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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第四章:蒸気機関と現代の資格『守り』と『破壊』

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第81話:救済という名の拷問

「科学の変態――その程度の認識でしかなかった」



 岩陰から沖を睨むジャンの瞳に、じわりと後悔の熱が滲む。



フルトンという男を、ただの奇妙な発明家だと侮っていた。



 その甘さが、この最悪の事態を招いたのだ。



 誘い込まれたのは、潮の香りが澱んだ入り江の岩場だった。




フルトンが仕掛けた罠。



 潜んでいた協力者たちの凶刃を辛うじてかわし 海に飛び込んだ。



 ジャンは震える指で銀の笛――ボースンコールを唇に当てた。




 霧を切り裂くような鋭い高音。




 それが、彼にできる唯一の手立てだった。




 波間から顔を出すと、フルトンと数人の男を乗せた小舟が、霧の向こうへと消えていくのが見えた。



 だが、逃げる背中を追う余裕など一欠片もなかった。




「……ナギ……っ!」



砂浜に横たわる彼女の体は、あまりに脆く、そして静かすぎた。



 ジャンが渚の胸に手を当てた瞬間、軍医としての腕が凍りつく。



 不自然に隆起し、波打つような胸の動き。



 触れるまでもなく分かる。あばらが折れ、内部で無残にズレているのだ。




 肺が満足に膨らまない。




 吸い込んだ空気は血と混じり、行き場を失って彼女の体内で暴れている。




 透き通るようだった肌は土気色に沈み、その薄い唇は、酸欠を告げる忌々しいチアノーゼによって真っ青に染まっていた。



 「……はぁ、はぁ……っ……死ぬな、まだ死ぬな……!」



 意識を失っている今は、まだいい。



 だが、彼女の体は内側からの激痛にのたうち、暴れ狂うだろう。



 そうなれば、折れた骨がさらに内臓を突き破り、取り返しのつかないことになる。



 早く、ふねへ。



 意識が戻る前に、さらしでこの体を、この絶望を固定してしまわなければ。



 岩場から海に飛び込んだジャンの体は、至るところが裂け、どす黒い血が滴っている。



海水が傷口に染み、焼けるような痛みが走る。



 けれど、そんな痛みなどどうでもよかった。



(すべて俺が……俺の判断の過ちだ…」



冷たくなっていく渚を壊れ物を扱うように抱き上げ、霧の深淵へと足を踏み出すと、霧の向こうから必死に叫ぶアドリアンの声が聞こえてきた。




「ジャン……! ナギサ!」




 駆け寄ろうとしたアドリアンの足が、安堵で激しく震えている。



 アドリアンに、抱えていた渚をそっと差し出した。



「…………すまん。」



 ジャンの絞り出すような声。




 渚の顔は痛みで歪み、呼吸のたびに胸元が不自然な動きを見せている。



「……っ、これは……」



「……あばらを、やられてる。」



 ジャンの言葉に、アドリアンの瞳から色が消えた。



 何が起きたのか分からない、



 だが渚は「物理的な破壊」を受けていたのだ。



 アドリアンは、折れたあばらを刺激しないよう、細心の注意を払って彼女を抱き直した。




 怒りで奥歯が砕けんばかりに鳴る。




「……ジャン、ふねへ急ぐぞ!」


 




渚を慎重に抱え、船の医務室へ駆け込む。



「さらしを持ってこい! 急げ、早くしろッ!」



ジャンの怒声が響き渡った。



慌てふためく助手たちが、清潔な布を抱えて走り回る。



アドリアンは、腕の中の渚を診察台に横たえた。



その手は、いまだに彼女の温もりを求めて離れようとしない。





「……アドリアン、外に出ろ」




ジャンの声は、もはや悲鳴に近かった。



 軍医として数多の兵士を看取ってきた彼には、これから始まる「処置」がどれほど凄惨なものになるか、容易に想像がついていたからだ。



「断る。……私は、これ以上ナギサから目を離したくない、一時も…」



アドリアンの返答は、凍てつくほど静かだった。



だが、その直後。



ナギサの喉がヒュッ、と異音を立てて鳴った。



「が……っ、はあ……っ!!」



意識を失っていた彼女の瞳が、苦痛に裏返りながら見開かれる。



酸素の足りない肺が、狂ったように空気を求めて喘ぎだした。




「押さえろッ!!」



ジャンの怒号と同時に、ナギサの体が弓なりに跳ね上がった。



あばらが複数本折れ、呼吸しようとする動作そのものが、自らの内臓をナイフで抉る行為に等しい。



「あ、ぐ……あぁぁぁあッ!!」



喉を掻き切るような絶望的な叫びが、狭い医務室に反響する。




渚の服をハサミを入れる。




右胸の下が、内出血で皮膚が黒い紫色に変色している。



このままでは骨のズレがさらにひどくなり、内出血を加速させる。



「固定しろ! 骨を動かすな! ナギ…動くなよ!」



ジャンがナギサの細い体に馬乗りになり、力任せに押さえつける。



助手たちが4人係りで彼女の手足を縛り上げ、さらしを胴体に幾重にも巻き付けていく。



麻酔などない。



あるのは、剥き出しの痛みと、骨がぶつかり合う音だけだ。



バキッ、という嫌な音が、ナギサの体の中から聞こえた。




「……っ、うあああああ!!」




アドリアンは、渚の砂にまみれた指を、砕けんばかりの力で握りしめた。



自分の無力さが、心臓を直接握りつぶされるよりも痛い。



騎士として、指揮官として、一人の男として。



守ると誓ったはずの少女が、今、目の前で「医学」という名の拷問に晒されている。



(すまない、ナギサ……すまない……っ!!)



アドリアンはただ、獣のようにのたうち回る彼女の手を握り締め続けるしかなかった。



 凄惨な悲鳴が鼓膜を突き抜けるたび、アドリアンの脳裏には、遠い日の記憶が蘇っていた。



かつて、両親を奪った断頭台ギロチン



振り下ろされる刃は冷酷だったが、そこに宿る死と苦痛は、一瞬の出来事だったはずだ。



だが、ここは違う。



目の前で繰り広げられているのは、生きるための地獄だ。



助けるために縛り上げ、救うために叫ばせ、愛する人が、その体に凄まじい苦痛を強いられる。



自分の無力さを呪った。



死よりも深い苦しみの淵で、それでも彼女の生を繋ぎ止めようとするジャンの形相は、救世主ではなく、地獄の番人のようだった。



(……ああ、ナギサ……っ!)



終わりのない、地獄の時間が始まった。


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