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地獄より愛をこめて

 正面に一体、右後方に一体。


「っ、しゃあああぁっ!」


 まずは正面。

 両断。

 頭から胴体までを斬り下げる。

 肉も骨も焼き焦がす音、悪臭と、硬い手応えに〝オス〟の断末魔。

 二つに別れた肉塊が足元に落ちる――邪魔になると、蹴り飛ばす。

 背後より気配。

 振り向き様に、横薙ぎの一線。思ったより間合いは遠かったが、然し切っ先が、右後方から迫る一体を捉える。

 腹が裂け、臓腑が零れる。

 この化け物達の臓腑は、人間のそれに良く似ている。


「……おお、おおおっ――」


 振り抜いた腕を強引に引き戻し、少女は一歩、低く踏み出した。

 死にかけの〝オス〟の腹――臓腑が抜けた空洞に、切っ先を突き込む。

 ――こいつらの悲鳴は、人間に似ている。

 そう思いながらも、怪物の喉から上がる音があまりに低いから、同じものだとは思い難い。

 少女の心は、まるで痛まない。


「――おお、っらあああ!!」


 刀身を、振り上げる。

 化け物の腹腔に収まった大型の刃物――分厚く長い包丁が、内側から〝オス〟の胴体を割った。

 血が吹き出す。

 ――赤い。

 当たり前の事を、少女は思う。

 腹が立つ程に恐ろしく、悍ましい、これが少女の世界だった。






 市街地防衛線、第一ライン。五つの防衛線の最も外側に敷かれた此処は、常に〝オス〟の脅威に曝されて――いるわけではない。

 此処は、『関東第三区画一号支部』――比較的〝内地〟に、つまり人類の生存圏の中に有る。

 〝オス〟が群生する山間部や森林から離れた、大きな都市と都市の間、丁度中継地点に当たる小さな街。稀に〝オス〟が出たとして、精々が数体という所である。

 その為、三区一号支部は、新兵訓練の為に用いられる。迅速な包囲網の形成、瞬間的な火力の集中、効率的な殲滅――


 ――馬鹿馬鹿しい。


 緋扇操(ひおうぎ みさお)は、それを良しとしなかった。

 新兵を教育しる暇が有るのなら、装備を整えて、一体でも多くの〝オス〟を殺せば良いのだ、と。

 〝オス〟は、人間の雄が――操の世代では、文献や映像記録、伝聞でしか知らぬ存在が変化したものであるという。つまり、無限に増えるのではなく、有限なのだ。

 ならば、殺し続ければ、何時かは姿を消す。

 だから、一刻も早く、一匹でも多く、殺さねばならない。

 訓練とやらにかまけている間にも、人類は数を減らしている。そして、その数は、二度と上昇には転じないのだから。


「もう、戦えるんだ」


 他の新兵とは違う――操には、そういう自負が有った。

 成る程、座学は苦手だが、身体を用いての実技に於いて、三区一号支部に操程の技量を持つ者は無い。

 十分な装備を与えられれば、他の兵士の十人分も働いてみせる自信が、操には有った。


「――のに、なんでこうなるのー……」


 だが、現実は厳しかった。

 操は今、懲罰房の中で、一人反省文を書かされていた。

 二頭ばかり出没した〝オス〟に対し、単独先行し撃破した――集団の規律を見出し、危険な行動を取ったというのが、その理由である。


「……はーあ」


 溜息をつきながらも、操はその理由を、理解はしながら受け入れられずにいた。

 結果的に、誰も死ななかった。

 弾薬を余分に消費する事も無く、迅速な撃退に完了した。

 規則は人を守る為に有ると言うが、その規則よりも、自分の戦闘行為こそ、街を守ったのだという思いが有った。

 懲罰房は狭いが、私室が広い訳でも無い。居心地を考えると、無味乾燥である点は同じだ。

 だが、一人黙々と反省文を書く退屈ばかりは、如何ともし難かった。

 こうしている間にも、何処かで人間と〝オス〟が戦って、人間が数を減らしているかも知れない。

 それを助けたい。

 それを助けないと。

 そういう思いが、操の中には、いつもぐるぐると渦巻いている。

 その思いは、声にもなる。


 ――お前が代わりに。


 そう繰り返す、誰かの声になる。

 一人の声音では無く――何人かの、何時までも記憶から消えていかない声。

 私達は死んでしまった、だからお前が代わりに戦え。

 私達が殺す筈だったやつらを、全部、お前が代わりに殺せ。

 そういう声が、聞こえてくる。


「分かってるよ」


 声に、そう答える。

 姿無き声に、操は、幾度もそう答えた。






 とは言うものの。

 退屈、指の疲労と重なって、操の勉学嫌いが首をもたげる。

 元より実技のみに特化した人間であり、机に座って鉛筆を持つような行為は嫌いであった。

 中学校さえ、一年も通わずに辞めている。

 義務教育さえ終了しないまま、戦闘部隊への所属を希望し、今は新兵として訓練を受けているのである。


「よっ、しょっ……!」


 とうとう操は、ペンを投げ出して運動を始めた。

 上体起こし――ただし、一回につき30秒たっぷり掛けて、10回を1セット。

 自重だけでは、操には負荷が物足りないが、それは数で補う。

 2セット目を済ませる頃には、額にも首にも汗が滲み始める。ぎっと噛み締めた歯から、顎に重圧が伝わる。


 ――これでいい。こうじゃないと。

 

 指ばかりが痛む反省文など、真面目にやってはいられない。そう自分を正当化する操である。


「……そうよ、おかしい! 私は正しいんだ、うん!」


「ほんとーにそう思いますか?」


 だが然し、口は災いの元である。

 上体を床から数cm持ち上げて留めた格好で気勢を上げた操に、穏やかな声が届いた。


「げっ……」


 その声は、どうにも呆れが多分に交じっている。

 実際に声の主はそこに立って、さも頭痛でも有るかのように、額に手を当てている。


「入りますよ、操」


 そこに居るのは、一人である。だが、彼女が懲罰房へ踏み込めば、足音が三人分も鳴った。

 一人分は普通の靴の音。残り二つはがしゃがしゃと喧しい、金属の足音である。

 足音の主は、操とさして背の変わらぬ女。操が153cm、この女は155cmだから、僅かに操の方が低い。

 髪は伸ばし、それを小奇麗に洗って纏めていて、服も常に清潔で――少なくとも、戦場の臭いはしない。


「お疲れ様です、支部長!」


 操は立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。


「……元気ですね。独房に入れられたのに……はぁ、もうこの子は」


 三区一号支部長、カムイ・紅雪こうせつは、ゆるりと敬礼を返しながら、もはや諦めさえ浮かぶ眼差しを操に向けていた。

 この、如何にも事務屋という顔をした彼女も、昔は戦闘員であったという。

 成程確かに、袖が余る服に隠れているが、手首から先にはかなりの傷が有るし、拳も鈍器のように硬そうだ。殴られればさぞや痛かろう。

 だがそれ以上に、彼女の戦歴を語るのは、腰に取り付けられた歩行補助器具である。

 金属の脚が左右に二本ずつ――自分自身の脚に連動し床に下りる、虫の脚にも似た外見の器具。一点物の特注品であるらしい。

 こんなものが必要になる程、彼女の腰から下はぼろぼろである。実際、この器具がバッテリーを切らしている時など、床を匍匐前進している姿さえ見られた程だ。


「操。宿題は……?」


「はいっ、出来ていません!」


「元気が有ってよろしい……って、このおバカさん」


 操の額を、ぺちっ、とカムイの手が叩いた。殆ど子ども扱いであるが、操が15でカムイが23、年齢差は8つばかりである。


「本っ当に貴女は、集団行動が取れませんね。三日前も一週間前も二週間前も一か月前も……あんまりこの状況が続くようでは、私もそろそろ我慢が」


「お言葉ですが、カムイ支部長!」


 言葉こそ丁寧では有るが、操の表情や声に、さしたる敬意は浮かんでいない。

 事務処理能力やら、過去の戦闘経験やらには一目置くのだが、支部の運営方針に不満が有るのだ。


「一人で敵を殲滅できる兵士がいるなら、その者を有効に活用すべきではないでしょうか!

 不用意に弱兵を前線に出す事は、貴重な人員を失う事に繋がります!」


 操は、自分が戦えばそれで良いと思っているからだ。

 同期の兵の中では、操が頭二つも飛びぬけて強い。なら、自分が全て倒せばそれで済むというのだ。

 事実、二頭や三頭の〝オス〟が相手であれば、操は単独で討伐できるだけの力を持っている。〝オス〟一頭に対し、数名で掛かるべしという方針とは、真逆の戦い方をするのだ。


「……貴女も〝貴重な人員〟ですよ?」


「その前に戦闘員です!」


 意見の食い違いは、この二人には良く有る事だ。

 支部長という役職は、決して高官でも何でも無いのだが、それでもカムイが何処かへ行く時、操はその護衛として選ばれる事が多い。

 そうやって、幾度も行動を共にしていても、この部分だけはどうしても、意見の統一を見ないのである。


「……操。貴女の集団行動に対する適正、理解度は、とてもとても褒められたものではありません。ましてや提出する予定の反省文さえ、ろくに仕上がっていないと来ては……はぁ」


 三組の足音を独房に響かせ、カムイは歩き回る。溜息は、数歩ごとに零れている。


「ですが、貴女に機会を上げましょう。場合によっては、戦地に出して上げても良い」


 それが、ふと立ち止まって言った。


「支部長。お言葉ですが、この近隣に戦地なんて……――」


 大都市二つに挟まれた空白部――それが、この小さな街である。迷い込む〝オス〟は偶にいるが、偶発的な事故のようなものだ。三区一号支部の管轄内に、急を要する戦地は無い。そんな場所で戦わされた所で――反論しようとした操の唇に、カムイは指を当てて口を塞いだ。


「315部隊駐屯地――ツテが有ります。行かせて上げても良いですよ?」


「え――えっ!?」


 操は、その耳を疑った。

 315部隊――恐らくは世界でも有数の、〝対オス〟に特化した精鋭部隊である。

 だからこそ常に激戦区へ送られ、転戦を続けていると言うが、


「明日の午後から三日後まで、特別教官を招いています。彼女の許可さえ得られたのなら、旅費も全部、私の権限で支部の予算から出しましょう。

 もし――もし、彼女が良しと言えば。そのまま、向こうに留まってくれても構いません。どうです?」


 操は、思考するより早く、一も二も無く、首を縦に振っていた。

 力は得た。だが、戦地を得ていないのだ。

 それが、世界でも最悪の戦地を与えられると言うのならば――操には、望む所であった。

 そうでなければ、意味が無い。

 そうでなくては、己の価値が無いのだ。


「いいでしょう、懲罰房を出なさい。反省文は何時か、別な機会に提出してもらいますから」


「はっ!」


 踵を一度打ち付け、走って懲罰房を出る。

 そのまま操は、廊下をも走り抜けてしまいそうな勢いであったが――進行方向に、誰かが立っているのを見つけた。

 この宿舎――新兵の宿舎には似つかわしくない服装である。寧ろ〝彼女〟は、街に在るのが似合いと見えた。


「……?」


 観察する。顔立ちを見るに、アジア系――というより、日本人でも通じるだろうが、少し違う。

 衣服、髪留め、靴の雰囲気は、これはどうみても大陸、中国風である。

 官制の武器は持たず、腰には幅広の剣が一振り。鞘の形状を見る限りでは、刃の厚い曲刀だろうか。微細な取り回しより、断ち斬る為の刃であろう。


「そうそう、操、言い忘れてました。今日から貴女には、彼女と一緒に行動してもらいます」


 カムイが操の後ろから、横を通り過ぎて、そして廊下に立つ〝彼女〟の横に並ぶ。


「同い年でも随分違う。考え方も戦い方も、これからの生き方もきっと。そういう人が居る事から、何かを学んでくれると嬉しいんですが……難しいでしょうね。でも彼女の剣術は、貴女の戦い方の参考になる筈ですよ」


 カムイがそういう間、操と同い年だという少女は、まるで表情を変えぬまま立っていた。

 背は操より高い。160cmを超えているだろう。細身で、力なら操の方が有りそうだ。

 だが、力は問題では無い。少女は柳のような、或いは猫のような体つきをしている。

 しなやかで柔らかく、すばしっこい、ネコ科の動物の体であった。


「他是?、ぁー……Who is , 彼女は?」


「She is your room mate――日本語で頑張ってみます? 自己紹介、してみなさい」


 操が聞き慣れない音を、喉から発する彼女――操は英語など、まるで話せないのである。。

 せめて聞き取れて、かつ意味が分かった単語と言ったら『room』くらいのもので、部屋がどうしたのかと首を傾げ―― だから彼女の動きに、完全に虚を突かれた。


「……っ、!」


 少女は何時の間にか、操の目の前に立っていた。

 硬そうな靴を履いていて、ふらりと進み出たようにも見えたのに、音がまるで無かったのだ。


 ――こんな所まで、猫なのか。


 驚き呆れていると、大きな黒猫は前足――ではなく、手を操に差し出した。


李紅花リー・ホンファ。仲良く、君、よろしくします、私?」


「……はい?」


 ――日本語、なんだろうか、これは。

 操は、生まれてこの方触れた事も無い、珍妙な言語に遭遇していた。

 単語を取るなら日本語である。ただ、文法が壊れているのだ。

 日本人が、知っている英単語だけで外国人と対話しようとした時の有様に少し似ている。


「翻訳しますね。私は李紅花、宜しくお願いします。君と仲良くしたいです。

 ……あっ、今日から彼女、貴女と相部屋ですからね。本当に宜しくお願いしますよ」


「日本語じゃない! 日本語だけど、日本語じゃない!」


 中国の黒猫は、目の大きさを変えもしないで、すまし顔を続けていた。

第1話:お借りしたキャラ


李紅花リー・ホンファ  ししあ様(@sisiasaku)より

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