統一され、ナイフに拳銃といった訓練時の装備に加え、銃身を切り詰めた散弾銃を備えている。

 皆、戦闘の恐怖に怯え、涙を流す者さえいるが――隊列に、僅かの乱れも無い。

 楊は、街の地図を広げた。

 オスの群れが現れたという第4ブロックは、果たしてどれだけの建築物に囲まれ、どれだけの広さが有るのか。

 遮蔽物の数を知らずして戦場に赴くのは、身体能力に優れない自分には自殺行為にも等しいのだと、重々に理解していた。


「先駆けしたのは、あの馬鹿だけか!?」


 新兵達は、全部で6の班に分かれている。その内の一つ。第4班から、人数が足りないという報告は、既に受けている。

 言われるまでも無く、楊は自分の目で見ていた――視界の端で捉えていた。

 いやに噛みつく犬のような新兵が、一人で駆けだして行った姿――まるで無謀で愚かな事だと、苦々しく思う。

 無残な死に様を遂げた兵士は、他の兵士の戦闘意欲を削ぐ。偶発的な事故から集団が瓦解する、そんな事例は幾らでも見てきたが――


「……馬鹿が、手間掛けやがって」


 ――死なせたくない、楊が思うのは、ただそれだけだった。

 例え、縁もゆかりも無い相手だろうと、愚か者だろうと。未熟な兵を戦地に送り出し、死なせる環境が有ってはならない。

 生きて帰る為に、理不尽に生を奪われぬ為に、強くしてやらねばならない――一人でも、多く。


 そうして、気付いた。

 報告では確かに、全ての班員の内、ここに居ないのはただ一人。

 だが――自分が此処へ訪れたその日より、1号支部は班の再編成を行っていない。

 つまりは、それまで〝班に所属していない〟者を、この新兵達がカウントする余裕が有ったか――?


「全体、良く聞け! これより市街地掃討作戦を開始する!」


 意識に突き刺さる針を、今だけは刺さったままに留め置いた。

 抜け出した〝2人〟よりも、この場の30人を欠けさせぬ為に、楊菊蘭は激を飛ばした。

 そして、その兵士の群の中に、鈴木りんと町子榊もまた居たのだ。

 彼女達は、三班の七名に含まれていた。


「……いっ、いよいよ、本番っ……!」


「り、りんちゃ、どうしよう……?」


 二人とも――支部の新兵の大半はそうだが――これが初陣である。膝を震わせながら、それでも歩いているのは、訓練の成果と、身に付けた武装への信頼感からであろう。

 関東第三区画一号支部の制式装備は、バトルナイフに鉄靴、自動拳銃とソードオフのショットガンである。これに加えて各人が、扱いやすい武器を、個人兵装として携行する。

 例えば、りんは強度重視の剣を一本、鞘に納めて持っている。片手で扱える程度には短いが、〝オス〟の肉を裂くには十分な切れ味だ。

 町子が個人兵装として選んでいるのは、小口径の自動拳銃である。

 小口径とは言うが、対人兵装としては十分すぎる9mm弾。然し〝オス〟に対しては、少々火力不足の感が有る。これを町子が所有するのは、非力である為、あまり大口径では銃の反動を抑えきれぬからである。

 そして二人の手は、それぞれが、その個人兵装に伸びていた。

 一番手に馴染む武器を、無意識に触れてしまうのは、やはり緊張の為であるだろうか。隊列を崩さずに歩いていても、戦地へ向かう実感は薄い。

 だのに、緊張だけは、恐ろしく腹の中に座り込んでいるのだ。

 理性より感情が、本能が、これから自分は恐ろしい所へ行くのだと伝えていた。


「どうしようもなにも……とっ、とにかくっ!」


 りんの声は、後半は殆ど裏返っていた。


「訓練の通りに動こう、町子ちゃん……そうすれば大丈夫、大丈夫っ」


 無論、りんの言葉は、空元気からである。

 だがその声を、別な声が支えた。


「そうだてめぇら、訓練通りに動けば問題はねぇ! こっちは三十人、つまり三十の拳銃と三十のショットガンが、銃口を並べられるようになってんだ!」


 楊が、新兵達の先頭に立ち、首を背後に向けて、そう鼓舞していた。

 戦地を知らぬ新兵にとって、百戦錬磨の指揮官が居るのは、それだけでも心強い事である。


「良いか、馬鹿が先走ったが、それで〝オス〟共の幾つかは足止めを喰らう! 残りは――此処の地形、設置されたバリケードを考えれば、第三ブロック方面へ流れて来る! つまり、此処だ!」


 楊が新兵を連れてきたのは、第四ブロックと第三ブロックの境目に当たるゲート付近である。

 此処は道幅が狭く、直線的には遮蔽物も少なく、迎撃には適した地形となっている。


「私は、てめぇらを勝たせる! 私の命令に理由を聞くな、命令を疑うな。進めと言ったら進め、逃げろと言ったら必ず逃げろ! てめぇらを一人も減らしたくねえんだよこっちはな!」


 地形が良し。指揮官が良し。そしてまた、彼女達とて訓練を受けた兵士なのだ。

 楊の鼓舞を受け、彼女達の目が変わる。怯えの中に、戦士の意思が見えるのである。


「……班ごとに横一列! 本当は小銃でも欲しかったが仕方がねぇ、一班はソードオフを構えろ!」


 ざ、と土を蹴立てて、三十人が陣を組んだ。

 敵は正面から、新兵達の背後にあるゲートへと進むだろう。そのラインと垂直になるように、一班の六人が横一列に並んだ。

 その後に、二班。またその後に三班と、横一列に並んで待機するのである。

 一班の六人は、ソードオフショットガン――銃身を切って短くした、取り回しやすい散弾銃を構えた。射程は短いが、然し接近戦に於いては相当な火力を発揮する銃器である。射出する弾丸もまた、対オス用の特殊弾丸であり、多少の甲殻ならば打ち砕けるだけの威力が有った。

 後方に配置された班は、散弾銃の安全装置を解除せずに待つ。りんと町子も、そちら側である。

 そうして、待った。

 時間にすればほんの数分だった筈だ。だが、彼女達には、どれ程に長く感じられた事だろうか。

 動きもせぬまま呼吸は早まり、汗が流れて手に溜まる。鼻先、顎の先から、道路の上に汗が落ちる。


「……来たぞ!」


 最初に敵を捉えたのは、やはり楊の鷹の目であった。

 ビル影から覗き込む顔――人間の物に見える。然しそれには、顎髭が生えているのである。

 特異な例を覗いて、女にあのような長い髭は生えない。寧ろ新兵達若い世代は、「人間には髭が生えないものだ」とさえ思っている。

 だから、どれほどに造形が似ていても、その顔は、適正生物のものなのだ、と。

 暫くその顔は、新兵達をぼうっと眺めていた。

 虚ろな目に、半開きの口。惚けた老人のようでさえある。

 楊は既に小銃を構え、その化け物の目に照準を合わせていた。脳髄への打撃は、大概のオスへの有効打であるからだ。

 だが、そいつがビルの影から、道路の真ん中へのそりと這い出した時――


「ひっ……!?」


 誰かが引き攣った悲鳴を上げる。

 誰もが、見えていたあの顔を、〝オス〟の頭部だと思い込んでいた。然しその実、それは、手首の先にひっついていたのだ。

 その〝オス〟の全身像は、巨大なモグラの頭を切り落とし、人間の上半身を張り付けたような作りであった。

 それが、モグラの短い足を動かして走った。


「構えぇっ!」


 楊が叫ぶ。

 大気が震える。

 〝オス〟の足鳴りよりも強い音――古代の名将は、声を末端の兵まで届かせてこそ名将である。楊菊蘭は際立った指揮官であった。

 50mの距離が、40mになり、30mになる。

 速度は決して、速いとは言えない。然し異形の怪物である。

 どんな力を持っているか、誰も知らない。もしかしたらあの裸形の上半身の、皮の下が鋼鉄かも知れない。人面に置き換わった手が、怪力を発揮して、アスファルトさえ食いちぎるかも知れない。

 それでも怯えている暇は無い。確実に化け物が近づいて来る。


「狙え! 胴体だ!」


 一班は楊の指示通り、銃口を、オスの胴体――人間の体部分へと向ける。

 28m。

 23m。


「まだ!」


 17m。

 14m。

 12m。


 10m。


「撃て!」


 六つの銃口が、散弾を吐き出した。

 弾丸の加速を失わぬ程度に切った銃身から、無数の散弾が、オスの胴を殴り付けた。

 皮膚が千切れ、肉が飛ぶ。その下の白い骨まで、破片を飛び散らせる。

 二射目。散弾銃とて、その為に作られていれば、連射は聞効く。脚を止めたオスへ、またも無数の金属粒が叩き込まれる。

 それが、三度繰り替えれた。のべ18丁の散弾銃が、10mの距離から、強度は人体とさして変わらぬものを打ち据えたのである。オスの上半身はへし折れ、肉を失った空洞から、赤黒い血を流していた。


 ――死んだか?


 新兵達は息を呑み、オスの体が動かぬか、それだけを見ていた。

 変わらずオスの目は虚ろで、生きていても、死んでからも、それは変わらぬように思えた。


「まだだ、撃て! 全身だ!」


 安堵を、楊は許さなかった。


「どうした、撃て! やめろなんざ言ってねぇぞ、撃て! 生きてたらどうする、てめぇが食われるぞ! 私がそういう連中をどんだけけ見て来たと思ってる!」


 ほんの僅かにでも和らいでいた恐怖が、新兵一班の中に戻って来る。

 そうだ、彼我の距離は10m。銃口を下ろした瞬間に向こうが動けば、殺されるのは自分達だ。


「うっ、うああああああぁっ!」


 最初に叫んだのは一人。だが、呼応して残りの五人も、音の高低の差こそあれ、叫んでいた。

 装填し、撃つ。

 オスの脚が爆ぜた。

 オスの腕が千切れた。

 腕の先にひっついている顔が潰れた。

 巨大なモグラにも似た下半身が、直径を削られて細身に成りゆく。

 弾丸を撃ち尽くせば、また装填する。

 取り憑かれたように、彼女達は撃ち続ける。


「やめっ! 撃ち方やめっ!!」


 オス本体の頭が、砕けた卵のようになり、挽肉のようになり、最後は泥に変わった。そうなってやっと楊は、銃口を降ろすように命じた。

 もうオスは何処にもいない。代わりに、肉と骨を血で捏ね合わせた汚泥が広がっているばかりである。


「負傷者、居るか!?」


 六人は、互いの姿を見比べた。

 返り血を浴びた者は居る。だが、髪の毛一筋程の傷も無い。10mより先に近づかせぬまま葬ったのだから、当然の事だ。

 誰も負傷は無い――班長である少女が伝えれば、楊は、そうであろうと言うように頷いて、


「これが、オスの殺し方だ。てめぇらなら出来るって事だ」


 オスの残骸を、軍用ブーツの踵で踏み躙り、言った。

 それは新兵達には、印象的な光景であった。恐ろしい怪物、人間の捕食者と教えられ続けた〝オス〟に、自分達が勝利したのだ。

 無論、恐怖は有る。だが、それを塗り潰す程の高揚が有る。

 我らこそが優位であるという全能感が、彼女達の拳を突き上げさせた。勝鬨であった。


「町子ちゃん、私達もできるよ……!」


「う、うん……!」


 鈴木りんもまた、激しく高ぶっていた。

 戦場で活躍するのは、一部の天才ばかりでは無い。此処まで積み上げた日々は無駄でなかったと知った――その喜びはいかばかりであっただろう。

 次は自分も――そういう無邪気な、ある種子供っぽい興奮を抱えて、りんは順番を待っていた。

 町子は変わらず震えているが、振幅は初めより狭くなった。少なくとも立って戦うのに支障が無い程度の震えである。


「が、頑張ろう……!」


 安全装置を掛けたままの散弾銃を、町子はぎゅうと握りしめた。

 そうして、六つの班は前進――防衛線を押し上げた。

 次に前に立つのは二班。やはり六名が、横に並んで散弾銃を構える。

 姿を見せたのは、巨大な百足の如き形状のオス。但し、その脚は哺乳類のそれであったり、両生類のそれであったり、魚類のひれがくっついていたりの異形であった。

 二班の六名は、楊の指示に従い、オスの頭と胴体を、それぞれ三人ずつで撃ちまくった。胴体が二つに別れた後は、それぞれの部品を撃った。

 それでも残った欠片は、踏んだ。

 鉄板を底に仕込んだ戦闘靴で、体重を乗せて踏みつけ、踏み躙り、残骸さえ道路に磨り潰してしまったのである。

 そしていよいよ、三班が先頭に立つ。


「構え――進め!」


 三班七名――この班だけ人数が多いのは、カムイ・紅雪の判断である。

 少々技量に於いて劣る者を三名に、カバーし得る技量の者を四名。そうして構成バランスを取っている。連携の練度という事ならば、この班が最も優れている。

 次に発見したオスは、ビルの壁面に張り付いていた。

 地上5m程の高さに、手も足も無い体でべたりと張り付き、心音ばかりを響かせているのである。


「……ああいうのは、飛ぶぞ、きっと」


 楊はそういうなり、射撃命令を与えるのではなく、自らそのオスに銃弾を打ち込んだ。

 すると、驚くべき事が立て続けに起こった。

 まず、銃弾が貫通しなかった。数百m、あるいは1kmも遠くの物さえ狙撃できる銃を近射して、そいつは銃弾を弾いたのである。

 オスが悶え始めたと見た次の瞬間には、その背が割れていた。

 蛹だったのだ。

 背が割れた中から、巨大な蛾のようなオスが舞い上がり、遥か上空から、三班目掛け飛来する。


「よーし、引き付けろ! まだだ、まだ、まだ……」


 自然落下より、少し速い。数十mまで舞い上がったオスは、瞬く間に地上へ近づき、


「……撃て!」


 散弾の弾幕。

 その中に突っ込んだオスは、柔らかい胴体を粉々に砕かれ、破片となって散らばった。

 楊が命じるまでもなく、三班の人員は、その破片を踏み潰した。


「よーし、降ろせ! 四班、用意!」


 此処まで、誰一人負傷者は無い。

 作戦が的確だったからか? 否。楊は、新兵でも出来るような、単純な戦術を採用している。

 兵士の練度も有るだろう。単独での戦闘能力は低くとも、集団となれば、十分に働ける。

 然し何よりの理由は、オスが少数で向かってきた事と、個体としても弱小のものばかりであった事だ。

 楊菊蘭は安堵しつつ、それを訝っていた。

 戦場で安堵してはならないと、数百の経験から学んだ女である。

 まして己が率いる兵は、この日初めて戦場に立つ新兵――それも、勝利に浮かれている。


「いいかてめぇら、気を抜くんじゃねえ! 隊列は崩すな、後方に回った班も索敵に気を配れ!」


 喝を入れながら、自分自身、見落としが無いかを思考し続ける。

 何事も上手く行く戦場では、いつも何か、落とし穴が有った。

 考える。

 無断先行の二名が足止めをしているのか、オスの数はあまり増えない。良い事か。

 そうだ、悪い筈が無い。

 とは言え、たった二人の新兵が、数十数百の群れを留めているとは思えない。元からそう大規模の群れでは無いのだ。

 中間地点の辺境の街に、小規模の群れが突然現れる。何故だ?

 分からない。オスの行動原理は、未だに解明されていない部分が多い。

 考える。

 敵がいる理由は、一度、横に置く。それ以外で自分が、何に怯えているのか、考える。

 新兵の気の緩みか――そればかりではない。

 視界になにか映ったか――無い。

 五感を研ぎ澄ます。

 意識を研ぎ澄ます。

 全て、楊菊蘭という人間を研ぎ澄ます。


 ――とくん。聞こえたのは、心音だった。


 楊は、愛銃のSG550を、抜け殻になった蛹へ向け、トリガーを引いた。

 銃身が、弾丸と火を吐き出す。金属の雨が、既に子を巣立たせた後の蛹へ打ち込まれ――蛹自身が、動いた。


「一匹じゃねえ! 二匹だ!」


 蛹では無い。

 分厚い殻の中に、共生相手を閉じ込めていた、もう一頭のオス。

 殻が蠢き、悍ましい程の速さで地を這う。その勢いはまさに悍馬が如しであった。


「くそがっ!」


 連射の手は緩めない。弾丸は少しずつ、オスの殻に食い込んで行く。

 だが、倒れない。

 馬鹿げて頑丈な甲殻は、それこそ岩程の強度を備えているように見えた。

 そんなものが、人の全力とさして変わらぬ速度で突っ込んでくるのである。

 まずオスは、楊を狙った。楊は横へ飛び、地を転げながら避けた。

 するとオスは、そのまま追撃に行くのではなく、狙いを、より多くの餌が集まっている方へと変えたのである。

 つまり、未だに後方へ回らず、だが銃を下ろしている三班であった。


「く……三班、退け! 射線を開けろ!」


 楊の声が、間に合わない。

 蜘蛛の子を散らすようであった。

 銃弾を耐える強度の甲殻は、そのまま頑強無比の武器となる。そんなものを纏って、グロテスクな怪物が突進してきたのだ。

 混乱を引き起こしたのは、三班だけではない。直ぐ後方に逃れていた、四班も同様に、既に隊列が乱れている。

 怪物は、新兵達のど真ん中を駆け抜けると、十数m先で止まり、また突撃を繰り返す。

 角も牙も無い、唯の楕円の物体ではあるが、衝突すれば骨の数本はへし折れるのではないか。

 新兵達は、必死に逃げ惑う。それが、余計に隊列を崩していくのである。

 一頭のオスを、数十人が取り囲みながら、その進行方向にいるものが横へ逃げ、下手くそな包囲網を維持するのであった。

 時間にすると、そこまでで十数秒。その間に楊は、狙撃を諦め、至近距離からの銃撃を行うべく走っていた。

 だが、それより先に、戦況を動かしてしまった偶然があった。


「あっ……!」


 オスから逃れようとして、足を縺れさせ、町子 榊が転倒したのである。


「町子ちゃん!?」


 鈴木りんが、助け起こす。軽量の町子は、ぐいと引っ張るだけで簡単に立たせる事が出来たが、その間にオスが、獲物をこれと定めていた。

 然し、距離は有った。オスは突撃の勢いのあまり、完全に静止するまで、数mも地面を滑るのである。

 その間に逃れていれば、全てが変わっていた。

 だが、此処までの勝利の高揚が、そして己も勝利者の一人になれるやもという希望が、りんを唆した。

 町子の震える手から散弾銃を剥ぎ取り、自分のものと合わせて両手に一丁ずつ、銃口を正面に向けた。

 獲物が止まった――そう見て取ったオスは、殻の内側に隠していた頭部を露わにする。巣穴から蛇が顔を出すように、ずるりと、偏平な頭が覗いた。

 馬鹿でかい口の中に、細かい歯がびっしりと並んでいる。歯の一本一本が殻と同等の材質であれば、鋸よりも鋭い牙であろう。

 それを剥き出しに、オスが走った。

 りんは、戦慄に目を閉じながらも、後方に飛び退きながら、両手とも引き金を引いた。

 ぼっ。

 二つの銃口が火を噴いた。

 りんの閉じた瞼に、返り血と、脳漿と、頭骨の破片がぶつかっていた。

 悲鳴。

 歓声でなく悲鳴が、りんの後方から起こる。

 両手から散弾銃をもぎ取られ、初めてりんは目を開けた。


「っぉおおおおおおおっ!!」


 楊が吠え、散弾を、オスの頭部目掛けて撃ち込んでいた。

 一丁、弾の限りを撃ち尽くすと、もう一丁。合計二丁、りんの手から取り上げた銃を空にする。

 殻に守られていない弱点を狙われ、おそらくは最初の一撃で殆ど動きを止めていたものか、オスは奇怪に蠢きながらも、もう走らない。

 だが、楊は手を止めない。サブウェポンとして携帯する拳銃で、更にオスの頭蓋へ数発――更にジャケットに隠した水筒から、油をオスに注いで着火した。

 炎はごうごうと立ち上がり、あの分厚い甲殻をさえ灰に変えていく。

 だが、皆が見ていたのは、それではなかった。

 町子が見ていたのは、それではなかった。

 りんが見てしまったのは、それではなかった。


「……あ、ぁ」


 人だ。


「……お前のせいじゃねえ」


 楊が言う言葉も、りんの耳には届かなかった。

 先走ったのは、りんだけではなかった。

 もう一人、露出した頭部に一撃を食らわせようと、分厚い軍用サーベルを構えて突撃した少女がいたのだ。

 或いは怯懦の故かも知れない。何もせず、戦況の変化を冷静に待つ事が出来ないで、飛び出してしまったのだろう。


「……ぁ、ああ、っひ……あは、ははは、は……」


 然し、理由はどうでも良い。

 彼女はりんの横を抜け、オスへ向かって突っ込んだ。

 りんが、目を閉じて構えていた散弾銃の射線に、彼女の頭蓋が有ったのだ。

 

「ははっ、あは、あははは、はは」


 一言で表すならば、〝ぐしゃぐしゃに崩れていた〟。

 至近距離から二丁の散弾銃で撃たれた少女は、頭蓋の上、三分の二程を砕かれていた。

 丁度、下顎が形を留め、舌が千切れる程度の位置で吹き飛ばされている。分厚い頭蓋が砕けて、その中に収まっていた脳髄が、全て破片となって、骨片と共に飛び散ったのだ。

 そうして曝け出した空洞、喉から肺へ続く穴に、砕けた骨の一部が、歯の欠片と共に詰まっていた。

 血はもう殆ど全てが流れ出てしまって、たつたつと頭の断面から、道路に雫を落とす。

 手も足も、胴体も、全て完全に揃っていて、ただ、頭だけが致命的に欠けている。

 欠落。

 創造された欠落は、美を生む。

 然し、この偶発の欠落は、酸鼻極まりなかった。

 醜悪。

 不可逆性の悲劇。

 もう二度と戻らぬ命。

 誰が奪ったのか。

 

「お前じゃねえ! おい!」


「りんちゃん!」


 楊の声はまだ届かない。

 けたけたと鈴木りんは笑っていた。

 友人に肩を抱かれながら、楊に襟を掴まれながら、

 自分が撃ち殺した同期の、脳漿を手に掬い、泣きながら笑っていた。






 獣の群れの規模は、リーダーの資質と、期待できる獲物の数に左右される。

 クルトーという狼は、数十の部下を従えて人を喰らったと言うが――然し、


「……はぁ、はっ……はぁっ……!」


 然し――数が多すぎた。

 初めに迫る一匹を銃で撃ち殺し、次の一匹はナイフで抉り殺した。

 近づいてくれば胸、首――異形の相手ならまず目を刺す。少し離れていれば、撃つ。

 相手の攻撃は避け、自分だけが当てる。理屈にすれば単純な事だ。

 そうして操は、戦い続けていた。


「……7、いや、8体目ぇ……」


 然し、それが何時迄も

 ゴロゴロと転がる死体を踏みつけながら呼吸を整え――その暇も無く、次が飛びかかってくる。

 左手の銃は、既に弾倉が空になって、スライドが後退したまま。

 装填するにも、その間が無い。


「しゃっ!」


 右手のナイフで迎撃する。一本はオスの骨で刃が欠け、一本は投げた。

 戦闘用の軽量のものは、これが最後の一本。

 巨大な蛙を思わせる形状のオスの、落下地点より僅かに下がり、着地と同時に突き刺す。


「ギ――ググッ、グエッ、グエッ、ゲッ」


 奇怪な鳴き声、力はまだ強い。体表が予想より分厚く――厚い皮が収縮し、出血は少ない。


「まず、ぁ――」


 ナイフが引き抜けなかった。

 オスが巨大な後ろ足を縮めた。反射的に操は、左腕で胴体を庇って――だが、無意味。

 巨体が跳躍する。

 上にではなく〝前〟に。

 ナイフを引き抜こうとしている操を巻き込み――


「ぁ、がっ……!?」


 吹き飛ばす。

 生易しい衝撃では無い。高所から転落し、背を打ち付けたが如き苦痛――いや、それさえ生温い。

 2mばかり飛ばされて、操は道路に、仰向けに倒れ込んだ。

 背中の痛みは殆ど感じないが、左腕と胸だけが酷く痛い。

 衝撃が背を貫通して、肺を収縮させているようにさえ感じた。

 まず、寒気が有った。それから負傷箇所が熱を持ち始める。

 多少の擦過傷が出来たらしい――不思議と操は、冷静に考えられた。


「く――けほっ、ぉ……ぐ、……」


 肺に空気が入らない。立ち上がれない。

 胸に重みを感じる――蛙型のオスが、前足で操を踏みつけている。

 手にナイフは無い、銃も弾丸が未装填。

 マチェットを引き抜こうとしたが、酸欠で腕も思うように動かない。

 下から見上げると、このオスは随分と馬鹿でかい口をしている。

 ぐばあ、と、口が開いた。

 蛙のような、それともカバのような――何れにせよ、体格に比して巨大な獲物に喰らい付く口。

 鋭い拳大の牙が並び、舌は蛇のような細さで3枚。やけに粘っこい唾液が、それぞれをたっぷりと濡らし、そして零れ落ちている。

 余程腹が減っているのか、唾液で咥内に水溜りが出来ていて――その中に、人間の顔のような物が見えた。

 食われた誰かだろうかと思ったが、違った。上唇に生えた毛は、髭という物だと知識は持っている。

 人間の雄の成れの果て。

 人だった名残りまで含めて、おぞましい生物だ。殺さなければ――そう思っても、操の手は動かない。

 牙が近づいて、生臭い息が顔を撫でた。

 食われる。

 何故、人ばかりを。それは知らずとも、〝これ〟は人を喰う。

 腹から喰うつもりなのか、牙が迷彩服を引っ掛け、引き裂こうと持ち上げ――


 ――引き裂かれたのは、〝オス〟の大きな口であった。


 顎関節から刃が入り、後頭部へ抜けた。上顎がそっくりそのまま、オスの体の後ろへ滑り落ちた。

 小さな脳が液体と共に零れ、血と混ざり、操の上に降り注ぐ。

 力の抜けた巨躯は、後方へと蹴り倒され、


「……ふぅ、ふー……私、間に合う、君、です?」


「ぁ、……っけほ、こほっ……なんの」


 何の用だと聞こうとして、操は、その言葉を呑んだ。

 この局面で、用件が一つしかない事は、操自身が分かっている。

 自分と同じ――狩りに来たのだ。

 然し操が抱いた感情は、安堵の中に苛立ちの混ざるものであった。

 余計な事を、とは言えない。命を救われたのは確かなのだ。

 だから操は、こう問うた。


「……ホンファ、なんで」


「支部長、言いました。一緒、行動する、君。違うますか?」


 返り血が届くより早く、反対側へ抜けたものか。

 赤い服に黒の染みは無く、李紅花は涼しげに立っていた。

 常と変らぬ無表情の中――額を伝う汗ばかりが、姿とは裏腹の疲労を物語っていた。

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