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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第三章:フランス・スペイン連合艦隊

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第63話:一時の安息と、王様のケーキ(ロスコン)

 1804年1月6日。



 カディスの街は、公現祭を祝う熱狂に包まれていた。



 かつてイギリス艦隊の海上封鎖に喘いでいた頃、この港町の食卓を支配していたのは、薄汚れた塩水と、噛み切れないほど固い魚の干物だけだった。



だが、今は違う。



 渚の未来知識がもたらした「健康」と「黄金のバブル」。



それによって息を吹き返した連合艦隊がトラファルガーの海を鉄壁の盾として守り、遮断されていた海の道を開き直したのだ。




 渚の滞在するホテルの一室には、久しぶりに顔を揃えた面々の笑い声が響いていた。




「ナギ様、見てください! 市場にはあんなに多くの物資が溢れています……。海の道を取り戻したおかげで、今年は最高のロスコンが焼けました!」



 レオノールが誇らしげに掲げたのは、オレンジの花の香りが漂う大きなリング状のパン菓子――『ロスコン・デ・レジェス』だ。




 封鎖を打ち破った勝利の証である砂糖がふんだんに使われ、宝石のようなドライフルーツがその表面を鮮やかに彩っている。




「わあ、かわいい……! 美味しそうだね!」



 渚が瞳を輝かせると、場に温かな空気が流れた。



「まさに、我ら連合艦隊が守り抜いた平和の味というわけだな」



 騎士のように凛とした佇まいで、アドリアンが感銘を受けたように頷く。



 事後手続きに追われ、慌ただしい日々を過ごしていたアドリアンと、こうして落ち着いた時間を過ごすのはいつ以来だろうか。



 向けられる真っ直ぐな視線に、渚は少しだけ居心地の悪さを感じて俯いた。



「ナギの知恵がなければ、我々は今頃、壊血病の歯痛に耐えながら冷たい乾パンをかじっていただろう……」



 軍医のジャンが優しく目を細め、渚を見つめる。


 

「……これから私は、アドリアンやルブランと一緒に、スペインの提督たちともこの『可愛らしい』ケーキを囲まなきゃいけないのよ? げんなりするわ」



 シャルルが扇子の影で、男臭い宴席を想像したのか大袈裟に肩をすくめて見せた。




「ナギ。このケーキには『仕掛け』があるのを知ってるかしら?」



 シャルルに促され、アドリアンが銀のナイフを入れながら、悪戯っぽく微笑んだ。



 ロスコンの中には、二つの「運命」が焼き込まれている。



 一つは、幸運の象徴である『王様の陶器人形』。



 引き当てた者は、その日一日「王」として称えられ、一年を至福の内に過ごせると言われている。



 そしてもう一つは、『乾燥した空豆』。これを引いた者は――。



「……ハズレ。その場の代金を全て支払う義務が生じるのよ」



 シャルルが優雅に一切れを口に運んだ。アドリアンもジャンも、戦場さながらの緊張感で自分の皿に向き合う。



「……あ」



 最初に声を上げたのは、渚だった。



 彼女の口の中から現れたのは、白く輝く小さな王の石像。



「ナギ様、おめでとうございます! 今年の王様はナギ様ですね!」



 レオノールが歓喜の声を上げ、アドリアンが「さすがは勝利の女神だ」と深く頭を下げた。



「よかったわね、ナギ。……で、不運な豆は誰の元へ行ったのかしら?」



 シャルルが視線を巡らせると、ルブランが苦虫を噛み潰したような顔で、口から黒い豆をつまみ出した。




さらにその隣で、ジャンが「ゲッ」と声を上げ、同じく豆を吐き出す。




「……やれやれ。どうやらパリへの旅費は、私のポケットマネーから出すことになりそうだ」



ルブランは事後手続きと『ボナパルトへの献上品』持参の為、近くパリへ発つ。



「全く……またナギの思い付きに振り回される、という暗示にしか思えんな……」



 二人の嘆きに、部屋中が柔らかな笑いに包まれる。



「ねえ、ナギ。『王様』の特権として、一つだけ願いを聞いてあげるわ」



 シャルルがフォークを置き、渚をじっと見つめた。



 その瞳には、提督としての鋭さと、渚個人を慈しむような温かさが同居していた。



「願い……ですか?」



「ええ。もうすぐフランスから『厄介な発明家』が来るわ。ルブランもパリへ発つ。……騒がしくなる前に、あなたが望むことを言ってみなさい」




 渚は窓の外、静まり返ったトラファルガーの海を見つめた。



 スペインとフランスが手を取り合い、守り抜いた美しき冬の海。



だがそこは、渚自身の知識によって歪められ、加速してしまった1804年の海でもある。



「私は……みんなで、無事に春を迎えたいです。誰一人欠けることなく、この海で笑っていたい」



 その「王様の願い」が、どれほど困難で、贅沢なものであるかを、この場にいる全員が知っていた。




 だが、シャルルだけは別のことを考えていた。



 渚はフランス軍を、いや、自分自身を更なる高みへ連れて行くために神が遣わした女神だ。



 だが、その幸運という名の力はあまりに強大すぎる。



扱いを間違えれば、それは劇薬となり、己を内側から蝕んでいくだろう。



 ――あの、漆黒の劇薬コーラのように。



「……欲張りね。だが、王命なら従うしかないじゃない」



 シャルルは小さく鼻で笑い、優雅に立ち上がった。



 それから二週間後。



 カディスの港に、凍てつく風とともにロバート・フルトンが降り立つ。



 穏やかなティータイムの余韻は、間もなく訪れる



『鉄と蒸気の咆哮』によって、無慈悲に塗り替えられることになる。


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