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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第五章:パリ召還

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第85話:「春の光と、海の檻」

1804年3月ー。




 結局、ポルトガル商船のサン・ジョゼ号はポルトガル領海という「イギリスの庭」に到達し、シャルル率いる艦隊は獲物を目前にして剣を引かざるを得なかった。




 リスボンやラゴスはイギリス海軍ロイヤル・ネイビーの事実上の補給基地であり、そこはまさにイギリス海軍の巣窟。




深追いは全滅を意味する。




(……いいわ、逃げたければ逃げるがいい。その代わり、このジブラルタルへの喉元は、一歩も通させない)




 それからの一ヶ月、私たちは荒れる二月の海を「檻」に変えた。





 イギリス海軍を地中海へ封じ込め、一隻の小舟すら通さぬ鉄の封鎖。




それは、あの子を傷つけた世界への、私なりの宣戦布告だった。




 それと同時に、この荒れ狂う海に身を置くことは、私自身への容赦のない戒めでもあった。




 渚の……その運命の歯車にすべてを委ねると決めたのは私だ。




 彼女の善意が踏みにじられる可能性も、フルトンという男の底知れぬ野心も、指揮官である私が誰よりも警戒すべきだった。




 彼女のあばらを砕き、部下たちの命を泥にまみれさせたのは、イギリスの凶刃だけじゃない。




 私の「慢心」が、結果的に彼らを地獄へ突き落としたのだ。




 凍てつく飛沫を浴びながら、私は水平線を睨みつける。




 この一ヶ月、海を監視し続けることが、私の罪に対するささやかな罰。




 そして、私がカディスの守りを託したヴィルヌーヴ提督率いるフランス・スペイン連合艦隊に対する、何よりの信頼回復の証明でもあった。 




 かつての慢心を捨て、最前線で泡の雪を被る。




 それが提督としての自己規律だった。




 艦内の医務室だけは、外の荒波が嘘のように静まり返っていた。



 最初の三日、ナギは地獄の中にいた。折れた肋骨が全身の骨を軋ませるような激痛と高熱。




 熱に浮かされ、うわ言で誰かの名を呼ぶたびに、隣に座るアドリアンの顔が氷のように冷たく、昏い怒りに歪む。




 それは彼女を『物理的に破壊』し、その心を内側から壊そうとした者の名であると分かっていたからだ。




 4日が過ぎ、ようやく熱が引いた。



 その痛さに慣れ、死の淵から戻ってきたあの子が、恐る恐るだがスープを口にできたのはその翌日のことだ。




「……っ、痛……っ。ジャン、……笑わせないで……!」




 一週間後。




ようやく何とか動けるようになった渚が、包帯を巻いた胸を押さえて涙を貯めた目でジャンを睨みつける。




 ジャンのくだらない軽口に笑うことさえ、今の彼女には肋骨に響く激痛だった。




 少しの咳やくしゃみすら、彼女の顔を苦痛に歪ませる。




 睨まれたジャンが「おっと、そいつは失礼」と肩をすくめ、その横でアドリアンが黙って書類に羽ペンを走らせながら、



「ナギサで遊ぶのやめてくれ……」



 と切実な顔で訴える。




 アドリアンがジャンを制するその静かな言葉は、かつての冷徹な副官のものではない。



 一人の少女の痛みに対し、本気で心を痛める一人の愛を知った男だった。



 また、それを面白そうに茶化すジャンの姿こそが、この艦内がようやく平和を取り戻しつつある象徴だった。




 懐いている少年兵たちも、何度も様子を見に訪れ、時折ふと虚空を見つめ、暗い記憶の闇に落ちそうになる渚を、その無垢な笑顔で光の方へと連れ戻していた。




 アドリアンは、一度も彼女の傍を離れようとしなかった。




 仕事が溜まっているのではないか、と私が声をかけようとした時、彼はナギが眠る微かな寝息に合わせて、完璧な精度で軍務をこなしていた。





 愛する者の体温を守りながら、同時に冷徹な副官であり続ける。




 その異様なまでの集中力は、まるで渚をこの世に繋ぎ止めるための祈りのようでもあった。




 夜明けの光が、荒れる波間から差し込み始める。




 一ヶ月に及ぶ冬の封鎖に、ようやく終わりを告げるような……それは、凍てついた物語が再び動き出す、春の予兆を孕んだ光であった。




 私はゆっくりと、水平線に向けていた視線をふねの内側へと戻す。



 「――全艦に伝えなさい」



 私の言葉を待っていた少年兵に静かに告げると、艦内の空気が一瞬、張り詰めるのが分かる。



「封鎖任務を終了する。進路をカディスに取れ。帰港する」




 短い命令だった。




 だが、その一言に、この冬のすべてを畳み込んだ。




 守るように託したヴィルヌーヴの艦隊。



 強引に結成を早めたフランス・スペイン連合艦隊。



 私が不在の間、イギリスの毒が、あるいはフルトンの残した「影」が、あの港を侵食してはいないだろうかー。




 不安はある。



 だが、留まってはいられない。



 カディスに戻り、態勢を立て直したその先には、ボナパルトの待つパリが控えている。



「全艦、増速。暁を追い越し、カディスへ滑り込みなさい!」



 春を孕んだ風が、私のマントを激しく翻した。



新章です!カディス沖での一ヶ月の封鎖を終え、物語はいよいよ陸へ、そしてパリへと動き出します。ナギの回復、アドリアンの変化、そしてシャルルの覚悟……。ここからの『召喚』へと繋がる新展開も、ぜひ楽しみにしていてください!

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