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ナポレオン戦争に迷い込んだ女子大生、おねぇ提督とフランス軍を救います  作者: もふおのしっぽ
第三章:フランス・スペイン連合艦隊

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第52話:市場に咲いた向日葵

アドリアンは焦っていた。



ホテルのスイートルームを訪ねると実験道具と市場でかき集めた様々な薬草やスパイス、それに開け放たれた窓だけが残されていた。



(馬鹿な……外へ出たというのか!?)



ロドリゴの傭兵が守っているとはいえ、もしイギリスの刺客に襲われていたら。



もし、そのまま私の前から消えてしまったら。



最悪の想像が脳裏をよぎり、アドリアンはすぐさま街へ飛び出した。



「ナギサ殿……! ナギサ!」




12月でもまだ暑い太陽の下、石畳を走り、雑踏をかき分ける。




額からは汗が流れ落ち、呼吸は荒く乱れた。



必死の形相で探し回るその姿は、冷徹なフランス将校のそれとは程遠い、迷子を探す親か、あるいは――。



不意に、市場の喧騒の向こうに、聞き覚えのある鈴の鳴るような笑い声が聞こえた。




「……あ」




肩を上下させ、荒い息を整えようとしたアドリアンの視界に、一輪の花が飛び込んできた。



そこには、鮮やかな刺繍のスペイン服を纏い、髪を可愛らしくサイドでポニーテールに結い上げた渚がいた。



フランス製のドレスから解放された体はしなやかで、弾む足取りに合わせてポニーテールが軽やかに揺れている。



夏の太陽を全身に浴びて、街の活気に溶け込む彼女の姿。




健康的で、自由で、そして――。



(……あまりにも綺麗だ)




呼吸が上がっているのは、走ってきたせいだけではない。



これまで「守るべき存在」だと思っていたはずの少女が、今は、この灼熱のカディスで誰よりも眩しく、強い生命力を放つ女性に見えた。



声をかけようとしたその時、彼女の隣にいる軍医のジャンが、何やら親しげに耳打ちしているのが見えた。



「コカはなんだ?いいのか?」



「それは、もうほんっとうーに、わ・す・れ・て!」




笑い合い、二人だけの秘密を共有しているようなその親密な距離感。




一瞬にして、アドリアンの胸に焼けるような焦燥が走った。



「――ナギサ!!」



自分でも驚くほどの怒声が、市場の雑踏を切り裂いた。



びくりと肩を揺らした渚が、乱れた髪を耳にかけながら、ゆっくりとこちらを向く。



振り向いた拍子に覗いた、白く無防備な大きく開いた背中とうなじ。


 

そして、自分を見つけた瞬間にパッと輝いた、太陽そのもののような笑顔。



「あ、アドリアン! ちょうどいいところに!」



ぶんぶんと手を振り、無邪気に自分を呼ぶその姿に、アドリアンは抗いようもなく悟らされた。



これは忠誠心などではない。ましてや軍人としての使命でもない。



胸の奥で、走ってきた熱など足元にも及ばないほどの激しい鼓動が鳴り響いた。



私は――。



「……っ、何を、しているのですか。護衛もつけず、そんな……そんな不謹慎な格好で!」



顔が耳まで赤くなっているのを隠すように、アドリアンはさらに声を荒らげた。



「不謹慎だなんて、レオノールが選んでくれたのよ! 見てアドリアン、これ、コルセットがいらないの。凄く楽なんだから! それに、この刺繍も見て、可愛いでしょ?」



渚はドレスの裾を軽く持ち上げ、その場でふわりと、踊るようにクルクルと回ってみせた。



そのあまりの眩しさに、アドリアンはただ、自らの敗北を静かに認めるように立ち尽くすことしかできなかった。



忠誠心という言葉では、もう説明がつかない。



一人の男として、太陽の花の化身のような彼女に魂を根こそぎ奪われてしまったのだ。



「それより見て、これ! これが私たちを救う『コーラナッツ』なんだから!」



誇らしげに茶色の実を掲げる渚。



「え、アドリアン、顔真っ赤だよ? 熱中症!?」



屈託のない、心底心配そうな渚の声。



アドリアンは咄嗟に視線を逸らしたが、そこにはまた、露わになった彼女の胸元が嫌でも目に飛び込んできてしまう。



「……ッ、大丈夫だ! とにかく、ホテルに戻るぞ」



 アドリアンは自分の制服のジャケットを乱暴に脱ぎ、渚の肩へ無理やり羽織らせた。


大きな上着に包まれ、きょとんとする渚の手を引くようにして、彼は逃げるように歩き出す。



「ちょっと、アドリアン! 転んじゃう!」



「いいから来い! 外は危険だと言っているだろう!」



 真っ赤な顔で強引に渚を連れて行ってしまったアドリアンの背中を、市場に残された二人が見送っていた。



 ジャンは肩をすくめて荷物を持ち直すと、空を見上げてニヤリと唇の端を吊り上げた。



 そんな隣の男の様子を見て、レオノールは腰に手を当て、深いため息をつく。



「……『愛してる!』って叫んで抱きしめちゃえばいいのに」



 情熱の国、アンダルシアの娘である彼女にとって、まどろっこしい態度はもどかしくて仕方ない。



レオノールは誰に聞かせるでもなく、唇を尖らせてボソリと独り言をこぼした。



「フランスの男の人ってみんなあんなに奥手なの? 見てるこっちが疲れちゃうわ」



 その呟きを聞いたジャンは、苦笑まじりに肩を揺らした。



「……残念ながら、あれほど重症なのは彼一人だけだ。さあ、行こう。あの調子だと、ホテルに着く頃には沸騰して倒れているかもしれん」


 レオノールは「全くだわ」と呆れ顔で頷き、ジャンと共に二人の後を追った。

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