第6話:灰色の檻、忘却の誓い
深夜。
重厚な静寂に包まれた英国貴族の寝室。
ルカ(成瀬)は、背後から迫るアーサーの熱い体温に、逃げ場のない圧迫感を感じていた。
「……また、あの夢か」
アーサーの低い声が耳元を掠める。
強靭な腕がルカを拘束し、逃げ場を奪う。
圧倒的な支配者の執着に、ルカはただ呼吸を乱すことしか許されなかった。
(回想)
かつて、泥の中で絶望に咽んだ日々。
フランス軍の軍靴の音と、汚れた笑い声。
ただの「消耗品」として扱われ、抵抗する気力さえ削り取られた、あの暗い檻の中……。
その記憶を上書きするように、アーサーの手がルカの肌を深く、執拗に辿っていく。
「お前をあの地獄から買い取ったのは私だ。忘れるな、お前のすべては私のものだ」
首筋に刻まれる、消えない支配の痕跡。
ルカはシーツを強く掴み、声を殺して身を震わせた。
共に夢を追ったあの彼女が、自分と同じような辱めに耐えられるはずがない。
男の自分でさえ、これほどまでに壊されたのだ。
(……あの日、海が君を連れ去ってくれたのだと思いたい)
渚は、誰にも汚されることのない場所へ導かれたのだ。
そう信じることだけが、地獄を知ったルカに残された唯一の祈りだった。
「……はい、旦那様……」
屈服の言葉は、壊れた楽器のように脆く、闇の中に溶けていった。
◇
翌朝。
ルカはアーサーから与えられた最高級の上着に袖を通した。
「ルカ、準備はいいか。今日は海軍省への報告がある。遅れるなよ」
扉の外から響くアーサーの声に、ルカの指先が止まる。
「港」――かつて自分がすべてを失った場所。
そこへ同行させるのは、ルカを過去の亡霊から逃がさないためのアーサーなりの執着だった。
鏡の中のルカは、一瞬だけ感情を揺らしたが、すぐに氷のような無表情を取り戻す。
(……あの日、俺は死んだ。もう二度と、あの日差しの中には帰れない)
今の自分は、アーサーの影。
彼に命じられた場所で完璧に振る舞うだけの、冷徹な機械だ。
「……はい、旦那様。今、参ります」
ルカは鏡の中の「成瀬」を心の深淵に葬り去った。
光のない廊下へと、彼は一歩を踏み出す。




