第60話:泥水の演説と、黄金の口説き文句
「……いいか。二度と、私の、目の前に、その『泥』を出すな……ッ!」
シャルルは未だ喉を震わせ、暗殺者を射抜くような眼光で渚を睨みつけていた。
(シャルル様……怖すぎますぅ……!)
渚が内心でガタガタと震える中、アドリアンは必死に蒸留水をシャルルの口へ運び、「御命に別状はございませんか! 今すぐ中和を!」と半狂乱で介抱を続けている。
そんな地獄絵図の中、ただ一人、ルブランだけが静かに動いた。
「おいおい、そんなにナギ殿を怖がらせるなよ。……俺は、こっちの『漆黒のジュース』の方が気になっていたんだ」
渚たちがスパイスと砂糖の原液、そしてあの「泥水(コーラ抽出液)」を緻密な配分で調整し、炭酸水で割ったばかりの**『アンダルシア・コーラ・試作品』**の瓶をひったくった。
「ルブラン公使! それはまだ試作品で――!」
渚の制止も聞かず、彼はレモンスライスが沈む冷涼な瓶を、ためらいなく煽った。
シュワッ、と廃倉庫には不釣り合いなほど軽快な音が響く。
一瞬の静寂。
シャルルが忌々しそうに、アドリアンが不審そうに見つめる中、ルブランの瞳に猛烈な火が灯った。
「…………ああ、神よ。アンダルシアの空は、今日からこの一杯のためにあるのか」
ルブランは突然、舞台役者のように片手を胸に当て、陶酔した声を上げた。
(な、何? ミュージカルが始まった……?)
引き気味の渚を置き去りにして、ルブランの独壇場が続く。
「シャルル、お前はなぜこの歴史的な『奇跡』を味わおうとしない? この一杯は、ただの飲み物ではない。……それは、灼熱の太陽を浴びて目覚めた大地だ。舌の上で数多のスパイスが熱狂的な剣舞を踊り、暴力的な甘みが官能の渦となって脳を焼き、弾ける気泡がそのすべてを天へと昇華させる! そして最後には……あの微かな苦味と僅かなレモンの風味が敗北を知らぬ男の矜持のように鋭く鼻を抜けていくのだ!」
朗々と響き渡る声。
歌うようなその熱弁に、ジャンとレオノールはもはや「関わりたくない」と言わんばかりの虚無の表情で遠くの壁を見つめている。
「これは、人を狂わせる悪魔の雫だ。だが、この雫以上に……これを作り上げた君の『指先』に、俺は今、完全に屈服したよ」
ルブランは呆然とする渚に歩み寄り、その手を取って深く、恭しくキスをした。
その光景にアドリアンが石のように固まる。
「ナギサ。君の瞳には、これほどの刺激が溢れているのか? もっと近くで見せておくれ。……この『コーラ』を飲む権利がフランスの第一執政にしかないというのなら、俺は今すぐこの地位を捨てて、君にすべてを明け渡そう。……愛しているよ、女神」
あまりに劇的、かつ一方的な口説き文句。
(……は? 女神? ……いやちょっと、キモイです!!)
渚は、ルブランに握られた自分の手の甲に走る鳥肌を止めることができなかった。
現代なら確実に「お疲れ様です」の一言でブロックし、二度と通知を開かないレベルの重すぎるポエムとキス。
(この人、コーラの成分で脳がおかしくなったんじゃ……? カフェインと糖分の過剰摂取で変なスイッチ入っちゃった!?)
感動して震えるどころか、あまりの「劇画調」なノリに渚の心は冷え切っていく。
「「「…………?」」」
シャルルの殺気も、アドリアンのパニックも、すべてが凍りついた。
ルブランの異常な熱弁と「美味しい」という評価。
全員がトラウマレベルの不信感を抱きながらも、ルブランが「女神の供物」とでも呼びそうな勢いで掲げる『地獄のコーラ』を、ただ呆然と見つめるしかなかった。




