四〇五号室
「わたくし、四〇五号室付きお茶汲み係のミス・ジンジャーと申します」
そいつは僕の恋人の姿でそう名乗った。
実家を出て、部屋を借りることにした。
とにかく安さを条件とし探した結果、古い洋風アパートの最上階にある部屋に行き着いた。
煉瓦造りのこ洒落た外装で、中はワンルームの擦り減ったフローリング敷きである。四方の壁の下半分はささくれた腰壁でぐるりと囲われており、その上半分は黄ばんだ壁紙が貼りついていた。半世紀前に外国人専用のアパートメントとして建てられたらしい。バスタブはなくて、代わりにシャワーブースが造りつけられていた。
「いかがでしょう。四階までエレベーターがないのはいささか不便でしょうが、お客様はお若くていらっしゃるし……それに、この高さならではの景色が見事なものでしょう。この窓は南向きです。しかも、隣のお屋敷の庭が借景として楽しめるんですよ。ね、すぐそこに見えるのはビワの木です。立派なものです。実もいいですが、花もなかなか乙なもんですよ。白い小さな花をつけます。ご覧になったことがありますか?」
気の良い下町の不動産屋は、そう言って窓を開けた。そろそろ涼しくなった風が吹き込んでくる。
窓の外は小さいながらも洋画に出てくるような石造りのバルコニーになっていて、地上から伸びる蔓性の植物が絡みついている。ビワの木というのは、ちょうど目線の高さまで迫っている巨木であった。今は季節外れなのか花も実も見当たらない。
「とても気に入りました」
「そうでしょう。ここは私も好きな物件です」
不動産屋は満足そうに頷いた。
「それにしても、それにしたって安すぎやしませんか」
この辺りの相場は決して安くない。治安の良い、有閑マダムが闊歩する高級住宅街なのだ。
「オーナーの方針で極力リフォーム業者を入れたくないらしく、あちこちボロボロなんです。それでもいい、ご理解のある方にお貸ししたいということでのこのお値段です」
「でも、この建物の他の部屋と比べても、この部屋だけ群を抜いていませんか」
不安要素はできるだけ排除しておきたかった。引越してから、何かあっては面倒だ。
「……ええ、お茶を濁して申し訳ない。問われたらお答えする決まりです。実は、この部屋……」
勿体ぶるかのように不動産屋は語気を弱める。外では強い風が吹き出したようで、木枠に嵌った窓ガラスがガタガタと鳴っていた。
「ユーレイが出るんですよ」