第58話:砂糖の雪崩と、禁断の錬成
廃倉庫のテーブルには、レオノールが街中の交易商からかき集めてきた最高級のスパイスが並んでいる。
ジャンの医学的知識とレオノールのスパイスへ市場素材の知識、そして渚の「記憶」を頼りに、泥水の救済が始まった。
ジャンは手際よくスパイスを検分し、その役割を解剖するように説明していく。
「なるほど、シナモンで泥の臭いを封じ、バニラで官能的な後味を作る。クローブの刺激で味を締め、ナツメグで深みを出す……。理論はわかるが、この配分はあまりに暴力的だぞ」
「いいのよジャン! 泥の匂いを殺すにはこれくらいやらなきゃ。レオノール、カルダモンとスターアニスも追加して!」
「ふふ、承知いたしました。アンダルシアの熱い夜にふさわしい、刺激的な香りになりますわね」
三人はスパイスを煮出し、丁寧に濾して「黄金のスパイス液」を抽出した。
そこに、別で砂糖を煮詰め作っていた『カラメル』を追加した。
だが、まだそれだけでは、あのコーラナッツの凶悪な苦味には勝てない。
「……さて、ここからが本番。『全ての救済』、砂糖を投入するわよ」
渚が取り出した巨大な砂糖の塊を見て、ジャンの動きが止まった。
「……待て。ナギ、まさかその塊を丸ごと削り入れるつもりか?」
「当たり前じゃない! 私の歯医者……じゃなくて、極東の教えがあるの。だいたい**『0.6パイントの飲み物には、親指の先ほどの砂糖の塊が15個は入っている』**ってね!」
渚は脳内で高速計算を走らせた。
現代の350ml(約0.6パイント)で角砂糖15個なら、今ここにある1パイントの濃縮液を「飲めるレベル」にするには……。
「この1パイントの地獄を救うには、少なくともその塊の半分……25個分以上は削り入れないと飲めたもんじゃないのよ!!」
ドサドサドサッ!! と、当時は金と同価値と言われた貴重な砂糖の削り節が、惜しげもなく鍋の中に消えていく。
「やめろナギ! それだけで兵士の給料一ヶ月分が吹き飛ぶぞ!」
「ナギ様、そんなに入れたら喉が焼けて、歯が全部溶けてしまいますわ!」
二人の悲鳴に近い制止を振り切り、渚はヘラで漆黒の液体をかき混ぜた。
熱せられた砂糖が溶け、スパイスの刺激とナッツの苦味が、とろりとした艶やかな「シロップ」へと昇華していく。
またレオノールが私は結構よと微笑む。
倉庫の中に、先ほどまでの「墓場の土」とは正反対の、鼻腔を甘く愛撫するような官能的な香りが立ち込めた。
『あんまままぁぁー』
ジャンが喉を焼くような甘さにむせあがる。
「……これだ。これでだいぶ完成に近づいた…!」
渚の目は、砂糖の大量摂取を警告する現代のポスタ
ーを思い出した時以上に、ぎらぎらと輝いていた。
とろりと煮詰まったスパイスと砂糖液。
あと少しでカフェインの劇薬と、一ヶ月分の給料に相当する砂糖、そして世界中のスパイスが溶け合った、漆黒のシロップが完成する。
「……これを冷まして、後はあの泥水の調整ね…」
渚は達成感と共に、ビンに「一ヶ月分の給料」を移し替え、テーブルの端に置いた。
あまりの熱気と激務に、三人は「少し風に当たってこよう」と、倉庫の重い扉を開けて外へ出た。
――それが、運命の分かれ道だった。




