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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第五章:パリ召還

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第89話:差し入れとおねぇの溜息

 アドリアンがレオノールを呼びに、ジャンがふねに戻るために部屋を出た直後。





入れ替わるように、重厚なマントを翻してシャルルが現れた。





「おはよう、ナギ。ふねよりは元気そうね」





 彼は扉を閉めると同時に、いつものおねぇ言葉を溢れさせた。




傷ついた身体を直視するのを躊躇うような素振りは、微塵も見せない。




(……無残な姿ね。それでも、生きてさえいれば……)




「シャルルさん……」




「いいのよ、寝たままで。……お見舞いを持ってきたの。今のカディスで用意できる最高の滋養強壮よ」




 テーブルに置いたのは、最高級の干しぶどう、蜂蜜に漬けられたナッツ、そして銀紙に包まれた高価な砂糖菓子。




軍の将官クラスでも滅多に口にできない豪華な代物だった。




「シャルルさん、ありがとうございます。……ごめんなさい、私が……私が勝手にして、迷惑をかけたせいでこんな事に……」





 渚は、自分の行動で部下が失われたこと、そして自身の怪我のせいで一艦隊を予定外の航海に引きずり回したことを、消え入るような声で詫びた。





その言葉に、シャルルは紫煙をくゆらすような仕草で、ふっと目を細めた。





「謝る必要なんてないわ。貴女が生きている、それだけで私達の『勝利』なんだから。……でもそうね、外で番犬みたいに唸ってるあの子については、私にも責任があるかしら」




(『勝利』……。きっと、シャルルさんには私には分からない、凄まじい軍事的な思惑があるんだ。だから、私のせいで警護の人が死んだことも、私の勝手な行動も……この人は責めないんだ)




 周りの誰もが、それぞれの優しさを突きつけてくる。




 その慈しみという名の刃が、かえって今の渚を追い詰めていた。




(責めてくれる方が、どれだけマシか……)




 けれど、シャルルの非情なまでの「軍人としての損得勘定」は、今の渚には救いだった。




(私が要らないと感じた時は、きっと迷わず切り捨ててくれる。この人は、唯一そうしてくれる人だ)




 シャルルはバルコニー越しに、中庭で落ち着かない様子を見せているアドリアンの背中を見下ろした。




「あの子、貴女を以前の私のように『小鳥』にしているようね」




(……アドリアン。貴方を『重石』に選んだのは私だけど、ちょっとやりすぎね。あの子を繋ぎ止めるどころか、このままここに閉じ込めようとしている……)




「え? どういう事ですか?」




 シャルルは内心で苦笑する。




 かつて自分が「隔離策」として渚を愛人にしようとした以上に、アドリアンは彼女を「独占欲という名の籠」に閉じ込めようとしていた。




 過去の自分と重ね笑う。



 

 (この子は、小鳥なんかにはならない)




 「ふふ。アドリアンは貴女のためなら、本当に世界を敵に回すつもりよ」




「あ、あの冷静なアドリアンがそんな……ことは」




 渚は、朦朧とした意識の中で感じたアドリアンの烈火のような愛情を思い出し、顔を赤らめる。




 そんな彼女を見て、シャルルは急に表情を引き締めた。




「……さぁ、早く元気になって頂戴な。……来週には立って歩けるようになりなさい!」




 穏やかな口調から一転、部下を震え上がらせるような峻烈な命令に、渚は跳ね上がった。




「立てるようになったら、徹底的にフランス社交界のマナーを叩き込むわよ!」




「え? えええ!? ど、どうしてですか!?」




(フォークとナイフは端から使うことしか知らないのに! 『ごきげんよう』なんて、絶対に舌を噛んじゃうよ!)




 ボナパルトに召喚されるのであれば、その傍らに君臨するジョセフィーヌとの対面は避けられない。





それは戦場とは別の、血を流さない残酷な「洗礼」の場となるはずだ。





(ナギ……貴女は可愛い小鳥のようだけど、あのジョセフィーヌから見れば、泥水の中で足をばたつかせる醜いアヒル。あるいは、自分の庭を荒らす排除すべき異物だわ。……皇帝となる男の隣で、女帝として君臨しようとしているあの女の「品定め」に、無防備で放り出すわけにはいかない)




 唖然とする渚の頭の中では、「おーほほほ!」と高笑いする漫画のような貴族のイメージがぐるぐると回り始める。




「Prépare-toi bien.」

(プレパール・トワ・ビアン)

(――覚悟しておきなさい)




「ウィ……ウィ、ムッシュ・シャルル! ――」

(……お、お手柔らかにお願いしますわ?)



 最後にお茶目にウィンクをして、シャルルは颯爽と去っていく。




 残されたのは、甘い干しぶどうの香りと、「パリ」への不穏な予感、そして現実離れした貴族マナーへの恐怖だけだった。


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