第48話:会議 ― ネルソンの不信と女神の試算 ―
ジブラルタル、英軍司令部。
重苦しい空気の中、アーサー・ウィンストンと、隻眼隻腕の英雄ホレーショ・ネルソンが対峙する。
「……説明を願いたいな、ウィンストン」
沈黙を破ったのは、ホレーショ・ネルソンだった。
隻腕の右袖を乱暴に揺らし、その鋭い隻眼でアーサーを射抜く。
「君の進言を信じ、私は地中海に網を張った。ボナパルトの艦隊は疲弊し、ここで我が餌食になる……そう断言したのは君だ。だが結果はどうだ? 奴らは包囲網を食い破り、カディスへ滑り込んだ。君の『絶対の確信』とやらは、一体どこへ消えたんだ?」
アーサーは表情一つ変えず、静かにネルソンの視線を受け止めた。そこに動揺や卑屈な言い訳の色はない。
「……閣下の仰る通りです。私の提示した予測が、現場の事態と乖離していました。一分の隙もないはずの閣下の包囲網を、奴らが突破した……それがすべてです」
「『すべて』だと? 君の理論を信じて舵を切った私の時間はどうなる」
ネルソンは鼻で笑い、苛立ちを隠さずにテーブルを叩いた。
「あの霧の中、フランス艦隊から伝わってきた異様なまでの統率……あれはただの偶然じゃない。君の緻密な計算を現場で破り捨てた『何か』が、あの中にはいた」
「……ナギサと言う、フランス軍、スペイン軍と女神と祭り上げる娘ですね」
アーサーがその名を口にすると、ネルソンは目を見開いた。
「それにしても、ウェリントン。カディスの港から流れてくる噂を聞いたか? スペインの連中とフランス軍が手を組み、何やら『黄金の工場』とやらで、レモンジュースを大量生産しているそうだ。……なぜ、我が海軍の機密扱いであるレシピが漏れている? あれは我ら英国艦隊が、長期航海でフランスを圧倒するための生命線だぞ」
アーサーは書類を整え、視線を落としたまま淡々と答えた。
「漏れているか…、という点については疑問です。報告によれば、奴らの手法は我が軍のそれとは根本的に異なる。漏洩というよりは、別の……より効率的な製法を、何者かが独自に発案したと見るべきでしょう」
「別の製法だと? ……フン、ますますあの『女神』とやらが薄気味悪くなってきたな」
ネルソンは吐き捨てるように笑い、窓の外、カディスの方向を睨み据えた。
「あの絶望的な状況で艦隊の動きを根本から変えてみせた戦術だけでは飽き足らず、今度は科学の領域まで侵すというのか。……いいだろう。調べるついでに、その女神の首根っこを掴んで引きずり出してやる。この海の主が誰であるか、たっぷりと思い知らせてからな」
「ええ、期待していますよ、閣下」
アーサーは部下に冷徹な命令を下した。
「まずはその『黄金の工場』の実態を暴き、レモンジュースのサンプルを何としてでも入手しろ。同時に、あの女の正体を徹底的に洗うのだ。彼女がどこから来現れ、何を狙っているのか……すべてを」
ネルソンが不敵な笑みを残して去った後、司令部には再び冷ややかな沈黙が降りた。
アーサーはホテルにおいてきた、ルカに向け独り言のように呟いた。
「……もはや神の予定などもはや存在しない。この海で誰が神なのか思い知らせてやるぞ。」




