第47話:霧の寝室 ― 繰り上げられた神の終局 ―
ロンドンの深夜、アーサー・ウィンストンの私邸。
重厚なカーテンが外の世界の霧を遮断した寝室には、二人の男にしか共有されない密やかな空気が流れていた。
アーサーの腕の中で、ルカは静かに、だが確かな予言を綴る。
「……アーサー様、神が描いた本来の盤面(史実)では、これから約二年間、ドーバー海峡やカリブ海で無駄な待機を強いられます。ボナパルトは海を渡れず、あなたの軍は無意味な鬼ごっこを続けるのです。……それは時間の浪費だと思いませんか?」
ルカはアーサーの肩に顔を寄せ、夢を語るような声で囁く。
「どのみち、裏で手を回しているロシアとオーストリアが背後からフランスを叩けば、彼らはイギリス上陸を諦めざるを得ないのです。ですから――」
アーサーは無言でルカを抱き寄せたまま、冷徹な瞳で天井を見つめた。
「時間を、早めるというのか」
「ええ。お選びください。ボナパルトに『カリブ海でイギリス軍が怪しい動きをしている』という嘘の情報を流し、彼らの艦隊を誰もいない海の果てへ誘い出すのです。
彼らが虚像を追っている間に、我々は地中海の包囲網を先に完成させる。……1805年、トラファルガーという終焉を前倒しで用意するのです。そうすれば、フランス軍は自ら処刑台へ登る愚者となるでしょう」
ルカの予言は、これまで一度として外れたことはなかった。
だが、その絶対的な法則が、今、カディスで初めて汚された。
現在。
拠点のジブラルタル。
アーサーの傍らで、カディスから連れ戻されたルカは、今は疲れ切った人形のように眠っている。
愛するルカをいとも簡単に打ち砕いたのは、暴力ではなく、私の激しい嫉妬心で送り込んだカディスで見た「光」だった。
ルカのこの10年間、唯一正気を繋とめていた存在が、彼を粉々に粉砕したのだ。
(本来なら海の藻屑となるはずの兵士たちが、あの女の知恵で生きながらえている…)
アーサーは横たわるルカの、憎悪に染まって震える指先を愛おしげに握りしめた。
「……今は眠れ。お前の心を壊した『女神』の罪は、私が償わせよう」
アーサーの瞳に、深い闇のような殺意が宿る。
(ナギサ……と言ったか。神の盤面を汚し、私の玩具を壊したその身を、跡形もなく焼き払ってやる)
窓の外では、ジブラルタルの海鳴りが地獄の幕開けを告げるように響いていた。




