表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

STAINLESS NIGHT

 さて、そうして夜になった。

 緋扇操は自室に戻って、二段ベッドの下に腰掛けていた。

 そもそも操は、上官に敬意を払わないきらいは有るが、人付き合いを厭う性質では無い。ただ、苦手なだけである。

 だから今回も、新たに同室になった同い年の少女と、有効的に接しようという考えは有ったのだ。

 だが、相手が難しかった。

 李紅花は、中国の出身である。

 日本語は、聞き取る事は出来るらしいが、話すとなると難しいようだ。

 例えば、カムイに紹介されて直ぐの会話が、この具合である。


「えーと……今日は、良い天気だね」


「はい、です。晴れ、舒?、ぁ……素晴らしい」


 気持ちいい天気だ、とでも言いたかったのだろう。

 まだこれは、言いたい事が分かるから良い部類であった。

 丁度今、紅花は、二段ベッドの上に居る。スプリングの利きが落ち着かないのか、姿勢を幾度も変えているようで、ぎぃぎぃと板の軋む音がする。


「紅花は、んー……ええと、何処から、来たの?」


「有りました、slumの、Chinese town。私、呼んだので、また老師――ぁー、先生が」


「……?」


 この辺りになると、操では殆ど理解出来なくなるのだ。

 中国語を英語に直して、それから一部を日本語に直して行くと、こういう具合になるのだろうか。

 それにしても分からぬと、操は首をかしげる事しきりである。


「あー……Is you 〝flom〟 , whe……、ウェ、ウェア?」


 では、自分から歩み寄ってはどうか。発音は殆ど日本語ながら、操は善処したのであるが、


「You say――what? ……Ah , I from China, Chinese――JunkTown」


「ふ、ふーん……そうなんだ」


 答えが英語で帰って来ては、結局は分からぬのであった。

 そうして、操がコミュニケーションの糸口を掴みかねて、悪戦苦闘している最中である。

 紅花が、二段ベッドの上から体をはみ出させて、下の操を覗き込んだ。


「ここ、いい場所、military base、です」


 頭が天地逆になると、紅花の長い黒髪がばさりと垂れ下がる。


「そう? ……そうかなー……? 狭いし、殺風景で、退屈な所だよ」


 良い場所――何を言いたいかは、これなら分かる。だが、その真意が分からない。

 操に取って見れば、この宿舎は飽く迄も寝る為だけの場所で、訓練場などの方が余程居心地が良いのである。

 だが、紅花は、不自由な言葉の代わりに、指で答えを示した。

 屋根。

 壁。

 水道。

 ベッド。

 窓。

 扉。

 そういうものを指差して、良い場所だと言うのである。


「眠る、出来る。鍵も出来ます、死ぬない。飲む、出来る、全部」


 そして紅花の黒髪は、ベッドの上に引き上げられる。


「いい場所、です」


 紅花の寝つきは早かった。すぐにすうすうと、静かな寝息が聞こえてくる。

 それを聞きながら操は、狭い部屋の中を歩き回った。

 殺風景の、生活に最低限のものだけが有る部屋だ。

 やはり操には、それが良い空間だとは思えなかった。






 翌日、朝。

 早朝より、特別訓練は始められた。

 外部から教官を得ての訓練というのは、この支部では珍しくない。何せ支部長であるカムイが、実技の見本となる事が出来ぬ体であるからだ。

 だが、この日の教官は、315部隊所属の、言わば大物である。必然新兵達は、些か以上の緊張を以て待機していた。

 緋扇操、李紅花、そしてその同期が30人前後。1部隊と考えれば小規模な集団である。

 その、彼女達の方へ、賑やかな足音が近づいて来ていた。

 カムイ・紅雪の、機械脚が鳴らす音である。

 がしゃん、がしゃんと鳴る騒音に、全体は一様に、踵を打ち合わせて立った。

 その時に、皆が気付く。

 六本の足音とは別に、足音が無い人間が一人、歩いて来るのである。


「……あれが、〝特別教官〟……?」


 新兵の誰かが、声を潜めて、隣に立つ別な新兵に言った。

 声の響きには疑念の色が見えたが、実際に彼女は――〝強そう〟とは見えなかった。

 体格で言うなら、操だとかカムイと然程変わらない、155cm程である。細身で、殴り合いなどしようものなら吹っ飛んでしまうのでは無いかという懸念が有った。

 然し――近づくに連れて疑念は、戦慄と畏怖に変わり始める。

 人間も動物の一種である。まして訓練を受けた兵士、勘は鋭い。

 その女が並でないのは、誰もが分かった。

 音も立てぬ身のこなしさえ、表面上のものに過ぎない。女の本質は目に有った。

 視線で人間を射抜き殺さんばかりの気迫が、吊り気味の目に宿っているのである。


「全体、休めっ!」


 新兵を一睨みし、特別教官は吠えた。

 指示とは裏腹に、ほぼ全員が硬直したまま動かない。

 その目が動くなと言っているのだ。

 ほんの僅かの動きも見逃さぬ、視野の広い目。視界の外にあるものさえ捉える狙撃手の目。きっと、一人一人の身長から体重まで、一通り図ってしまったのだろう。

 鋭いなどというものでは無い。睨まれた瞬間、足を地上に縫い止められる目である。

 その中で、たった一人だけ動いていたのは、


「ちょっ……えっ、あんた」


「支部長、言いました。〝休め〟」


 この支部では、まだ外様扱いの、李紅花だけであった。彼女は軽く足を開いて、指示された通りの姿勢を取っていた。


「おい、カムイ。こいつらで全員か」


「ええ、小さな支部ですので」


 暫く無言を貫いていた特別教官は、小さく溜息を着いてから、そう訊ねた。


「全体、休め。教官よりお言葉があります、楽にして聞くように」


 カムイの――つまり、聞き慣れた声を受けて、やっと新兵達の体が動いた。

 金縛りが解け、手を背で組み、足を軽く開く。その集団の中に、操も居た。

 集団の大半は、これまでに受けた事の無い威圧に、酷く拍動を乱していた。そしてまた、操の拍動も平時より随分と乱れていたが、こちらは恐怖の為では無かった。

 特別教官は、落胆の表情を見せたのだ。

 期待した通りの反応が返らなかった落胆――それが操を、恐怖以上に苛んだのである。


「……使えそうにねぇな。おい、ビビった奴ら……とっとと退役するか?」


 その場の殆ど全員を、ただの一言で斬り捨てて、


「今日から3日、お前達に指導をくれてやる楊菊蘭ヤン・ジューランだ。楊教官と呼べ、分かったか!」


 315部隊の狙撃手にして、戦闘顧問、教育係。背負う武器は、分速700発の連射を誇るアサルトライフル。

 目の下のタトゥーと合わせ、その名は、戦場に出る者には広まっている。

 皆の思いは、一つである。


 ――何故、こんな大物が?


「皆さーん、楊教官は優しい先輩です。聞きたい事が有ったら就寝中でもなんでも、私室を訪ねて良いとおっしゃってますからねー」


「……おいてめぇ、その機械足を狙撃訓練の的にしてやろうか。こちとら慢性的に寝不足なんだよ」


 疑問に思う余地も無く、訓練の開始が宣言される。

 その間、カムイは敬意の欠片も見せず楊に付き纏い、蛾か蠅のような扱いで振り払われていた。






 三区一号支部の通常戦闘訓練は、操には退屈な作業である。

 〝オス〟と実際に戦う訳にも行かず、かと言って対人訓練ばかりでも意味は無い。二本の腕と二本の脚に慣れきってしまってもいけないからだ。

 だから、武器の使い方を学ぶとして、それは動かない的への刺突であったり射撃であったり、場合によっては座学であったりする。

 特別教官と聞いた時、操が心を躍らせたのも、そういう背景が有るのだ。


「……煤が残ってる、やり直し。次、持って来い!」


 ――が、新兵達が行っているのは、銃の分解清掃であった。

 支給された自動拳銃を分解して、清掃して組み立て、教官へ提出する。すると、教官がまた銃を分解して、ざっと眺めて突っ返す。

 何ともまた、賽の河原の如き光景である。

 繰り返せども繰り返せども、終わりの見えぬ作業工程。

 あちらでは、銃身の清掃だけを一時間も続けている者が居る。こちらを見れば、撃鉄の清掃と金具の調整を延々続けている者が居る。


「楊教官、確認お願いします!」


「良し、あー……てめぇ、名前は?」


「はっ、緋扇操であります!」


 丁度操は、渾身の清掃を完了し、銃の提出を終えた所である。

 楊は差し出された銃を、小さな机の上に置いて、数秒ばかり睨んでから言った。


「そうか、備品倉庫まで走れ馬鹿野郎。5分以内に戻れ」


「はっ! ……は、い?」


 良しでも悪しでも無い。荷物を取りに行けと、それだけの命令である。

 備品倉庫の場所は分かるし、往復3分で行ける距離だ。だが、何故そのような命令をされたのか――操はそれが分からず、動けずに居た。

 その目の前で、楊が、自動拳銃を手に取った。

 そして、分解する。

 たったの十数秒で、やたらと部品の多い自動拳銃が、単なる部品の集合体に成り果てた。

 部品にはそれぞれ用途が有る。拳銃とは緻密な計算によって作られた、芸術的な凶器である。その部品の内の一つを、楊は手に取って、


「おい、緋扇。この銃の名称と、安全装置の種別を答えてみろ」


 操に出した問題は、彼女にとっては簡単な部類であった。

 算術などはまるで出来ぬ操だが、自分が使用するやも知れない武器に関しては、並みならぬ情熱で勉強をしている。

 ましてや、この拳銃は最新式かつ、操自身が特に気に入っている武器である。


「はっ! Blandly A15! キーロックセーフティを採用しています!」


「そうか。んじゃあ、この部品はなんだか分かるか?」


 楊が手にしていたのは、大小のブロックを二つくっ付けたようなパーツである。これも、操には難しくも無い問題である。


「キーロックセーフティを動作させる為、グリップに組み込むシリンダーです!」


 新兵は何れも射撃練習の後、自分で分解し、自分で清掃し、自分で組み立てている。基礎的な知識ならば、操に限らず、皆が身に付けている。

 余談だが『Blandly A15』は、ここ数年で名を上げ始めた銃器メーカーが、この支部に大量に納品したものである〝らしい〟。

 らしいというのは、支部長であるカムイが、公的な要素のある発表を何もしていないからである。

 ただ、納品されたものを部下に支給しただけで――それが何処から来たか、何も言わない。そして聞こうとする者もいなかったのだ。

 『Blandly A15』自体は、大火力の自動拳銃である。安全装置セーフティにキーロックなど採用しているのは、一度解除した後に衝撃で予期せぬロックが掛からぬようにという設計思想に基づいたものであるという。


「……そうだ、その通り。良く理解してるじゃねーか」


 果たして楊は、満足気な顔をして何度か頷いた後、


「だったらなんでてめぇらの銃は、その安全装置に錆を浮かせてやがんだ!?」


 30人以上の新兵を凍り付かせた大音声を、再び放った。

 今度は踵を揃えて立つ事もままならない。居合わせたほぼ全員が、作業の途中で手を止めて固まっている。

 仮に目の前にガソリンのタンクが有り、自分が火種を担いでいたとしたら、同じ様に身動き出来ず硬直するのではないか。遠ざかろうとして火の粉を零す事さえ恐れるのではないか。

 つまり、この場で〝意に沿わぬ〟何かをしでかすのは拙いと、新兵達は判断したのである。


「揃いも揃って目が開いてねぇのか! 銃身を清掃した、グリップ幅を調整した、弾倉のバネを付け替えた、んなこた見りゃ分かんだよ馬鹿共!」


 問題は単純に一つ。小柄な鬼教官の導火線は、何で着火するのか計りかねるという事だ。

 早足で兵士の間を抜け、ブーツはけたたましく砂も石も蹴り散らす。

 その内、楊は、手近に居た新兵の一人――臆病だと仲間内でも揶揄されている少女の、胸倉を掴んで引き寄せた。


「いいか? てめぇら糞餓鬼連中が安全装置をぶっ壊して、てめぇの股の穴を四つに増やそうがそりゃ勝手だ――だが!

 万が一にもその錆びた玩具で、身内の背中に風穴開けてみろ! そんときゃ腐った目玉の代わりだ、鉛玉をダースでぶち込んでやる!」


 胸倉を掴まれた少女は、前後左右にがくがくと揺すぶられ、半泣きになりながら目を回している。

 誰も止める者は居ない。カムイは何を考えているのかも分からぬ茫洋とした表情で、それを眺めているだけだ。


「全体、Blandlyビーディーを回収する! ナイフと鉄靴だけで過ごせ、銃はてめぇらには早い! 以上、本日の〝射撃訓練〟を終了する、解散!」


 暴風であった。

 何も分からぬ内に始まった〝射撃訓練〟とやらは、30人合わせて一発の弾丸も放たずに、僅か2時間未満で終了した。

 足音荒く立ち去る楊に、誰も何か一言、訊ねる事さえ出来はせず――


 かちゃり、かちゃり、がちゃん。


「……操作难……外れる、です、ない?」


 たった一人。教官の暴風が吹き荒れている間も、銃の分解と組み立てを繰り返していた者がいた。

 李紅花は未だに、一度も提出を行っていなかったが為、回収さえされなかったのである。






 夜――街は、冷え込む。

 暖房器具の少ない宿舎は、建材の鉄筋コンクリートが熱を屋外に放出し、昼間は暑く夜は寒い、住み難い空間となっている。

 既に殆どの部屋は灯りが消えているが、午前3時ともなれば、それも無理も無い事であろう。

 ところで話は変わるが、人間にも幾つかの種類が有る。

 一日に9時間も眠った所で足りないという者が居れば、一晩を明かす程度ならば平然と耐えられる様な者もある。

 後天的な努力で幾分かは身に付くだろうが、短時間睡眠での活動可否は、やはり先天的な才能の差とでも言うべきなのだろうか。

 才能の有無を図りたい場合、その人間の目の下を見れば良いだろうが――つまり、端的に言えば。

 楊菊蘭はきっと、夜更かしの才能は薄い人間だ。


「……ふあーぁ……ぁー、くそ」


 大きな欠伸を抑えもせず、楊は窓の外、灯りの無い夜を眺めた。

 何故、窓の外に目を向けているかと言えば、室内に目を向けると、テーブルの上の書類の平原が見えてしまうから――現実逃避なのだ。


「眠そうですね。コーヒーを持ってきましょうか?」


 椅子の上で大欠伸をした菊蘭に、支部長のカムイが訊ねる。

 彼女は、補助器具に体重を預けて、菊蘭の斜め後方に立って控え――まるで、従者のようですらある。


「ホット、砂糖とミルクは山ほど、カフェインの錠剤ぶち込んでな」


「体に悪そうですねぇ……只今、お持ちします」


 いや、〝ようですら〟どころではない。

 曲がりなりにも、この施設内で最も権力を持つ筈の彼女は、実に甲斐甲斐しく、給仕の真似事を始めた。

 早くは動かぬ足でガシャガシャ騒音を響かせ、部屋を出て、給湯室へと歩いて行く。


「……さみぃ」


 楊は椅子から降りてベッドの上に座り、タオルケットを体に巻き付け、更に羽毛布団を肩に羽織った。

 元来冷え性の彼女に、この施設での夜更かしは辛いものがある。

 本当なら電気毛布と湯たんぽ、それから毛糸のパジャマでも借りてきて、布団に身を沈めて眠りたい所ではあるというが――


 楊は、ペンを走らせていた。

 質の良くないザラ紙に、左上隅から書き始め、右下隅まで到達すれば別の一枚。ただ、ひたすら、文字を綴る。

 時折は手を止め、顎の下に手を当てて思案顔を見せ、一人頷いてから筆記を再開する。

 言動や容貌とは裏腹の小柄な体躯は、まるで宿題か恋文の筆記に耽る女学生をさえ思わせるが――


「……ったく、何やってやがんだ、ここの料理番」


 零れる悪態に、ロマンティックの欠片も無い。


「夕飯、お口に合いませんでした? なら、直ぐにでも私が作り直しますが――」


「そうじゃねえよ、十分に美味かった。味付けだったら、近所で評判の食堂ってくらいの腕は有るだろ……っお、あんがとさん」


 カムイが、コーヒーを盆に載せて――トレイではなく、本当に盆だ――部屋に戻ってくる。

 何故か湯呑に注がれたホットコーヒーを、楊はわざわざ、湯呑の下に左手を当てながら啜った。


「……かっこわるいですね」


「いーんだよ、餓鬼共は見てねぇし。 ……そうだ、私らにはいいんだけどな、あの食事。餓鬼共には合わねえ」


「豪華すぎますか?」


「逆だ」


 湯呑に手首を当て、血管を直接暖める――あまり寒そうなのを見かねたか、カムイが壁のスイッチを操作した。

 ブン、と機械の駆動音。暖房はそこかよと、楊が小さく拗ねながらも――


「あいつら見たが、なんであんな小さえんだ。15にもなったら、もう背は伸びきってる奴もいるだろ?

 喰う量をまず増やさせろ。パンは駄目だ、三食とも白米に肉に卵、野菜は必ず5種以上な。普通なら太るくらいに食わせろ」


 給仕係の真似事をするカムイに対し、けちをつけたのは、兵士達に提供される食事の内容。

 カムイは楊の言葉を、一言一句聞き逃すまいと、手帳に速記のメモを残していく。


「それから、水もそうだが牛乳飲ませとけ。骨が細すぎる、あれじゃあ転んだだけで腕が折れるし、背が伸びない」


「説得力が有りますね……」


「うるせえよ撃つぞこのやろう」


 文章を書くペンとは別、何故か逆の手にもう一本持っていたペンを、カムイの顔目掛けて投げつける。

 狙撃手の投擲は不必要に正確に、カムイの鼻を打ち据えた。


「遺伝は栄養学を捻じ伏せるんだよ、お前だってあんまり変わんねえじゃんかよー」


「夜更かしも栄養学を捻じ伏せますよ、私が立証してます。……ところで、仕上がりました?」


「まだだ。あーくそ寒い眠てえ、あと二人分だー……」


 雑言と、返しと、短な会話は直ぐに終わって、また静かな時間に帰る。

 かりかりとペンの音だけが部屋に響いていて、カムイは楊の肩越しに、記述内容を覗き見た。


「……あの2人、ですか?」


「どのだか知らねえけど、私服の奴と、パシらせた奴。なんだありゃ……なんだありゃ?」


「片方は胆力、片方は無知が故ですよ。ただ、どちらも私の生徒の中では、飛びぬけて優秀なんですけれど」


 覗き込むカムイの顔から、楊は体を遠ざけるように座り直しつつも、書いていた紙は差し出して渡す。

 受け取ったカムイはそれを眺めて、楽しげに幾度も頷いた。


「読んだら帰れ、私の部屋に居つくんじゃねーよ」


「駄目ですか? もっと見ていたいのに……」


「気持ち悪い事を言うな、客が来てるんだよ」


「客……? ああ……」


 布団を被って膨らんでいる楊の横にカムイが腰掛けようとして、足で押しのけられる。ぞんざいに扱われた側は、座ったままでドアの方を向いた。

 来ている――部屋には、2人しかいない。楊が言ったのは、本当に音の通り、現在進行形で、部屋に向かって来ているという意味だった。

 楊が気付くに遅れて十数秒、部屋の扉を四度、手の甲で叩く音がした。


「入れ」


「失礼、です……します?」


 ノックの主は、足音を立てずに部屋へ滑り込む。

 彼女の奇妙な日本語は、普段ならば横に並ぶ誰かを疲労させるものだったが、部屋の先客二名は、何れも来客を興味深く眺めつつ迎えた。


「……ほら見ろカムイ。お前が適当な事を言うから、本当に来ちまったじゃねぇか」


「先輩に夜這いは赦しませんよ。一応は風紀を守らねばならない立場であるからして――」


「ぶち抜くぞ、頭」


 押しのけるだけだった足が優しさを無くして、カムイをベッドの上から弾き飛ばした。

 横が開いたベッドの上を、楊は二度、ぽんぽんと叩いて、


「请坐、新兵」


 眠たげだが、強く――紅花には最も聞き取りやすい音を発した。


『……!』


『驚く事は無いだろう、変な名前だと思わなかったか? てめぇの言葉よりゃましか、ジャパンもチャイナもサラダになってやがるもんな。

 何の用だ、腹が減ったって訳じゃねえだろ。ん?』


「……早口だと、ところどころ聞き取れませんが……夜食が必要なら、作ってきましょうか?」


 ベッドから床に転落したカムイは、そこで膝を抱えて座り込んでいた。提案は、紅花の意識には止まらず、楊には殆ど聞き流された。


『……どうしても、分からない事が有った。教えて欲しいと思いました』


『ああ、だろうな……見てたがお前、独学が過ぎるんだ。銃の整備だろ?』


 紅花は頷き、ホルスターから自動拳銃を引き抜いた。

 他の新兵が使っているより、汚れが少ない一丁――丁寧に磨いたのも有るだろうが、実際の発砲が無いのも、理由の一つだろうか。今日から配属された兵士が、この支部で配備された武器を、用いる暇は有るまい。


『あのやり方は……貧乏国家の三文銃の、おおざっぱなバラし方だな。安全装置も無けりゃトリガーガードも中折れ、あんなもんは使いたくねえが……。

 ありゃ部品が少ねぇしデカい。あれに慣れてたら、外れねえ部品も出てくるよな。特に……――』


 紅花が銃身を握って差し出した自動拳銃。菊蘭は、グリップに軽く左手を触れさせると――右手で、空中で、銃の分解を始めた。

 銃身を掴まれていては、自由に動かす事も出来ないだろうが――ほんの十数秒で、部品は半ば剥き出しになる。


『――これだ、ガスピストン周り。ロングストロークに閉鎖機構は落とし込み式、とにかく強度だけ考えた作りしてやがんな……。

 初めてみる構造だろう、下手にバラしたら治せなくなるんじゃないか、慎重になるのも無理はねぇが……――』


 楊菊蘭は狙撃手であり、至近距離にて撃ち合うガンマンでは無い。拳銃は専門の外だが――然し、語る程度の知識は有る。

 『Blandly A15』は、〝オス〟との長期戦等を想定して作られた自動拳銃である。故に、壊れにくい事を第一に据えた設計思想が、根幹を貫いている。

 ガス・オペレーションによる銃弾装填機構は、〝より大型の弾薬を〟〝より小さな力で扱えるように〟と、本来ならば小銃を中心に用いられるべき機構を、拳銃の胴体に押し込めている。

 落とし込み式の閉鎖機構は、部品の製造と交換の難易度を抑え、戦地での使用に耐えうる汎用性を与えた。

 代償として、図体は膨れ上がり、とても〝Blandlyおだやかに〟とは呼べない代物だが――単純に、強い。

 〝オス〟の姿は定まっておらず、何時如何なる時、どの様な装甲を持った敵に遭遇するかも分からない。

 小銃やら対物狙撃銃やらが、常に身近にあるとは限らないが――自分の腰に付けた銃は、余程の事が無い限り、引き抜いて扱える。

 対人ならば威力は過剰、大きく扱いづらいばかりの銃だが、化け物を殺すのに、威力が過剰という事は無いのだ。


『――以上。こうやれば簡単にバラせるし、同じ手順を踏めば戻すのも楽だ』


『おー……分かった、と思う。いや、分かる、これから分かる』


『そりゃ結構。長話に付き合ってくれてあんがとさん、もう東空が白みてるぞ』


 部品の外し方、組み上げ方、清掃方法。銃器の動作の原理や、原理を体現する部品の構造等々――紅花はそれらを全て、猫のような目をさらに爛と丸くしながら聞き続けた。

 説明通りに分解して、また組み立ててを幾度も幾度も繰り返し、気付けば雲が赤を帯び始めている。


『夜の姿は掻き失せぬ。2時間でも良いから寝ろ、背が伸びないぞ』


『じゃあ、楊教官の方が寝ないといけない、と思う』


『……てめぇ、頭の上に重り乗せるぞ』


 終始布団に包まったままだった楊は、掛布団の隙間から拳を突きだし、紅花の頭めがけて幾度か振り下ろす。紅花はそれを、首を左右に傾けながら避けて、部屋の扉まで床を跳ねる様に逃げた。


『……おい、紅花』


『はい、楊教官』


 ドアノブに手を掛けた紅花の背に、菊蘭は呼び掛けた。

 振り向いた紅花が見たのは、結局一秒たりと緩まなかった、不機嫌そうな顔で――


『堅苦しい。教官呼びは日本語だけにしろ、〝こっち〟では菊蘭ジューランと呼べ』


 欠伸を一つ。目の端に浮かんだ涙は、手の甲で拭うも、眠気が消えた様子は無い。


「懂了吗?」


「是、楊教官――分かるます、菊蘭」


「……分かってねぇのか、分かってんのか」


 扉をほんの僅かだけ開けて、隙間を擦り抜けるように、紅花は部屋を去る。

 残された菊蘭は時計に目をやり、自分の睡眠可能時間が2時間も無いと知って、辟易たっぷりの表情を見せた。

 カムイは床に座って、楊が見せる珍しい表情を――楽しんでいるのか、微笑んでいた。

第2話:お借りしたキャラ


李紅花リー・ホンファ  ししあ様(@sisiarutina)より

楊菊蘭ヤン・ジューラン 鈴本様(@SUZU_MOOO1)より

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ